「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

■2002年10月


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10月31日(木)
「本質はマゾ/イエス」

 
 八時起床。鼠径部が痛むが、歩行が困難になるほどではない。しかし、ストレスが原因であることにはまちがいない。じょうずな気分転換が必要なのはわかっているが、つい自分自身を追い込んでしまう。苦労性なのだろうか。
 追いつめられるにしがたって怒りが(誰に、何にたいしての怒りなのかはよくわからないが。たぶん自分自身もふくめたすべてに、なのだろう)爆発しそうになる。ふと、ワーカーホリックって、きっと本質的にはマゾなんだろうなと思った。ぼくはマゾではないから、ワーカーホリックではないのだろう。ただの貧乏性だ。
 
 九時、事務所へ。N不動産アドトレインと折り込みチラシ、住宅メーカーE社ウェブサイト、O社とカメラメーカーP社とのタイアップサイトのコンテンツ、O社新潟支店のポスティングツール…さすがに同時進行はキツイ。ときどき放心状態になる。
 
 二十一時ごろ、高校時代の陸上部の先輩で、プログレッシブ・ロックが大好きなT 先輩から電話あり。二月のイエス来日公演にいかないか、とのこと。チケットは、なんと九千円。もちょっと足せばディナーショー観れるじゃんか、と思ったが、ディナーショーにはさして興味はないのでお誘いに応じることにした。先輩と会うのは二年前のキング・クリムゾンのライブ以来だ。たのしみ。
 
『リヴァイアサン』。寝取った男と寝取られた男との会話、あるいは無二の親友同士の会話。
 
 

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10月30日(水)
「いそがしい」

 
 きょうは、しごとしかしていませんでした。きがついたら、よなかになってました。どこのおうちも、でんきがついていませんでした。おしまい。
 
  
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10月29日(火)
「三十分/表面張力/耳くらいの大きさの冬」

 
 七時に目が覚める。そのまま起きだして身支度しようかと思うが、躰がついていかず。三十分ほどうだうだする。それでも、いつもより三十分の早起きだ。
 
 八時半、事務所へ。表面張力の臨界状態にまで陥っている仕事をなんとかすべく、少々はやめの時間から取りかかるが、一向に収集する様子は見えず。どうなることやら。十時三十分、代官山のJ社へ。新規物件のO社ポスティング用パンフレットの打ち合わせ。これまた短期決戦。だいじょうぶなのだろうか。
 
 帰社してからは、E社ウェブサイト、N不動産アドトレインなど。夜、O社案件を少々。二十二時三十分、思考能力の限界を感じ、帰宅。夜風が耳の横をスッと走り去っていくような感覚があった。耳にさわってみると、いやに冷たい。耳くらいの大きさの冬がきた、と思った。なぜか、陸上競技に励んでいた高校生のときを思いだした。
 
『忿翁』より、『枯れし林に』読了。熟年の自殺をテーマにした短編。ナラティブの変換がある。斬新な手法だなあ。つづいて『春の日』。芭蕉一門の句の引用がある。
 オースター『リヴァイアサン』。親友の妻と寝る主人公。初期のオースターだったら、こういうエピソードは絶対にいれなかっただろうな。
 
 
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10月28日(月)
「今日は短めにまとめてみました。というのは、一日中仕事してたので、って、いつだってそうなんだけど、今日はほんとうに仕事しかしていなくて、ほかのことに興味のアンテナが向かなかったみたいで、したがって日記に書くことがあまりないのです」

  
 八時起床。昨日より肌寒い朝。今年は冬の近づきかたがいい加減きわまりないような気がする。
 
 九時、事務所へ。N不動産アドトレイン、折り込みチラシ、E社ウェブサイトなど。
 十八時三十分、大崎へ。N不動産の打ち合わせ。二十時三十分、終了。冬の夜のような風が駅からつづく連絡通路をとおりぬけていく。十一月が近いんだった、とあらためて思った。この季節は、街行く人たちの服装がバラバラでおもしろい。ぼくは薄着のほうだった。
 
『忿翁』より、『枯れし林に』。細かなニンゲン観察力と描写力に打ちのめされた。


 
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10月27日(日)
「うっかりぬるり/全部読むしかない」

 
 六時、花子にご飯。九時三十分、ちゃんと起床。鳥籠の掃除、部屋の片づけ、腰グルグル体操、掃除機。十時三十分、ブランチ。
 
 午前中は、以前から毎晩進めている金子光晴『どくろ杯』の書写。徹底的に読んでやろう、と思ったら、これがいちばんだと思う。
 
 午後からカミサンと吉祥寺へ。井の頭公園までの道なりにある雑貨屋などを冷やかしてまわる。何ヶ月ぶりになるだろうか、おそらく一年以上は来ていないと思うのだが、なにやら通りの雰囲気が変わってしまったような気がして、よくよく観察してみると、アジア雑貨屋や陶芸の店、ちょっと変わったカフェなどが並ぶなかで、どうも中央線沿線よりは渋谷あたりにあったほうが似合うんじゃないか、という雰囲気の古着屋やアクセサリーショップが、ちらほらと散見される。少々かなしく思う。
 公園は人だかり。だが、大陸から渡ってきた水鳥の数もそれに負けず劣らず多い。オナガガモとキンクロハジロがめだつ。春から夏にかけては子どもを背のうえに乗せて育てるカイツブリも何匹か見かけた。ヤツらは群れずに単独行動をとるところが好きだ。公園入口に近い橋のたもとの茂みのなかには、いつものようにゴイサギが居眠りをしていたが、こいつらの存在に気づく人はほとんどいない。まあ、気づかなくてもいいんだと思うが。あまり多くのニンゲンに気づかれ、騒がれでもしたら、夕方から行動するゴイサギはちょいと迷惑に思うにちがいない。
 橋を渡る。家族連れやカップルが、池のなかにバンスカとえさを投げ込む。体長一メートルはある大型の鯉の群れとカモの集団が、壮絶な争奪戦を繰りひろげている。次から次へと投げこまれるえさに翻弄され、欲をだしてあわてたオナガガモが、うっかり鯉の頭を踏んづけてしまい、そのヌルリとした感触が気持ちわるかったのだろう、あわてて両足を動かしてその場から去っていった。そのカモ、しばらく足の感触が拭いされなかったらしく、ずっと両足と尻をバタバタと動かしつづけていた。ニンゲンでいうと、気持ちわるい蟲だとか粘膜質な触感のコケみたいなものにうっかり触ってしまったあと、何度も手を拭いたりこすったりするのとおなじことだと思う。生きとし生けるもの、生理的にイヤな感覚というのはひとしく存在するようだ。
 池のまわりを軽く一周してから公園を出る。東急百貨店のヴェトナム雑貨店兼カフェで休憩。カミサンは蓮茶とゴイクン(ヴェトナム生春巻)。ぼくはヴェトナムうどん、といっていいのだろうか、フォーを食す。なかなか美味、満足。つづいて、催事場でおこなわれている猫雑貨店へ。カミサンの仕事のお勉強だ。客の入りは上々のようだ。この手の雑貨は人気があるらしい。
 
 最後に、ロンロンでトンカツを二枚ほど購入して帰宅。夕食用だ。
 
 帰宅後はまたひたすらに光晴の書写。日曜夕方のお楽しみだった『サイボーグ009』が終わってしまって寂しい。
 
 夕食はカツカレー。お腹いっぱい。
 
 夜も腰グルグル体操。坐骨神経痛、気のせいか快方に向かっているようだ。つづけようと思う。
 
 古井由吉『忿翁』より、『白湯』『巫女さん』読了。記憶の断片と、現在との往復。ただそれだけの短編小説なのだが、登場人物の人生がまるごと語りつくされているような感覚に陥る。
 この作品集のテーマは「老人」のようだが、歳をとることの重み、軽み、それにともなう感情と思索、そして歳をとることではじめて得ることができる、時間を俯瞰できる視点、というような感覚、そんなものが作中に随所に現れる。しかし、それがどこなのかを指摘することができないのがくやしいし、またおもしろくもある。だから、この作品は引用ができない。全部読むしかないのだ。
 
