「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

 

■2003年2月


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2月1日(土)
「野望の人妻/奇妙な運命/はまぐりはイケてない」
 
 初詣でに行ったのはつい最近のこと、なんて思っていたが、どうやらぼくの時間感覚、脳みそ時計ははげしく狂っていたらしい。はやくも二月が来てしまった。時の流れの速さにある種の焦りのようなものを感じるが、何にたいして焦っているのかが、自分でもよくわからない。だから、あまりこういうことは考えないことにしている。
 
 九時十五分起床。今朝もテレビ朝日では渡辺篤史がよそん家のなかをうろつき、なでまわし、覗きこみ、ドアを開けたり閉めたりして悦に入っている。いつものことなのだが、おもしろいなあ、と思う。番組が、ではない。この人が、だ。
 
 十一時、事務所へ。忙しかったのでちょっとばかりさぼっていた掃除をする。フローリング用のクイックルワイパーを愛用しているのだが、数日分の汚れはしっかり布の部分に染みつくように付着している。この、汚れっぷりを確認する作業が好きだ。耳あかをとったときに、いっぱいとれるとなぜかうれしくなるのと似かよった快感を得ることができるのだ。しかし、今日の汚れかたは、そのうれしさを通りこすほどのタチの悪さで、こんなに埃のつもった事務所で何日も徹夜を繰り返したのかと思うと身の毛がよだだつ。掃除だけは、しっかりせねば。
 
 十二時すぎ、カミサンの友だちのめぐちゃんが遊びに来る。福島在住の人妻で、ダンナは異常に物欲の強い、腕白のいたずらジジイだ。めぐちゃん、地元で習ったブリザードフラワーとかいうお花のアレンジメントだかなんだかよくわからないが、奥様のお習いごととしてはわりと新しい分野の趣味を究めてしまったらしく、ネットでお店を開くという野望に燃え、個人事業を開業すると意気込んでいた。今回の上京は、ほかにも理由はあるのだろうが、その準備のため、という理由が大きいらしい。事務的な部分などをアドバイスしてあげた。
 めぐちゃん、実家は横浜で、夕べはそちらに泊まったそうで、今朝は東京駅経由で中央線でこちら西荻窪にやってきたわけだが、途中で人身事故があったらしい。自分が乗っていた電車が、神田駅あたりで人を轢いてしまったそうだ。ゴリン、と何か硬いもののうえに車輪が乗り上げる感覚が、足の裏をつうじて伝わってきたそうだ。めぐちゃんはこの類いのめずらしい体験ばかりをするという、ちょっとうらやましい――と書くと不謹慎だが――運命の持ち主だ。先日は、刃がむき出しになった包丁をもったオヤジがウロウロしているところを見かけたらしいし、そのすこし前には自分の前を通り過ぎたスクーターがいきなりはげしく転倒したらしい。学生のころは、電車のなかでのりあわせたオヤジに、いきなりほっぺたをぎゅううううううっとつねられたそうだ。
 昼食はめぐちゃんをつれて「海南チキンライス 夢飯」へ。絶賛していた。
 
 午後からはカミサンたちと別れ、ひとり事務所でレコード会社Z社のプレゼンの準備、伝票記帳などの事務処理。夕方、ちょっとつかれていると思ったので近所の「プラスドルポ」でマッサージしてもらう。二十時、退社。
 
 夕食は「西荻食堂YANAGI」で、あじのつみれ鍋。味噌仕立てになっていて、美味。あじの身の脂肪分と、つみれにしたときのつなぎの相性がよいのだろうか、つみれはなかなかこの味には出会えないぞ、というくらいに甘い感じがした。鍋についていたおたまの掬う部分がほたての貝殻になっているので「おもしろいねえ」とつぶやいたらオカミはすぐにそのことばに反応し、おなじデザインのものではまぐりになっているのもある、と言った。それはダサイよ、と言ってみた。みんな笑っていた。
 
 中上『千年の愉楽』。もうすこしで読み終わるのだが、今回は忙しかったせいか異常なスローペース。「YANAGI」でビールを呑みながら読んだのもマズかったな。
 
 
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2月2日(日) 
「めざまし電話/演歌の空/カレーをつくれ/世界をつくれ/考えるということ」
 