 
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10月26日(土)
「笑うな/だらけた寒さ/ちっこいオッサン/腰をグルグル」

 
 五時。腹が冷える感じがして、目が覚めた。愛用のシルクの腹巻きをしてから(笑うな!)、ついでに花子にご飯を与え、もう一度蒲団へ。
 
 十時起床。うすら寒い。冬の気配が近づいている、というのではない。秋の雨が、そして雨雲が陽光を遮り、それでちょいとばかしいつもよりは寒くなってしまった、そんなところだろう。ニュースによると、今日は十二月初旬の寒さだったのだという。これには実感がもてなかった。十二月の寒さは、躰のなかに直接スッと差し込んでくるような、そんな寒さだ。今日の寒さは、だらけている。そう思った。
 
 午後より新宿へ。差し迫った親父の誕生日プレゼントを買いに。毎年「服がほしい」という父は身長が一六〇センチに満たないちっこいオッサンなので、サイズを探すだけでえらく苦労する。ぼくら夫婦は、すこしでもいいものを、なるべく安く(なんせ貧乏ですから)買ってあげたいので、いつも百貨店の紳士服セールを上手に使って贈り物を選ぶことにしている。今日は、まず新宿伊勢丹へ。ウチの親父好みの、渋い色合いだけど決して地味ではない、イタリア製のセーターを見つけるが、残念ながらサイズがない。インポート者をちっこいオッサンに着させようという魂胆自体がまちがっていることに気づく。伊勢丹の、別の会場でやっているセールものぞいてみるが、こちらはスーツと若者向けのブランド品ばかりで、ふさわしい服がまったくない。はずれがつづく。だんだんイラついてくるが、抑える。つづいて三越へ。こちらも、なんだかよくわからないが催事場でいろんなもののセールをやっていた。ここでようやく、デザインもサイズも納得のセーターをみつける。イラつきもおさまった。安心して店を出る。ほかのフロアはみなかった。ヴィトンやティファニーには興味がないし、用もない。
 
 紀伊国屋書店へ。昨日から気になっている「山田式ゴムバンド健康法」にかんする書籍がお目当てだ。家庭医学のコーナーで一冊みつけるが、本の半分以上が「やってみて効果絶大! ありがとう山田先生」という内容の手記ばかりで辟易してしまう。が、腰痛、坐骨神経痛ともに効果はありそうだ。
 
 つづいて小田急百貨店へ。九州物産展で試食あそびに興じる。薩摩揚げやゴボ天は好物なのでうれしかった。明太子もすきなのだが、今日販売されていたものはほとんどが着色料や添加物を使用したものだったので、試食せず。こういう場では、生ものはなるべく食べないことにしている。遠方から運んでくるものだ、おそらくはなんらかの化学的処置をほどこしているにちがいない。明太子ではないが、うっかりイカとなにかの和え物を試食してしまい、香料の多さに呆然としてしまった。ほか、奄美大島の黒糖焼酎など。これはぼくの好みには合わなかった。黒糖の香りが強すぎるのだ。
 健康グッズ売り場で山田式ゴムバンドを購入してから帰宅。
 
 帰宅後、さっそくゴムバンドを試してみる。腰ではなく、骨盤の周囲に巻くようにするのが基本だ。で、朝晩二回以上、躰を軸にして腰をグルグルと回す運動を左右五十回ずつ繰り返す。痛んでいた部分が伸びるような感じが心地よい。しばらくつづけてみようと思う。これで直るはずだ、と信じてみよう。
 
『猫の文明』読了。想像力を暴走させることが、こんなに上手な人はほかにいないと思った。
 古井由吉『忿翁』より、『白湯』。何気ない日常のなかでの、ちょっと変かな、と思えるような体験を、ヨリ、ヒキ、さまざまなアングルから捉え、最終的にはそれらをひとつの塊として結びつける手法。ちょっと真似できないよなあ。
 
 

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10月25日(金)
「曖昧な季節/率直な感想が/山田式」
 
 雨はやんだようだ。八時起床。今年の秋は秋らしくないなと感じる。夏と冬のあいだを優柔不断にふらつきつづけているようで、着るものに困ったり、油断して寝冷えしてしまったり体調を壊したりと、翻弄されつづけている自分が情けない。苦しんでいる坐骨神経痛も、この曖昧なとらえどころのない秋の所在にいらつくゆえの症状なのかといぶかってしまう。が、おそらく直接の関係なんてないだろう。こちらは割り切るしかない。いや、正しくはこちらも、か。天気や季節も、ぼくら人間はただただそれを受けいれるしなかいのだから。
 
 朝のニュースで、横田めぐみさんの娘のインタビューをみる。率直な感想が出てこないのは、ぼくの脳みそと好奇心が北朝鮮の拉致問題にかんする一連の情報に麻痺しだしているからだろうか。それとも、人情を感じる心を失いかけているからだろうか。両方のような気がする。なんせ、最近は忙しすぎる。他人にかまってなんかいられるか、ということばがスラリと出てきてしまうような有り様なのだ。これでいいのか、わるいのか。さしあたってぼくがするべきことは、混乱しかけた仕事をしっかり整理し、軌道に乗せること。心に余裕がほしい、とすこしだけ思った。
 
 九時よりお仕事。
 
 仕事のあいまに、インターネットで坐骨神経痛の治療方法を調べてみる。山田式ゴムバンド健康法というのが気になる。ゴムバンドを尻に巻いて、腰をグルグルまわすことで骨盤の位置を矯正するのだそうだ。明日、バンドを買いに行ってみよう。
 
 夕食はカミサンと焼き肉「力車」にて。タン塩、ホルモン、ハラミ、辛口キムチ、レバ刺し、キムチ冷麺。
 
『猫の文明』。猫のお茶室妄想から、犬小屋のお茶室妄想へ。
 
 
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10月24日(木)
「坐骨神経痛より、それが原因で精神がダメージを受けることのほうが問題だったりして」

 
 八時。花子が胸の上に乗っていた。最近すこしずつ重たくなってきた花子のカラダを振り払って身を起こそうとしたら、案の定、また坐骨神経痛。整体もダメ。整形外科もダメ。鍼もダメ。いったい、どうしたら直るんだ。朝から絶望的な気分になったが、顔を洗ったら、そうでもなくなってきた。洗顔の癒し?
 