 九時三十分、電話の音で目が覚める。電話はベッドの右側に置いてあるラックの三段目に、目覚まし時計といっしょに置いてある。いつもダブルベッドの右側で寝ているから目覚ましを止めるのも電話に出るのもぼくの役目ということに自然と決められてしまったのだが、最近はプライベートでもケータイに電話してくる人が多いせいか、ベッドの横の電話なんてほとんど使ったことがなかった。それが突然鳴ったものだから、少々慌てた。受話器を取らず、間違えて目覚まし時計のベルを止めるボタンを押してしまった。おっと違う。寝ぼけた。受話器を取ると、カミサンの友人からだった。前の会社の同僚だから、ぼくの友人でもあるのだけれど。ちょっと話してから、カミサンと替わる。カミサンは、そのあとパジャマのままで一時間以上もその友人と話し続けた。ぼくはその間に着替え、部屋を片づけた。腹が減った。
 
 朝食後は読書、書き物など。夕方、スーパーへ買い物に行く。外は寒く、空はほんのすこしだけ鉛色がかった灰色で、重金属みたいな重苦しさがさむさといっしょにのしかかってきた。日本海の冬の空はこれをもっと極端にした感じだろうか。演歌だな、と思った。
 夕ご飯の材料を買ったあと、クリーニング店で服を引き上げてから帰る。
 
 帰宅後は服の整理。十年近く前にバーゲンで購入したコムデギャルソンオムのセットアップ、袖口がほつれだしているような有り様だったので、思いきって捨てることにする。心が痛むが、捨てないとクローゼットがいくつあっても足りなくなるから仕方がない。ほかにも、バーゲンで二〇〇〇円で買ったものの、一度しか着なかったノーブランドのシャツ、七、八年前に阿佐谷の七夕祭りで通りかかった洋服屋でたたき売りになっていたRニューボールドの麻のジャケットなども捨てる。
 
 夕食はスリランカ風カレー。すりおろしリンゴをいれて一工夫。できあがりは上々。大満足だ。
 
 中上『千年の愉楽』読了。「路地」は、固有の時の流れと倫理観をもつ、生と死が、聖と俗がつねに共存する、外界とは遮断された「世界」だ。中上の評価が高いのは、この「世界」の構築力がすぐれていたからにほかならない。
 巻末にあった、吉本隆明の『マス・イメージ論』から転載された『千年の愉楽』評を読む。学生時代に読んだが、『千年の愉楽』を読んでから読んだわけでは――ややこしいな――ないのでよくわからなかったのだが、いまならとてもよくわかる。あたりまえだが。つづいて、巻末のもうひとつの評論、江藤淳の『千年の愉楽』評も読む。こちらのほうが、的を射ているかな。
 
『群像』二月号より、高橋源一郎『メイキングオブ同時多発エロ』。無知で、アマタが弱くて、内向的なアダルトビデオの新人監督の語り。彼はアメリカの同時多発テロの、旅客機がビルに激突する瞬間の映像をみて、はげしく混乱する。ちょっと引用。
 
 あっ。
 ぼくは、声を出しそうになる。
「大きな恐れ」のはじまり、を感じたのだ。
 躯のどこか、頭のどこかに、「大きな恐れ」の芽生えのようなもの、をぼくは感じる。それは、ぼくの中で、いくつもの「繋がり」が失われてしまったからだ、とぼくには思えた。だから、ぼくは、その失われた「繋がり」を結び合わせなければならない。もし、もともと「繋がり」がないなら、新しい「繋がり」、を作り出さなければならない。
 でも、ぼくがそういうと、タナカさんは、考えるのは大切だけれど、あまり難しく考えてはいけない、ともいう。
 でも、タナカさんに会う前、ぼくは、考えるということ、をしなかった。ぼくは、考えるということに、慣れていない。だから、よく、まちがった考え方をしている、にちがいない。でも、それが、ぼくなのだ。
 
 何日か前から、風呂で諸星大二郎『西遊妖猿伝』を読んでいる。プロットの緻密さ、テーマの壮大さ、知識の豊富さ、物語としての完成度の高さ、どれをとってもすばらしい傑作だ。絵は下手なのだが。
 
 
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2月3日(月)
「花子の声と目覚ましの音/猫のための儀」
 
 四時五十分、花子の「ふにゃあぁん」という声がいきなり耳に届き、目が覚める。すぐに起きあがり、ご飯を与えてからもう一度蒲団へ。
 七時五十分、目覚まし時計が鳴る。花子の声には――そのとき感じた面倒臭さなどの感情はさておき――俊敏に反応しすぐさま起きることができるのだが、目覚ましの音ではそうはいかない。昨日は一日中家でだらだらと過ごしていたというのに、先週ずっと続いた連日の午前様は確実にぼくの躯をつかれさせていたようで、起きあがることができない。目覚ましを止めるために腕だけは動くのだが、それがせいいっぱいだ。音を止めた時点で、思考も止まる。そして五分が過ぎると、目覚まし時計はまた鳴りはじめる。止める。止まる。鳴る。アホみたいだが、こんな非能率なことを三回ばかし繰りかえしてしまった。そのあいだ、花子は一度もぼくの前に姿を現さない。ひなたぼっこをしているようだ。こういうときにこそ、起こしてもらいたいものだが。役立たず。
 
 九時、事務所へ。事務処理を済ませてからバスで荻窪税務署へ。バスのなかは相変わらずジジババばかりだ。たいていの人が、一区間か二区間で降りてしまう。体力の落ちた躯にはちょうどいい乗り物なのだろうか。都が援助しているのも人気の秘訣なのだろうが。
 青梅街道沿いに「ナチュラルローソン」ができているのを発見する。今度、行ってみようと思う。
 税務署から、歩いてオンデマンド印刷の「デジタルレディー」へ。名刺を受け取る。ぼくのと梶原の分で、合計七五〇〇円。
 荻窪ブックセンターとブックオフをちらりとのぞいてから、たつみ亭でメンチカツ定食。ブックオフはダメだ。ろくな本がない。『猿岩石日記』とか『ドロンズ日記』が一〇〇円で叩き売りになっていた。今どき、だれがそんな本を読むと思ってるんだ。はあ。
 
 午後からはZ社のウェブサイト企画に専念。夕方から、O社埼玉支店キャンペーンの折り込みチラシ。二十一時、帰宅。
 
 今日は節分だ。わが家では、節分という行事は人間のためではなく、猫のためにある。カミサンが夕方にスーパーで買ってきてくれた豆の袋を取りだすと、猫たちはそれだけで興奮しはじめる。どうやら、毎年恒例となっているこの行事、忘れられないほどに大好きらしい。ぼくは豆の袋を開け、結婚式のときにもらった升のなかに豆を入れる。猫にスタンバイしろと声をかける。花子も麦も、目が光っている。狩りのときの姿勢になる。「おにはー、そとーっ」掛け声とともに豆を廊下に沿うようにして、真っすぐに、勢いよく投げる。猫は猛然とダッシュし、バラバラと床に落ち、四方八方に散っていく豆を追いかけ回す。ぼくは猫が走っていった方向にスタタタと移動し、今度はそこから、はじめにいたリビングのほうに向かって「ふっくはー、うっちー」と言いながら、もう一度豆を投げる。パラパラパラパラ。ドドドドドドド。興奮しているせいだろうか、猫たちの足音はいつもより低音で、ドスがきいていてよく響く。パラパラパラパラ。ドドドドドドド。パラパラパラパラ。ドドドドドドド。これを何度か繰り返して、わが家の豆まきの儀は終了する。
 儀式が終わってからは、南南西に向かって太巻きをがぶりと喰った。
 
 久間十義『世紀末鯨鯢記』を読みはじめる。第二回三島賞受賞作。「鯨」も「鯢」も、クジラという意味だ。新聞社の社会部に席を置く主人公が、取材のために調査捕鯨船に乗り込むという話、らしい。
 なんとまあ、文章の作意に充ち満ちていることといったら! 作意がなければ文章は書けないが、作意を見せすぎると読者は読むという行為をやめてしまう。作意は押しつけとなり、そして押しつけられた文章は暴力以外の何者でもなくなるからだ。この作品は、そのギリギリの線を、綱渡りしているように思えた。度胸も技量も必要な書き方。
 
 
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2月4日(火)
「寝相のA級戦犯/♪北風ザラザラ吹いている〜/攻撃的なヴォネガット」
 