 九時、事務所へ。今日もE社、N不動産など。忙しすぎて、仕事以外に書くべきことがみつからない。困ったもんだ。
 
『猫の文明』。今日読んだところは、犬ばっかり出てきた。犬の文明。
 
 
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10月23日(水)
「猫踏んじゃった、になりそこね/物語になっていない物語」

 
 八時起床。出かけるまぎわのことだ。麦次郎はいつものように呑気な表情で、ぼくの足下にすり寄ってきた。もう家を出なければならないぼくは、麦次郎に構わず歩き出す。すると、この馬鹿猫め、ぼくの足と同じ方向に歩き出し、危うくぼくは猫踏んじゃった、になりそこね、踏んではいかんとバランスをくずしながらも足を交わすと、またまた麦めはぼくの足と同じ方向に動きやがって、ありゃま、ぼくの足は二度、三度と宙を不安げに、そして不安定にふらりふらりと舞いつづけ、ここまでおよそ一秒間、つぎの瞬間、ぼくは廊下でみごとに転倒した。
 
 九時、出社。ハウスメーカーE社のウェブサイト、不動産会社N社アドトレインなどに集中。十六時より、N社撮影のため大崎へ。アイリッシュ・パブを取材する。
 
 二十二時、帰宅。『マシューズベストヒットTV』をすこしだけ観る。
 
 古井由吉『忿翁』より、『槌の音』読了。物語、というにはあまりに断片的で短すぎる小説なのだが、それでもぼくは「物語」を意識してしまう。つづいて『白湯』を読みはじめる。
 赤瀬川原平『猫の文明』。ぎりぎりのところで、小説にならずにエッセイの土俵で踏みとどまっている。想像力のコントロールがたいへんそうだ、と思った。もう「尾辻克彦」名義での小説は書かないのだろうか。
 
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10月22日(火)
「遅れと収束」

 
 八時起床。だいぶ恢復したが、今度は坐骨神経痛が。あちらを立てればこちらが立たず。ああ、情けなきはわが肉躰。ぼろキレのごとき悲惨さなり。
 
 九時、事務所へ。昨日の遅れをとりもどすために、やっきになって働きつづける。連絡の不備やコミュニケーションの不十分さに起因する、細かなトラブルが多いような気がする。よくない傾向だ。
 仕事の合間に、「身心健康堂」でいわれたとおり、鍼を打たれた場所を指圧してみる。すると、あれほどぼくを苦しめた坐骨神経痛が、たちまちやわらぐ。でも、これって神経系を圧迫することで、一時的に痛みをやわらげているだけじゃないのか? だとしたら、痛みどめのモルヒネとなんらかわらん。抜本的な解決策になっていない。
 二十二時、収束。帰宅。
 
 どうやら『MUSIX』でモー娘。の新メンバー募集告知がでたらしい。さて、どんな子がはいるのやら。
 
 今日はバタバタだったので、本はまったく読まず。あ、いや、『スピリッツ』は読んだか。でも、あれはノーカウントだな。
 
 
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10月21日(月)
「早退/添い寝」

 
 喉の痛みと咳に悩まされはじめた。何度も目を覚ましてしまう。
 九時、病院へ。やはり風邪、とのこと。昨日倒れたのは、たんなる疲れではなかったということか。処方箋をだしてもらい、薬局に寄って薬を買ってから事務所へ。あちゃ。だめだ。だるくて、ボーッとしてしまって、仕事にならん。最低限のことだけ済ませて、早退することに。こんなこと、めったにない。
 
 午後、帰宅。ベッドに潜り込んだら、麦次郎が添い寝してくれた。花子のヤツも、そばで寝ていたらしい。
 
 薬が効いたのか、睡眠がよかったのか、夜にはかなり恢復。しかし、調子に乗らず今日ははやめに寝ることにする。
 
 病院の待合室で『忿翁』より、『槌の音』。中上の『岬』に似てるな、と思ったが、まだ読みはじめなのでわからない。
『猫の文明』。ひと言で言うと、論理的な妄想。
 
 
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10月20日(日)
「取材と根性」
 
 九時起床。午後より、N不動産が管理する複合施設「H」内にあるプラザの取材。九店舗を立て続けにまわりつづける。昼食抜き。疲れた。十八時、終了。
 帰る途中で新宿に下車。「コーヒー ベルグ」で軽く食事を摂る。つづいて、紀伊国屋書店一階にあるシガー専門店「加賀屋」へ。最近気に入っているハッカを満喫するために、ハッカパイプを購入。国内有数のパイプ職人がいる柘製作所がつくったブライヤー製のものだが、マドラス型ではない。タバコフィルターみたいなかたちだ。千八百円は安いと思う。さいごにHMVへ。キング・クリムゾン『しょうがない』、ピーター・ガブリエル『UP』、JBK『PLAYING IN A ROOM WITH PEOPLE』を購入。どれも、ほしかったけど買えなかったCD。
 
 帰宅後、倒れる。体力の限界か。それでも『三四郎』、赤瀬川原平『猫の文明』を読む。根性。
 
 
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10月19日(土)
「ふたたび、みたび/ハッカマニア/忿翁」

 
 坐骨神経痛が睡眠をおびやかしはじめた。寝がえりを打つたびに臀部、鼠径部がズキリと痛み、目を覚ましてしまう。花子にご飯をやるのもひと苦労だ。痛がっていると、ぼくの横で寝ている麦次郎も目が覚めてしまうらしく、暗闇のなかからじろりとぼくをみるのが、ヤツの眼光でよくわかる。最近さらにズッシリしてきた麦次郎の躰をそっとなでてやると、痛みがなぜかすこしずつ和らぐような気がした。やがて、いい加減な睡魔にふたたび、みたびと襲われる。
 
 十時起床。
 十三時、身心健康堂にて坐骨神経痛の治療。副院長、「つらいときは、今日鍼をうったところを指圧すれば、痛みはやわらぐよ」とアドバイス。なるほど。やってみよう。
 十四時すぎより吉祥寺へ。パルコブックセンターにて笙野頼子『S倉迷妄通信』、金子光晴『女たちへのエレジー』、中上健次『鳥のように獣のように』、奥泉光『バナールな現象』を購入。いつものおねーちゃんは、今日はとなりのレジ担当だったのだが、ひまだったのでブックカバーの取り付けを手伝ってくれた。
 つづいて『北海道物産展』をみに伊勢丹へ。ハッカスプレーとハッカの結晶を購入。最近、なぜかハッカがマイブームなのだ。今いちばんほしいものは、なにを隠そう「ハッカパイプ」である。お祭りの屋台で売っている、こどものおもちゃ、というか、お菓子というか、よくわからんが、とにかくあのテレビのキャラクターをかたどったプラスチックの容器にハッカのようなものがはいっている、あのパイプではない。ハッカの清涼感を純粋にたのしむための専用パイプというものが存在するのだ。さほど高価なものではないのだが、なにせ取り扱っている店舗が絶対的に少ないのが困りものだが、なんとか見つけ出そうと思っている。
 ロヂャースにて、猫のご飯を購入してから帰宅。
 
 二十一時より、テレビ東京の『美の巨人たち』は録画することにして、NHKの北野武/ビートたけしの番組を観る。うーん、演出が散漫で、集中してみていられない。分裂病患者がテレビ屋になったら、こんな番組をつくっちまうんじゃないか、そんな感じまでしてくる。いや、分裂病患者を差別するつもりは毛頭ないのだが。
 
 古井由吉『忿翁』を読みはじめる。『八人目の老人』。独特の文体に圧倒される。変幻自在の描写力。想像力を描写力が追いこしている、そんな感じがした。
 オースター『リヴァイアサン』。マリアと娼婦リリアンのエピソード。
 
 
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10月18日(金)
「今日の事件簿」

 
●ひさびさの朝ご飯ヌキ事件
●一日中頭痛事件
●ハッカパイプがほしいのよ事件
●町田康読了事件
●惣菜食い尽くし事件
 
 
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10月17日(木)
「忘れた/効いていない/最高潮/なぜだか/対談」

 
 なんだかよくわからない夢をみた。なんだかよくわからないことだけ覚えているのだが、あとはさっぱり忘れてしまった。
 
 八時起床。いかん。坐骨神経痛が悪化している。鍼治療が効いていないのか。困った。
 
 朝のテレビ番組は、今日も拉致被害者のニュース一色だ。横田めぐみさんがキーパーソンになってしまっている。もともと拉致被害者のなかで彼女はひときわめだっていただけに、世間の注目度は最高潮に達している感じがする。被害者の皆さんは、この報道フィーバーをどう思っていらっしゃるのだろうか。
 