 八時起床。おかしな寝相だったのか、背中が少々痛む。が、ついこの前まで苦しめられていた坐骨神経痛にくらべたら、どうってことない。案の定、こうして日記を書いている今では、ほとんど痛まない。
 ウチのカミサンは寝相が悪い。異常に悪い。ぼくはいつも、カミサンに、知らず知らずのうちに自分の領土を侵犯され、そのまま侵略され、明け方ごろにはすっかり占領され、無条件降伏せざるを得ないような状態になってしまう。カミサンの侵略主義を裏であおっているのは麦次郎だ。ヤツはカミサンの枕――『通販生活』で買ったメディカル枕。一万二八〇〇円――を、毎晩日課のように占領する。領土侵犯されたカミサンは、足りなくなった国土を補うために、帝国主義的侵略計画を無意識のうちに実行する。そこでは主に「寝相で斜め作戦」や「そのままコチラにコロコロ作戦」などの、極めて狡猾な戦略手法が採用されているが、本人はそのような作戦を展開したことを、ほとんど覚えていないという。ったっく、寝相のA級戦犯だってぇの。
 
 九時、事務所へ。空は灰色で、空気は冷たく、乾いてザラリとしている。ついつい身を縮めてしまうのは、寒いから、という理由だけではなく、ざらついた冬の風に身をさらしたくないと本能的に感じるからか。
 
 日中はE社ダイレクトメール、O社埼玉支店の新聞折込みチラシなど。
 
 昼は『野菜倶楽部』の弁当。イワシの明太子漬けを焼いたやつが入っていたが、これは昨日、西友で特売になってたものを大量購入しお弁当のメインおかずとして採用したことを、ぼくは知っている。 
 
 夜、J社のL氏より電話。先日参加したA社のBtoB向けパンフレットコンペの結果。制作体制的な問題から落選だったが、評価はいちばん高かったとのこと。引き続き、一般向けパンフレットのコンペ参加を頼まれる。スケジュール的には厳しかったのだが、協力することにした。
 
 夕食は『わしや』の弁当。ステーキ丼。カミサンはポークカレー。個展のための作品作りがかなり忙しいらしい。ぼくがお願いしているイラストも、小物とはいえ何点かあるので大変だ。
 
 二十二時過ぎ、帰宅。入浴後、『西遊妖猿伝』四巻を読みながら、発泡酒と昨日蒔いた豆の残りで晩酌。
 
 久間十義『世紀末鯨鯢記』。序盤は、攻撃的なヴォネガット、という感じだ。
 
 
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2月5日(水)
「チンコがスプリンクラー/上司を殴れ」
 
 厠で小便。チンコをズボンから出して、膀胱を解放してやる。すると、ションベンがスプリンクラーみたいに、放射円状に排出された。飛び散る。飛び散る。
 という夢をみる。だれかに夢判断してもらいたい、と思った。
 
 八時起床。九時、事務所へ。家を出てすぐのところ、ウチのマンションから三軒くらい離れたご近所の庭にメジロが二羽、遊びに来ているのを見かけた。夫婦なのだろうか。二羽は仲よさそうに、空中に鎖か知恵の輪のかたちみたいな、複雑な軌跡を冬の冷えた空中に描く。抹茶色の小さな躯で、木の枝から枝へ、そして次の木へと、ちょこまかちょこまか移動する。雀より小さい鳥だ。見失わないように、と思ったのもつかの間、二羽はすぐに常用樹の葉のしげみのなかに消えてしまった。
 
 十時三十分、外出。愛用するPowerMac G4、ハードディスクがイカれたばかりなのだが、今度はキーボードがおかしくなってきた。ときどきなのだが、しっかりタイピングしているのに打ち漏れがある。リターンキーが押せない。斜めに傾いてしまうような感じだ。ぼくは職業柄マウスをいじっているよりもキーボードを叩いている時間のほうが長くて、おまけにタイピングが速いほうなので、キーボードがだいぶ痛んでしまったらしいのだ。仕方がないので、買い替えることに。家電量販店を何軒か回る。どこの店も品揃えは似たり寄ったり、キンアカ(印刷用語で、真っ赤っ赤のこと)と黄色でゴテゴテにされたPOPばかりが並び、そして何かの呪文みたいに、延々とその店のテーマソングがBGMとして流れ続けている。ここに何時間かいつづけたら、百人中二、三十人は気が触れてしまうのではないだろうか。あのような環境で自我を保ちつづけている家電量販店の店員はすばらしい精神力の持ち主だと思う。
 キーボードは結局ソフマップのマッキントッシュ専門店で購入したが、帰社後使ってみたら不良品らしく、ー(音引き)のキーと0、9のキーが、押したあとすぐに戻らない。ソフマップに文句を言ってやろうと思ったが、あそこは各店舗直通の電話番号を公表していないらしく、それだけでも客としては不親切さ、誠意のなさを感じてしまうのだが、まあ仕方ない。全国共通の問合せ窓口に電話してみると、ここの担当者がまたバカで、店頭にもってきてくれれば、あなたが言っていることが正しいかどうかをその場で検証して、商品に問題があるようだったら交換する、などと偉そうな口のきき方をした。電話でなければ殴ってやろうかと本気で思った。いや、殴るべきはこいつの上司か、教育係か。もとい、この会社の経営陣か。誰でもいい。殴らせろ。
 ソフマップのバカチンでは話にならないのでメーカーに電話してみると、着払いで送ってくれればすぐに修理なり代替品を用意するなりの対処をする、と快く応対してくれた。これが普通だと思うのだが。どうだ、バカチンめ。
 
 O社埼玉支店、E社ダイレクトメールなど。午前0時、帰宅。
 
 久間十義『世紀末鯨鯢記』。スゲエ構成力。情報量も多いなあ。
 
 
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2月6日(木)
「ちょっとアタマ壊れた」
 
 八時に起きて寒い寒いとつぶやきながら事務所へ出勤しメールチェックをしたら一昨日にデザイナーにお願いしておいたダイレクトメールの修正データができ上がっていたので大慌てでそれを確認し、ひとまずおおきな問題はなさそうだったので代理店にそのまま送り、別の仕事の打ち合わせのために自分は新富町にある別の代理店に赴き小一時間ほど打ち合わせをし、無理難題が並べられてはてどうしようかと考えあぐね、悩むぼくをほぐそうとしてか代理店の担当者は冗談をいうのだけれど、自分をネタにした冗談ならいいのだが、他人の欠点を見て自分は外野で笑っているだけというタイプの笑い話は道徳だ倫理だとかいう理由でキーキー批判するヤツもいるみたいだが、そういう理屈はぬきにぼくはどうしても彼らのように笑うことができず、さらに表情をこわばらせてしまいその場もすっかり冷えきった感じで、あれあれ外の気温といっしょだね、と思ったがそんなこといったらそれこそ相手の気分を害してしまう、いや今はそんなことは問題ではない、まずは代理店の要求に応じるための口火を切らなければいけないのだが、はてどうしたらよいものやら、ぐずぐずしていたらあっというまに時間が経ってしまい、いつまでもこんなことをしていたところで状況は変らない、ということでぼくはお題を事務所へ持ち帰り、途中有楽町で乗り換えのときにマリオンのそばにあるスタンドカレーで十分で昼食を済ませ、ゆっくりはできなかったがここの極辛カレーは結構気に入っているので満足おまけに満腹で帰社し、打ち合わせの内容をもう一度まとめなおしてコンセプトやら台割やら誌面構成やらをどうしようかと考えはじめると、今度は別件の連絡が電話やメールで次から次へと入りはじめ、しかもそれらはどれもこれもが違うクライアントだというのに似たり寄ったりの内容で、ぼくははげしく混乱し、それではまずいので、混乱からの脱却が仕事の第一歩となり、ということはつまり、つねに第一歩ばかりが続くような感覚で、事態は一向に進展せず、イライラしそうだが、実はそんな感情を抱いている暇もないくらいにバタバタバタバタバしていて、そのうち目は泳ぎだし、変な汗が出てきて、口元もアワアワした感じになってきたが、そうこうしているうちに予約していたカイロプラクティックの時間になったのでいそいそと吉祥寺に向かい、一時間ほど忙しさから解放されはしたのだが、事務所に戻るとまたおなじ状況がぼくを待っているわけで、ぼくは黙々と、いやモクモクと、と書いたほうが雰囲気があるな、まさにモクモクという音が自分のなかから鈍くこもった感じで響いてきそうな、そんなふうに働き、働き、働き、黙々、今度はモクモクじゃなくて、黙って、という意味での黙々なのだが、黙々としていると、すぐに電話がかかってくるので黙っているわけにもいかず、たちまちぼくはやかましい存在となり、モクモクという音は電話のベルとぼくの声と受話器の向こうから聞こえるクライアントやデザイナーの声にかき消されて、すぐに消えてしまうのだが、モクモク音をぼくは気に入っていたわけではないから別に聞こえなくなってもいいのだけれど、すこし間が空くと、また黙々でモクモク、そして電話でガヤガヤと、感覚やリズムは違うが基本的にはこの連続ばかり、もうこうなってくると自分というものがどんどん希薄になり、なんだか仕事のためだけに動く機械になったような気分、などと書くととても陳腐なのだが、忙しいという状況そのものが陳腐なのだ、人間は忙しいのと暇なの、その二通りしか存在しないわけだから。午前二時三十分帰宅。三時三十分、就寝。
 