 九時、出社。今日はなぜだかコピーライティングだけでなくデザインまでしてしまう。これが自分でいうのもなんだがどういうわけか結構いい出来。ちょこっとした仕事は、今度から自分でこなしちゃおうと思う。二十三時、帰宅。
 
 夕方、ぷらりと古本屋に出かけて『文學界』の先月号を三百円で購入したが、まだ読んでない。オースターの翻訳を手がける柴田元幸氏と高橋源一郎氏の対談が目当て。
 
 
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10月16日(水)
「帰国者たちの繰り返し映像/ケツ顎/町田康の技巧」

 
 八時起床。テレビの電源を入れると、どの局でも北朝鮮に拉致された人たちの一時帰国を特集していた。こういうときは、どのチャンネルを見るべきなのだろうか。夕べ、最後に見たチャンネルのままにしておくべきか。毎朝必ず見ている番組にすべきか。まあでも、そんなことで悩む人はいないだろう。などということを漠然と考えながら、タラップから降りてくる、朝鮮名をもつ日本人の皆さんの姿を何度も何度も繰り返し放送する番組を見ながら身支度をした。彼らには、滞在期間中は寝不足にだけはなってほしくないな、と思った。
 
 九時、出社。O社のちょいと小難しいパンフレットのコンペ用のコピーに専念する。集中しすぎて、気持ち悪くなる。
 夕方からはN不動産のコピーのアイデア出しを、自慢の長刀研ぎ万年筆ロジウム仕上でヌラリヌラリと。
 
 二十時三十分、退社。
 
 二十一時より『天才柳沢教授の生活』。原作とは微妙にちがう松たか子とーちゃんの演技も棄てたもんじゃない。目が細くないのでやだなーと思ったが、見てみると自然だ。ちょっとラマンチャの男が入っているのではないか、とも思った――見たことないけど。
 二十二時より『サイコドクター』。これも『週刊モーニング』原作だなあ。竹野内豊って、すっげえケツ顎だなあと思った。ほんとうに顎からウンコしそうだ。
 
 町田康『ふくみ笑いb/wあぱぱの肉揉』。描写が技巧的だと思った。
 
 
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10月15日(火)
「おおいに困る/おおいに助かる」

 
 夕べはちょっと中断していた漱石の「三四郎」を読んでから十二時三十分に寝たが、二時に目が覚めた。カミサンが蒲団に入るのに気づいてしまったのだ。もう一度寝る。四時、花子に起こされる。ご飯をやってからまた寝る。六時、また花子に起こされる。撫でてやる。また寝る。八時、目覚まし時計に起こされる。今度はちゃんと起きる。眠い。
 
 洗面所で寝癖を直そうとしたら、ドライヤーが壊れていた。おおいに困る。
 
 九時、事務所へ。先日義母(に指図された義弟)が大量に持ち込んだ観葉植物に囲まれながら仕事をする。なぜかはかどる。集中できる。これが植物のちからか。癒しとはまた違うなにかがあるのだろうか。わからん。でも、いい気分だ。
 
 十時、神戸の『ナガサワ文具センター』で注文したセーラーの長刀研ぎ万年筆・二十一金ロジウム仕上げが到着する。早速インクを入れて試し書き。おお、いい感じ。
 
 十八時、渋谷へ。デザイナーL氏と打ち合わせ。渋谷という街は、なんど来てもなじめない。歩きづらい。落ち着かない。こういう場所とは、やはり距離を置いておこうと思う。
 
 打ち合わせ終了後、さくらやでドライヤーを物色する。話題(でもないか)のマイナスイオンドライヤーを見てみるが、どれも八千円以上する。ところが、イオン機能のないものは、千円くらいで買えてしまうのだ。おおいに困る。事務所にいるカミサンに電話して、どうしようかと相談。事務所に使っていない千円のドライヤーが置いてあるよ、とのこと。しばらくそれを持ち帰って使うことで合意。おおいに助かる。
 
 二十一時、業務終了。桂花飯店で夕食。
 
『群像』十一月号。
 高橋源一郎『メイキングオブ同時多発エロ』。この作品の成否は次号にかかっているな、と思った。
 井口時男『小説の現在2002 ドン・キホーテ的闘争 ――大江健三郎『憂い顔の童子』を読む』。『取り替え子』との関連性、『どん・キホーテ』との関連性と差異について。『取り替え子』はあいまいな現実のなかに埋没するかのような虚構のなかで展開する小説(なんだそりゃ)だったが、『憂い顔の童子』は虚構でありつづけることで攻撃的なまでの「小説らしさ」を獲得し、自由な発言を可能にした作品。というようなことが書いてあった。そのとおりだと思う。
 町田康『ふくみ笑いb/wあぱぱの肉揉』。なんだこの小説? わけわからん。町田康にしてはポストモダンだなあ。
 
 
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10月14日(月)
「体育祭の夢/プスリの恐怖/丸善にて」

 
 ハッピーマンデーによって不自然な祝日にされた体育の日。体育日和? 運動会日和といったほうがイイかな、そんな感じの空模様。ちょいと汗ばむが、不快ではない。
 
 四時、花子ご飯。九時に目が覚めるまでのあいだに夢をみた。ぼくは高校生で、所属していた陸上部の部室にたむろしている。体育の日だからだろうか、今日は体育祭だ。もうすぐぼくの出番。ふだん、レースにはとがったスパイクが六本もついた百メートル専用のシューズを履くのだが、今日は素人相手だ。スパイクはつかわず、ノーマルなソールのジョギングシューズで勝負する。まあ、ぶっちぎりで勝つことはわかっているが、ジョギングシューズで全力疾走したときにすべって転倒するおそれがあることだけが不安だ。ぼくはスタンバイするために、部室に置いておいた自分のジョギングシューズ――ナイキのものだ――を探す。あれ? 見つからない。あちこし探し回るが、やはりシューズは出てこない。ふだんは立ち寄ったこともない玄関口の下駄箱――クラスの連中がキライだったぼくは、下駄箱はつかわずいつも部室に直行し、そこで上履きに履き替えて校舎へ向かった――にも行ってみる。だが、やっぱり見つからない。さあ、どうしよう。クラスの連中は、どうやらぼくの足に期待しているようだ。だが、アイツらの気持ちなんてどうでもいい。走れない。ただ、それだけが悔しいのだ。焦る。時間だけが過ぎていく……。
 
 九時、花子に起こされ夢は中断。リアルな夢だったなあ。しかし、ぼくは高校時代に体育祭に参加したことは一度もないのだ。なぜなら、体育祭の日は陸上部の地区予選の日程と重なっていたから。思いかえすに、こういうことの積み重ねが、あの頃のぼくを「クラス嫌い」にしていたのだろうな。まあ、いいや。
 
 十一時、『身心健康堂』へ。副院長に施術してもらう。まずは鼠径部や臀部、足全体などのマッサージ。肘をつかって、張りのある箇所をグイグイと押される。これが痛くて堪らないのだが、弱みをみせたくないのでただひたすらに耐えた。鼠径部に鍼をイッパツ。やはり鍼だけは何度やっても慣れない。そうだ。ぼくは子どものころ躰が弱くて、大腸カタルだったかなんだったか、その手の病気にかかったときに連日繰り返し繰り返し注射を打たれつづけ、注射恐怖症になってしまったことがある。プスリとやられると、貧血を起こして倒れてしまうのだ。あれから二十数年、もうそんなことはないのだが、それでも注射はもちろん、採血されるときや鍼を打たれるときは、ついつい躰中の神経がピキンと身構えてしまうようだ。そんな、ぼくの弱っちい部分も、副院長にはしっかりと見抜かれていた。ああ、情けない。他、尻、腰、頚などにプスリ、プスリ。
 