 
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2月7日(金)
「今日は軽めに」
 
 八時起床。起きれず。そのまま朦朧とし続けること三十分。九時三十分、出発。事務所へは行かず、荻窪駅まで歩いてJR に乗り、目黒へ。暖かい外気のせいだろうか、気持ちは不思議とのびやかだ。十一時より目黒にあるレコード会社Z社にて、オーディションサイトのプレゼン。大成功。
 
 午後は事務処理。連日の午前様でヘトヘトなので、今日は十七時に店じまい。早めに帰宅し、すこしばかり仮眠。こんな日があってもいいと思う。
 
 久間十義『世紀末鯨鯢記』。ダッチワイフへの愛情。
 
 
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2月8日(土)
「エンドレス」
 
 終わりの見えないハードなスケジュールに、躯が白旗をあげはじめているみたいで、今朝は目覚まし時計がなっても、まぶたがどろどろに溶け、膜となって目玉にはりついたような感覚に襲われ、いつまで経っても目を開けることができなかった。
 
 十時過ぎ、事務所へ。A社パンフレットの企画と誌面構成に集中する。カミサンも絵を描くために午後から事務所に来たが、今夜は仲良しグループの呑み会だとかで、十七時ごろに出かけていった。十九時三十分、終了。
 
 風がないせいだろうか。暖かい。朝もそうだったが、夜も冬は死んでしまったみたいで、中途半端な寒さと中途半端な暖かさが、汽水のように混じりあって空気のなかでよどみをつくっている。空は曇りがちで、仰ぎ見てみるとちょっとだけ息苦しくなってくる。凛とした冬の夜空が恋しくなった。寒がりのくせに、ふしぎだ。
 スーパーで挽肉、豆腐、ネギ、発泡酒などを買って帰る。
 
 夕食は麻婆豆腐。つかれているので、さすがに未知の料理に挑戦するほどの気力も度胸もない。無難なメニューを選んでみた。できあがりは満足。紹興酒とテンメンジャンが効いているようだ。食事しながら、電波少年のあと番組をはじめてみる。辛口の料理を食べながら、自称「癒し系」番組を観るのは、かなりちぐはぐだ。番組の内容よりも、選んでいる音楽のセンスが気になった。ハウスバージョンの『ストロベリーフィールズ・フォーエバー』とか。どこが癒しなんじゃ。番組の内容もたいしたことはない。『世界ウルルン』や、電波少年でたまにあった旅中の感動話とレベルはおなじ。表層的癒し番組だな。もっとも、テレビとは表層的な媒体だ。中核に踏み込んだ表現は、しにくいと思う。
 
 久間十義『世紀末鯨鯢記』。分裂症の主人公の描写が、なんだかとてもSFチック。
 
 
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2月9日(日)
「先走る忙しい春/手帖とPDA」
 
 九時起床。ぼーっとしたアタマで窓から外を眺めると、今日は昨日よりさらに暖かな天気で、ぬるったい空気にさらされたぼくのアタマはさらに輪をかけてぼーっとしてくる。春のような陽気だ。春はボケッとしているのが気持いいのだが、実際にはあれやこれやと忙しいことが多くて、それどころではないのが実情だろう。今日もまた休日出勤である。それを考えると、そうそうぼーっとしていられない、というところにまで思いがいたる前に、思考も意識もはっきりしはじめる。全身が、早く来すぎた「忙しい春」につつまれているのだろうか。よくわからん。
 