 十四時、銀座へ。先日結婚した従妹のWへのお祝いを買う。有楽町西武の『アフタヌーンティー』で、カジュアルなティーカップセットに決定。気に入ってもらえるといいのだが。ついでに、カミサンがワイズやリミをはしごするが、なにも買わず。向かいの有楽町阪急で『アランジアロンゾ展(なのかな?)』を観る。絵本を数冊。
 
 マリオンからプランタンの前をとおり、八重洲まで歩いてみる。日本橋丸善へ。赤瀬川原平『猫の文明』、村上春樹・佐々木マキ『羊男のクリスマス』。地下の文具コーナーで高級万年筆にしばし見とれる。だが、ほしいと思うものはなかった。
 
 十八時、帰宅。夕食は手軽にお好み焼き。中山美穂主演の月九ドラマ『ホーム&アウェイ』を観る。承転結起という構成、一話完結型連ドラの王道だな。
 それから、ビデオに撮っておいた『サイボーグ009』。あれ? 最終回みたいだ。神々との闘いはどうやら「さあ行くぞ」で」終わりらしい。激しく失望。009最終編の草稿のアニメ化ではなかったようだ。日の目をみることはあるのだろうか。
 
『憂い顔の童子』読了。作中で加藤典洋の批評を逆に批評しかえすとは。ヤラレタ。この作品は、『取り替え子』でつくった作品世界――それは限りなく現実に近く、曖昧であるようだが、しかしやはりフィクションだ。しかし、現実抜きでは読むことができない――に決着をつけるだけでなく、批評家を含むあらゆるものにケンカを売るために、書かれたのではないかと勘ぐってしまう。次に書かれるであろう、『最後の小説』は、大江氏にとっての『最後のケンカ』になってしまうのかもしれない。
 
 さて、明日からは『群像』の源一郎氏の連載を読もう。それから、オースターの『リヴァイアサン』も再開だな。
 
 
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10月13日(日)
「放尿と植物」

 
 夕べ、ビール飲みすぎたかな。四時、蒲団から抜け出して便所へ。もぞもぞと明かりもつけずに廊下をうろつくぼくの気配を察したのか、花子が起きだしてしまう。慌てて便所に入り、渾身のちからを膀胱に込め、かつて体験したことのないような勢いで放尿する。ふつうに出すより、五秒は短縮できたはずだ。そそくさとチンコをしまい、仕上げに水を流して便所を出る。花子が騒ぎだすまえに蒲団に潜り込む。「ご飯くれ」とは、まだいいださない。そこから先は覚えていないので、たぶんずっと花子は騒がなかったのだと思う。
 
 しかし、沈黙はそう長くはつづかない。六時、フニャフニャと鳴く花子の声で目が覚める。迅速にご飯をあげ、迅速に蒲団に戻ろうとしたが、また尿意を感じてしまい、便所に行く。
 
 九時、ちゃんと起床。また便所へ。オレの膀胱、どうなっちゃってるんだろう。まあ、いいや。
 
 十時、事務所へ。ドアを開けて愕然とする。フロア中が、観葉植物だらけになっているのだ。それも、すべてが背の丈一メートル以上のでっかいやつ。緑色のがさがさしたものがあちこちに無造作に置かれ、気のせいか事務所全体が有機的な物体に変化したように見えた。
 なぜこうなったかはわかっている。先日東京へ越してきた義理の母が、自分の家に置ききれない植物が山ほどあるから取りに来い、といっていたのだ。ふたつかみっつくらいはほしかったが、仕事がちょいとたてこんでいて、それを選びにいく時間がつくれない。そうしたら、こんどは義理の弟が気をきかせて事務所まで運んできてくれたのだ。義弟は神楽坂で飲食店を経営しているもんだから、帰りはいつも明け方だ。おそらく早朝に、そうだ、ぼくが猛烈な尿意に襲われ力いっぱい放尿していたころに、義弟は義母の家から植物を引き上げ、ぼくが花子にご飯をあげるよりもはやい時間にここにやってきて、とりあえず義母に「もってっといて」といわれた植物をすべて、どっかんと置いておくことにしたのだろう。
 ふたつかみっつでいいって、いったじゃないか。
 なんて意見は、義母には通用しない。おばさんとは、そういう生き物だ。
 仕事をはじめるまえに、とりあえず植物を置く位置だけをととのえる。それから、水やり。うわ。今までの三倍は時間がかかる。どうしよう。なんてことをしていたら、なんだかもらった植物すべてがカッチョよくみえてきて、おまけにいとおしく感じてきた。仕事をはじめた十一時ごろには、すっかり平常心にもどっていた。
 緑に囲まれた状態で、O社の企画。集中力が途切れがちだった仕事だったはずだが、植物のちからなのか、はたまた別のちからなのかはよくわからないが、今日は妙に効率良く進めることができた。不思議だ。
 
『サイボーグ009』は、ビデオにとっておくことにした。十九時、帰宅。
 
 十九時より、テレビ朝日の特番を観る。テーマは「色彩」。北野武の新作『Dolls』、山本耀司、スタジオジブリ、立木義浩、メキシコの建築家(名前忘れちゃった)。
 
『憂い顔の童子』。「老いたるニホンの会」による、六十年安保のデモの再現。風車に立ち向かうドン・キホーテのパロディかな。
 


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10月12日(土)
「ギロリ/上手な息抜き/ほかのパフォーマンスと紙一重だなあ」

 
 薄ら寒くて六時に目が覚める。花子が騒いでいたわけではないのだが、ついでだからご飯をあげることに。タオルケットを引っ張り出し、蒲団の下にそいつをすべりこませてからもう一度寝る。横を見たら、カミサンの枕の上で麦次郎が両目を開けてギロリとこちらをにらんだ。なでてやったが、無反応だった。
 
 九時起床。「建もの探訪」を見てから出社。O社のキャンペーン企画に終始。昨日もそうだったのだが、O社はぼくの仕事のなかで占める割合が多すぎるためか、最近はちょっと飽きているようで、O社の仕事をするときに限って集中力がつづかない。イヤなわけではないのだが、仕事を愉しめなくなっているようで、そうなるとこれはもはや末期症状、なんらかの手をうってリフレッシュすべきなのだろうが、その方法が今のぼくにはわからない。
 
 二十時、退社。帰宅後、教育テレビの『詩のボクシング』を観る。詩というよりも、パフォーマンスだな。『誰でもピカソ』のアートバトルにつうじるものがあると思った。もちろん、新しい詩のかたちを提唱しようとする人や、純粋に現代詩としておもしろいものをつくっている人もいたのだが。
 
『憂い顔の童子』。あと四十ページだ。
 
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10月11日(金)
「今日の事件簿」

 
●ネタ切れ事件
●会社で『はるちゃん』事件
●ガム中毒事件
●集中力がつづかない事件
●ビデオで『花田少年史』事件
 
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10月10日(木)
「洟と宿酔い/二の腕の記憶」

 
 う。洟が出る。ちょいと咳も出る。おまけに頭が痛い。風邪かな。でも、頭が痛いのは宿酔いかもしれん。昨日、どういうわけか焼酎をグビグビといっちゃったからなあ。
 という、微妙に悪い体調だったがいつもどおり八時に起床、九時に事務所へ。
 
 十一時、赤羽橋にあるシステム会社のT社へ。ここに伺うときは都営大江戸線を使うのだが、新宿あたりで、派手なわけではないのだが、なんとなく存在感のある女の子をみかけた。ちょっとエスニックな感じのプリントものを重ね着し、ボトムはダブダブのジーンズのローライズでキメている。自然体がさりげなくてかっこいい。半袖からのぞく二の腕がちょいとたくましくて健康そうな感じだ。地下鉄だというのに、サングラスをかけ、ずっとドアから外側ばかりを見ている。ぼくと同じ赤羽橋で降りた。ホームに出た瞬間、どんな子なのか興味があったのでさりげなく顔を覗き込んでみたら、なんとまあ、その子の正体はソニンちゃんだった。ソニンちゃん、赤羽橋から麻布方面の出口に向かって歩いていった。スタジオかなにか、あるのだろうか。
 印象的だった二の腕。そうか、みょうに健康的に見えた裸エプロンから伸びていた、あのポスターの二の腕と同じだったんだ。納得。
 
 帰社してからは、E社ウェブサイトの原稿整理、O社キャンペーン企画など。ばかばかしいことを考える。
 
 夕食は「タイ風ラーメン ティーヌン」でカオパットパッカナー。ようするに、タイ風炒飯だ。カミサンはバーミーナム。
 
 帰宅後、ビデオに撮っておいた『はるちゃん6』を見る。いけない。昼ドラにはまってしまいそうだ。
 
『憂い顔の童子』。古義人の絶縁状の叩き付け方、カッチョイイ。ちょいと下品なので、引用できないのが残念。
 
 
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10月9日(水)
「今日の事件簿」

 
●純ちゃん、がんばってるね事件
●呑みすぎちゃった事件
●麦次郎、なぜ突然花子に向かって鳴いたのだ?事件
●「大きなのっぽのふるちんこ」という替え歌は、全国レベルのものではなかったのか? オレはてっきり「せとわんたん、しぐれてんどん」と同じようなもんだと思ってたぜ事件 


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10月8日(火)
「純ちゃんに呼ばれた」

 
 松田純ちゃんの夢をみた。
 女優業のかたわら、アルバイトで小銭を稼ぎ、財布の重みはなんとか保っているのかな。
雑貨屋さんらしき店の店員さんとなって、純ちゃんはお客さんにせいいっぱいの笑顔をみせる。その笑顔は、二年くらいまえまでは「タモリ倶楽部」とか「夜もヒッパレ」でよくみかけたものとおなじ笑み。ぼくは、ナマでみる純ちゃんに感激しつつ、また、ブラウン管をつうじてその笑顔をみたいな、と思った。ぼくは連れそっていたカミサンと、純ちゃんを励ます。ついでに、バイトなんかしないで女優業に専念しろよと助言もする。さらによくばっちゃうと、まえみたいにバラエティにいっぱい出たほうがいいんじゃないかな、とも思ったが、以前の純ちゃんのポジションはすでに乙葉に侵食されているみたいだから、それも無理かな。
 というところで目が覚めた。かたわらで花子が鳴いていたので、ご飯をあげつつ、ありゃま松田純ちゃんだよ、好きなんだけど、最近みないなあ、こないだの「ヒッパレ」最終回も出てなかったしなあ、なんて考えた。ふしぎな気持ちのまま、もう一度蒲団に入る。
 純ちゃんは、つぎの夢にもしっかり登場した。学校のようなところで、純ちゃんと話しこんでいたような気がするのだが、残念ながらディテールはおろかストーリーすら覚えていない。気がついたら、目覚まし時計が鳴っていたのだ。
 松田純。ちょっと気になったので、会社で空いた時間をつかって近況などについて調べてみたら、驚いたことにフジテレビ系列で十三時三十分から放送される、いわゆる「昼ドラ」に、先週から純ちゃんがレギュラーで出演していることがわかった。しかも、昼ドラとしては高視聴率を誇る「はるちゃん」シリーズの最新作らしいのだ。もちろん主役ではないが。
 純ちゃんに呼ばれたのだろうか。ちょっとふしぎな気持ちになった。
 それにしても、チョロの幻影から脱出できて、純ちゃんよかったね。
 
 十四時より築地のO社にて、化粧品メーカーウェブサイトの打ち合わせ。つづいて十六時より、代官山J社にて、OE社キャンペーンの打ち合わせ。
 帰社してからは、ハウスメーカーE社ウェブサイトの対応などに追われる。バタバタ、バタバタ。二十一時、帰宅。
 
「憂い顔の童子」。十四歳の少女が手錠をはめられたまま路上に、というワイドショーをにぎわせた事件が、ほぼそのまま組み込まれていた。そして、十六章「医師」。この章、とても重要なところだと思うのだが。
 
 
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10月7日(月)トナーの日
「ガガガガガガガガーザザーガガガガーとコポッ、コポッ、コポッ、コポッ、コポッ/ウェスタンファッションとヴィトンのバッグ」

 
 五時、花子の「ふにゃふにゃふにゃーん」という声に起こされる。この場合、「フニャフニャフニャーン」では、ダメだ。「ふにゃふにゃふにゃーん」が正しい。ようするにご飯をねだっているのだが、しかたなく起きあがると、いつもはグースカと眠りつづけている麦次郎が、花子の鳴き声に反応したからなのか、ぼくが起きる気配に気付いたからか、それはよくわからないが、めずらしくムックリと起きあがり、蒲団から這いだしてキッチンへと歩きだすぼくについてきた。缶詰めを取りだし、猫用の茶碗にもりつけてやると、麦次郎め、じーっとぼくのことを凝視している。ご飯を差しだしてみると、花子よりも先にむっちゃらむっちゃらとスゴイいきおいで食べはじめたので、少々面食らってしまった。
 それが不幸のはじまりだったのだろうか。
 六時。突然、家のなかにとんでもない雑音が鳴り響いた。「ガガガガガガガガーザザーガガガガー」。なんだこりゃ。なにやら、スピーカーをつうじて聞こえる音のようだ。起きあがって音の発信源を探しにリビングへいってみると、電話機のスピーカボタンがオンになっていた。これだ。花子か麦次郎、どっちかが踏んづけたらしい。あーうるさい。安眠妨害だぞ。スピーカボタンをオフにし、音を消す。ん。待てよ。ちょいとおかしい。なんでこんな、やかましい雑音が聞こえたんだ? ふつうなら、呼びだし中をしめす「トゥルルルルル、トゥルルルル」か、あるいは話し中の「ツー、ツー」が聞こえるはずじゃないのか? 先に気づいたのはカミサンのほう。あらためてスピーカボタンを押してみる。「ガガガガガガガガーザザーガガガガー」。ありゃ。スピーカ、オフ。鳴りやむ。受話器を取り上げる。耳のところまでもってくる。「ガガガガガガガガーザザーガガガガー」。ありゃ。これ、ひょっとして電話機の故障? ためしにADSLモデムをオフにし、モジュラージャックに電話機を直結してみる。「ガガガガガガガガーザザーガガガガー」。あーあ、ダメだこりゃ。故障だな、回線の。これ以上あれこれしても意味なし。寝る。起きてからNTTに文句いおう。
 蒲団に入る。ちょいとうとうと、としたのだが、それもつかの間、ぼくの眠りはまたもや猫によってぶちこわされた。
「コポッ、コポッ、コポッ、コポッ、コポッ」 麦次郎のゲロである。早起きして、はりきって朝ご飯を食べたのが裏目に出たらしい。なさけない。カミサンとふたりで、不機嫌になりながらコポッ、コポッ、コポッ、コポッ、コポッの始末をした。七時。
 