 十一時、事務所へ。A社パンフレットに終始。
 
 ここ一年ほど、なににつけても「書く」という行為を徹底してみたくなり、数年間つづけていたパソコン/PDAによるスケジュール管理をやめ、手帖というツールを使い続けてきた。効果はあったようだ。書くことが、じつは情報を整理し、優劣をつけ、さらには記憶を手助けする。そんなのパソコンでもいっしょじゃないか、といわれればそれまでなのだが、おそらくは手帖を使う、という目的をもつことが功を奏したのだろう、ぼくは自分のなかでぐっちゃぐちゃになっていた情報やら想念やら記憶やら感情やらを、かなりすっきりと整理することができたのだ。二月になってから、もう修業はいいかな、と思い、スケジュール管理だけPDAにもどすことにした。手帖との併用だ。手帖は、その場限りの覚書、アイデアのスピーディーなメモ、それから頻繁に連絡をとる取引先や得意先だけを抜き出した住所録に使っている。PDAの用途は、おもにスケジュールの管理、業務の進行状況の記録なのだが、使いだすとついついあれにもこれにも、と欲がでてしまう。メモした情報やアイデアは、なるべくその日のうちにPDAに入力してしまうことにした。フォルダ管理を徹底すれば、強力なデータベースとしても活用できる。範囲はマーケティングや広告手法から猫の種類まで、多種多様だ。これなら、手帖が分厚くならずに済む。手帖を使い続けた修業期間は、PDAの使い方も効率的にしてくれたみたいだ。
 となると、PDAがおもしろくてたまらなくなる。現在愛用のシグマリオンもいいのだが、もともと出張などのときにメールチェックとついでの原稿書きのために買ったマシンなので、普段携帯するにはちょいとデカすぎる。それにOSもハードウェアも古いとなると、やはり新しいのがほしくなるのが人情だ。しかし、PDAで遊ぶほど金も暇もない。ほしいのは、小さくて、動作が機敏で、スケジュールと情報管理がバッチリできて、メールチェックができて、しっかりメモもとれる(まあ、メモは紙の手帖でやればいいのだが)もの。それから、辞書と乗り換え案内ソフトが内蔵されていること。動画が見れるとか、MP3が楽しめるとか、そんなのはどうでもいい。ベストなのは一世代前のPocket PC。予算的には中古で探すしかないのだが、故障が心配だ。はて、しばらくはシグマリオンで間に合わそうかと思ったら、ヤフーオークションで東芝のGenioというPDA、一年前のモデルが新品で約半額といううれしい条件で出品されていたので、これはチャンスとばかりに、即決で落札してしまった。明日、金を振り込む。
 
 十九時、帰宅。夕食は、カミサンが『マシューズベストヒットTV』で平野レミがつくっているのを観て食べたくなったという、ナンプラー鍋を食べた。ニンニク、ネギ、豚バラ肉を、水菜、ごぼうといっしょにナンプラーで煮立てるのだ。これが意外にも美味い。水菜やごぼうは日本の食材じゃないか、なんであうのだろうと思ったのだが、タイスキでは水菜によく似たタイの野菜を入れるし、ごぼうはナンプラーのおかげで泥臭さは消えてしまうので、この味付けにも調和する。むしろ、ごぼうがないとさみしいくらいなのだ。わが家の定番鍋が増えた。
 
 久間十義『世紀末鯨鯢記』。捕鯨シーンの描写。淡々としているのは、語り手が、分裂症の主人公の、客観的な視点をもった冷静なほうの「私」だからだろうか。
 
 
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2月10日(月)
「背中が痛むだけで」
 
 八時起床。背中の痛みがまだ消えない。起きて動き出すとほとんど感じないのだが、じっとしているときに痛むので、長時間座り続け、こむずかしいことばかり考えつづけるのが仕事のぼくにはちょいとやっかいだ。躯の不調は一日をたちまち憂鬱な色で染め上げてしまう。陽の光がやわらかに家や道や木々や鳥やニンゲンを照らす、春のような暖かさだというのに、ぼくの気持ちはついつい沈みがちで、好きな言葉ではないが「マイナス思考」っぽくなってきてなにもかもがイヤになる。今度は頭痛だ。アタマの痛みは仕事にかなりのダメージを与える。効率の面と品質の面の両方でだ。背中の痛みが肩、首をつうじてアタマに伝わってきているのだろうか。痛む背中に、事務所の机の引きだしに、デジカメや充電式の乾電池といっしょにしまってあるサロンパスを引っ張り出して上着とセーターを脱ぎ、ペタリ、ペタリと二箇所ほど貼り付けてみたのだが、これが逆効果で、人工的な香料の臭いとむずかゆい感覚で、躯がねじくれそうなくらいに不快になる。そんなときに限って、仕事の進行も大荒れになるからたまったもんじゃない。おまけに、苦手なクライアントの苦手な分野の仕事の締切が近づいていて、気分は落ち込むどころかそのまま地中で迷走しつづけているような感じだ。出口が見えん。呼吸が苦しくなってきた。
 