 ふう。寝た気がしないが、八時になったので起床する。まったく、麦の馬鹿。
 
 ここまで書いたら力尽きたので、以下は箇条書き
 
●蒸し暑い一日
●電話回線は自然復旧。NTTにも原因わからず。
●ししゃも弁当。
●鍼治療。痛いよう。
●「ひごもんず」のまえの、猫のたまり場になっている駐車場で萩原流行を見かける。この人、西荻在住。ウェスタンファッションにヴィトンのバッグ。
●なんか知らんが忙しい。
●パーカーのデュオフォールドがほしくなってきた。
●MN128は3,800円で売れた。
 
『憂い顔の童子』。「老いたるニホンの会」の章。長江古義人がどんどんドン・キホーテとオーバーラップしてくる。
 
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10月6日(日)トムの日
「ハッピーバースデー/チョロリ/最終編/チンコまるだし事件」

 
 花子の誕生日。七歳になる。
 
 久々に、なにも予定のない日曜日。どこかに出かけよう、などという気はさらさら起きず、十時まで惰眠をむさぼる。
 
 午後、チョロリとスーパーに買い物。あとは家のなかで読書、鳥籠掃除など。
 
 十八時三十分、「サイボーグ009」。この物語が石ノ森の遺稿かどうかはわからないが、「最終編」とはっきり表記されているのが気になる。制作側はかなりリキをいれているようだ。
 
 誕生日のお祝いということで、カミサンが花子にネズミ型の小さな手作りオモチャをプレゼント。花子、夢中になってそのオモチャを加えたり前脚ではじきとばしたりして愉しんでいる。よかったねえ。
 
 夜はテレビばかり。「鉄腕DASH」「行列のできる法律相談所」。
 
「四本のヘミングウェイ」。やはり、仙台の大橋堂主人のエピソードがいちばんおもしろい。大宰の「女生徒」の万年筆職人版といった感じ。壮大なるクロニクル。それから、セーラーの神様・長原翁のエピソードもよかった。自由な発想のできる職人らしい。こういう人、すくないんだろうな。
 
「憂い顔の童子」。森の不思議探検隊のエピソード。男子中学生のチンコまるだし事件があるのだが、うーん、大江氏には描写できない内容だったようだ。ここだけつまらん。
 
 
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10月5日(土)デューク東郷の日
「尿意/便意/てりやきマック/四本のヘミングウェイ」

 
 五時三十分起床。いつもなら花子に起こされご飯をせがまれ、しかたなく起きるのだが、今日はなんだかちがう。膀胱がみょうにたぷたぷした感じがする。尿意、だな。花子にご飯をやるまえにトイレに行ったら、ジョンジョロジョンジョロ、ぼくのしっこはいつまでも絶えることなく出つづけた。いや、ほんとは一分くらいでちゃんと出しきれたんだけど。残尿感はない。
 二度寝。九時三十分起床。十一時、事務所へ。昨日、こなしきれなかった仕事をぱっぱと片づける。プロバイダのネットワークのトラブルでcatkick.comのメールとホームページがいっさい使えなくなってしまい、仕事ができなかったのだ。まあ、五時間におよぶ打ち合わせに疲れてしまい、仕事をする気力が萎えた、という理由もあるにはあるのだが。
 
 十三時、昼食。「それいゆ」にてカレーセット。食べながら本を読んでいたら、隣の席にいた老夫婦にけげんな顔で注視されてしまった。非難したい気持ちはわかるが、ぼくは読書したいのだ。
 食後、近所の古書店「猫の手書店」へ。ウチは猫キックだが、こっちは猫パンチ、というところか。古山浩一編「四本のヘミングウェイ」を購入。例によって、またウン気づいてしまう。古書店の香りは便意を呼ぶ。 
 
 十六時ごろ、めどが立ったので前から野郎や老と思いつつ実現できなかった観葉植物の植え替えをすることに。パキラ、へんな豆の木(名前不明)、オリヅルランが育ちすぎてしまい、窮屈そうなのだ。いずれも、植木鉢を二まわり以上大きなものに替えてやることにする。ほじくりだしてやったら、根っこが植木鉢のなかに所狭しと繁殖していた。これじゃ、元気なくなるわな。
 
「憂い顔の童子」。マクドナルドの「てりやきマックバーガー」を食べる古義人たち。これって伏線なのかな。それとも大江氏が照焼きバーガー好きなだけか。
 古山浩一編「四本のヘミングウェイ」。ヘミングウェイとは、作家のことではなく、モンブランが九十二年に発売した限定万年筆の商品名だ。古山氏は万年筆マニアの美術教師。セーラーの長原翁やプラチナの渡辺貞夫氏、フルハルターの森山氏といった万年筆職人や専門店店主などのインタビュー集なのだが、古山氏が描いた万年筆のイラストが随所に配されており、これが文章との相乗効果となり、読み手をここちよく美しい、軽やかな物欲の世界へといざなってくれる。いい本みつけたなあ。明治・大正期の万年筆職人についてを語る仙台・大橋堂の職人、植原榮一氏の話は貴重。
 
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10月4日(金)トシちゃんの日
「足指まがりパート2/ドッチーモが好きな人」

 
 五時三十分、花子にごはんをあげるために起床。夕べの足指まがり事件はすっかり忘れていたのだが、歩いたらすぐに思い出せた。痛みで、だ。
  
 八時、二度目の起床(って、いつもそうなんだけど)。九時、事務所へ。鞄をおいたらすぐに病院へ行く。レントゲンを撮ってもらったが、骨に異常はなかった。亜脱臼というらしい。たいしたことのない、脱臼の手前、ということか。やれやれ。でも、今日明日は歩くのに難儀しそうだ。
 
 ヤフーオークションに出品しておいた携帯電話「ドッチーモN821i」が五千円で落札された。びっくりだ。落札者から電話があり、今日直接会って取引したいとのこと。快諾する。
  十五時、落札者と大崎駅で待ち合わせ。つぎの打ち合わせがゲートシティ大崎だったから、ぼくが指定したのだ。落札者はケータイマニアってやつかな、と思ったら、ドッチーモN821iのヘビーユーザだった。これから落札したN821iをもって、ドコモにいって機種変更するのだそうだ。
 
 十五時三十分より、N不動産の打ち合わせ。アドトレイン、着実にだが前進している。五時間も打ち合わせしてた。疲れた。
 
 二十時四十五分、帰社。二十一時、帰宅する。
 
「憂い顔の童子」。西郷さんと「童子」のエピソード。
 
 
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10月3日(木)トミーの日
「蟲と猫/外人三連発/わたくしは、今日も、そしてこれからも保田圭を応援します。あと、なっちも/ちんちんじじいも出てくるかな?/足指まがり/桃太郎の地形学」

 
 八時起床。トリを起こすために(籠の上から布をかぶせて、あかりを遮ってある)リビングへいってみると、トリではなく花子がなにやら騒いでいる。どうやら、家のなかで蟲をみつけたらしい。猫というのは、どうしてちっこっくてわらわら動くものにすぐ心奪われてしまうのだろうか。
 
 九時、事務所へ。エントランスで、ウチのビルの三階に住んでいる外人とすれ違う。息子を幼稚園におくりとどけた帰りのようだ。この外人さん、どんな仕事をしているのだろうか。朝夕は息子のおくりむかえ。昼間は家にいるらしい。はて…? 聞けるほどなかよくないからなあ。
 さほど忙しくないので、超マイペースで過ごす。E社ウェブサイトなど。夕方、郵便物を出すために外にでたら、また外人にあった。
 十九時、業務終了。またエントランスで外人に会う。三回もつづくと、なんだかおもしろい感じがしてくる。小さな偶然は、重なると笑いの対象になるらしい。むこうも笑っていた。
 
 帰宅後、夕食を摂りながら「マシューズベストヒットTV」を観る。あややはあいかわらず目立っている。天性のアイドルって存在するんだなあと思った。こういうとき、なっちはまったく目立たない。今日もなんだか冴えない感じ。なっち、蓋を開けるとじつはふつうの女の子だからな。今日の注目は保田とソニンちゃんかな。磯野貴理子がでていた。保田にいじめられキャラを伝授したいらしい。元おニャン子の新田もいる。「冬のオペラグラス」のころのビデオにびっくり。ぶさいくだなあ。保田のほうが256倍かわいいじゃん。それに、保田は歌がうまい。保田、負けるな。
 
 夜、先日の夜に放映された「花田少年史」をビデオで観る。一色まことが十年くらいまえに青年誌(なんだったろう? 雑誌名わすれた)で連載していた、いわゆる隠れた名作だ。昭和三十年代の田舎を舞台にした、やんちゃなクソガキの花田一路というお化けが見えるようになってしまった少年の物語だ。単純、素朴なのだがニンゲンの核心的な部分をするどく描く一色まことの作風と画がぼくは大好きで、この「花田少年史」も連載時から気にいっていたのだ。まさか深夜枠とはいえ、アニメ化されるとは。原作そのままのタッチに感動する。いいなあ。このあと、きっと「ちんちんじじい」も出るんだろうなあ。楽しみだ。
 
 寝るまえに、日課のストレッチ。足の指を一本ずつひっぱってマッサージしていたら、右足の人さし指が、なにかのはずみで、内側に九十度以上の角度に曲がってしまう。おまけに、指の長さがグイと伸びたような。ありゃ。やばい。足はどんどん痛くなる。慌てて冷やしたが、痛みは残っている。骨、やっちゃったかなあ。
 
「憂い顔の童子」。構造主義的「桃太郎」分析。物語の地形学。って、大江さん、このテーマでまえにも小説書いたよな。「M/T」だっけ?
 
 
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10月2日(水)トニーの日
「耳を噛む、爪を噛む」
 
 八時起床。躰が重い。台風のせいか、と思うが、そんなはずがない。外はカラリと晴れていた。気温はまださほど上がっていないが、今日は夏のような暑さが戻ってくるときいていたので、半袖を着ることにした。ただのTシャツだが。上からワイズのジャケットを羽織って出勤。歩いていて、結局いつもと同じ格好であることに気づいた。
 
 九時出社。日中はO社のラフ作成やN社原稿などに注力。夕方、少々時間が空いたので、不用品をヤフーオークションに出品する。以前使っていたドコモのドッチーモ、ヤフオクでは三千円くらいで、高いときは一万円近い値で取引されるらしい。楽しみだ。ほか、ISDNルータ、ボールペン、デザインソフト、ハウツー本など。ピーター・ガブリエルの「XPLORA 1」もうってしまおうかと思ったが、こちらは人気がないらしいのでやめておいた。
 
 九時帰宅。夕食をとりながら狂言サイボーグの野村万齊の出ている「陰陽師」を観る。日本映画はSFXやCGを使ってはいけない。虚構の作り込みに徹底的にこだわる文化が、この国にはないのだ。国際的に成功した映画を観よ。小津、クロサワ、伊丹、北野、ほとんどが特殊撮影に頼っていない。まあ、小津とクロサワは時代的にキビシイものがあるし、伊丹は「スウィートホーム」という特撮ホラーを撮ってはいるのだが。
 
「憂い顔の童子」。ちょっと気になる箇所をみつけたので、引用。主人公・古義人が足のリハビリのために、障害のある息子・アカリとアメリカ人女性のローズさんとともにプールに行く場面。プールで、中学生の水泳部チームとその顧問に出くわす。
 
 ――「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」。このことわざを知っとるか? この国にはな、いま「人権派」というのがはびこってやな、こういうことわざにも噛みつくのやぜ。それならば、不健全なる肉体はだめなのか? そういうのや! しかしこれはな、ラテン語からきとるのやで。"Mens sana in copore sano"というのや。
 あすこを見い! 外人に手を引かせて水のなかを歩いておるのは、普通でない人や。精神障害のことはいわん。しかし身体を見てみい。健全なる肉体とはいえんやろう? それは事実やないか?
 おまえらな、わしは名指しはせんが、二学期からはある人の特別授業ということで、月曜のトレーニングが潰されるのやぞ。プールは本来そのなかを歩くものや、グループで練習されると弱者には危ないとかな、特別授業では「人権派」の寝言を聞かされるのやないか?
 教師は太い頸に金色の鎖で吊っているホイッスルを強く吹き鳴らした。もう運動を止めていたアカリの白く太った腕が、水泳帽から出ている両耳を押さえるのが見えた。古義人は方まで水に沈み込むと、浮力に床を蹴る力を加えてプールサイドに跳び上がった。古義人は、つよく身体をねじってこちらを無視しようとする教師に近づいて、
 ――兄ちゃんよ! と呼びかけた。あんたは中学校の教師かい? それとも水泳のコーチか?
 ――わしはおたくの兄ちゃんやないよ。中学の英語担当で、中・高水泳部のコーチや。
 ――文武両道に秀でとるわけやな、先生。あんたの『引用語辞典』には作者のジュベナリスの名前も出ておらんやろうが、あんたのいうことわざにはな、まちっと別な意味があるのやよ。「健全な肉体に、健全な精神が宿っておるとはかぎらない。」強化訓練に選ばれた小さな頭をあおるためより、死に行くものを励ます詩なのや。
 ――特別講義の実習か? いいたいのはそれだけかい?
 ――もひとつ加えるならな、おたくはどうしようもないゲスや、ということかい?
 ――あんたが老いぼれた病み上がりやなかったら、相手になってもええんやが。
 ――離れてなら、わしにはどうしようもないやろうね。それでもおたくにつかまることさえできればな、耳に噛みついて離れんよ。わしの耳を見てくれ、こちらがやられた時に覚えたのや。
 じっと古義人の耳を見て、教師は子供じみた恐怖と嫌悪を示した。
 ――耳を書くのは、反則やないか?
 ――耳ヲ噛ムノハ良クナイカ? 障害者について間違ごうたことを子供に教えるのはな、もっと良くないね。
 古義人は、アカリとローズさんがすぐうしろまで来ていることに気付いた。二人に聞かれていたことで、自分のいったことへの嫌悪は倍加した。アカリをうながして歩き始める古義人に、
 ――爪ヲ噛ムノハ、ではないでしょうか? とアカリは尋ねた。
 障害者差別にたいする反論に注目しているわけではない。古義人の「耳を噛む」という行為と、アカリの「爪ヲ噛ムノハ」という質問の対比が気になったのだ。 
 
 
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10月1日(火)
「台風直撃、なんてたいへんそうなことがあると、かえって私生活は地味になるみたい」

 
 八時起床。ベランダの手すりが濡れているのを見て、雨だと気づいた。雨音はほとんど聞こえない。テレビのスイッチをいれてみる。台風が今夜関東地方を直撃すると報じていた。
規模も大きいらしい。少々心配になる。
 
 九時、出社。N社原稿など。十五時より代官山のJ社にてO社ウェブサイトの打ち合わせ。雨足はどんどん激しくなる。
 
 帰社後は打ち合わせ内容のまとめ。台風、どうやら今夜二十時ごろ東京を直撃するらしい。今日は割り切ることにし、十八時で店じまいにする。
 
「憂い顔の童子」。大江作品を読むといつも思うことがある。おもしろい。しかし、テーマが最後までわからないのだ。どこが伏線なのかもわからない。歳を重ねるにつれて丸くなっていく大江の文体に、まどわされているような感覚におちいることもある。 

 

 



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。妻は本サイトでおなじみのイラストレーター・梶原美穂。夏休みが満足にとれず、ちょっとストレス溜まり気味。

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