 そんな状態なので、読書はほとんどせず。気晴らしに諸星大二郎『西遊妖猿伝』。痛快。
 
 
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2月11日(火)建国記念日
「ハセキョーという結論」
 
 六時、花子にご飯をあげるために自主的に起きたのだが、その後なぜかアタマがどんどん冴えてきて、まったく眠れず。夕べは十二時に寝たので、睡眠時間は花子ご飯タイムまででとりあえず六時間は稼げているから気にすることはない、仕事に差し支えるようなことではないので、無理に眠ろうとせず、猫をいじったり、もし自分が独身で芸能人を彼女にできるとしたら誰がいいかな、などとくだらぬことばかりを考えつづけた。二時間ほど、もちろんぶっとおしではなくて途切れ途切れになのだが――ほかのことも考えたし、ときどきうつらうつらしていたみたいだ――、長谷川京子ちゃんがいちばんかな、という自分でも意外な結論に達した。「ADSLイーアクセス」と唄いながらへそを出す、あのハセキョーである。月9に出演し、主演の松たか子を別な意味で喰っていると評判のハセキョーである。ロンドンブーツに番組で「ハセキョンって、かわいいね」といわれてしまった、ホントはハセキョーが正しいのよといいたかったに違いない、あのハセキョーである。ふうん、という感じ。自分で考えた末のことだというのに。分裂症の初期症状だろうか。いや、違うな。
 
 十時すぎ、事務所へ。昨日の不調さが原因で遅々として進まなかった仕事を一気に片づける。休日は電話がほとんどならないので、能率もあがる。外は雨雲に覆われて薄暗く、雨滴に濡れたアスファルトはいつもより黒っぽく見えて、その景色は昨日のぼくの心象風景そのものだったりするのだが、今日は背中の痛みも和らいでいるせいか、暗い空を見てもさほど気分は落ち込まない。それでも仕事でやや苦戦し、ストレスは溜まってきた。頭痛がする。そうか、不調の原因はストレスだな。そういえば、ここのところ全然休みをとっていない。
 
 十八時、店じまい。夕食は寄せ鍋にした。わが家では水炊きとチゲが多いのだが、出汁仕立ての寄せ鍋も捨てたもんじゃない。最後の雑炊はなかなか愉しめた。
 
 インコたちといっしょに風呂に入る。うりゃうりゃは毛の抜け替わりの時期らしく、ひどく不機嫌だった。みょうに怒りっぽくなるのだ。十年近くコイツといっしょに暮らしているから、機嫌がいいか悪いかは手にとるようによくわかる。
 
『世紀末鯢鯨記』をすこしだけ。
 
 
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2月12日(水)
「ガスッ腹と頭痛の関係/敵対心という名の防犯」
 
 夜中に何度も目が覚めた。喉が渇いた、とか小便をしたくなった、というのならわかる。が、そんな理由でも五回、六回と起きることはまずない。夕べは何回蒲団から抜け出したのだろう。回数も定かでないくらい、何度も何度も起きあがっては、厠へ行った。腹にガスが溜まる感じがして、目が覚める。ちょっとすると、じわじわと腸が痛みだし、しかたなく厠へ向かう。きばってみても、まあ下痢といえば下痢なのだがとくにひどい下痢ではなく、排出される量もすくない。しかし、これが何度もつづくのだ。八時すぎ、きちんと起床して身支度したが、朝食が喉を通らない。紅茶だけでも、と思ったが、流し込んだ途端に吐いてしまった。ひょっとすると、ここ数日つづいていた頭痛と関係あるのかと訝ったが、その推理はどうやら正解だったらしく、事務所に行くまえに近所の病院に立ち寄ったら、風邪で胃腸をやられているという診断を受けた。年末年始に引いたばかりだというのに、なんとヨワッちいんだろう、自分の体力と免疫力の衰えが情けなくなる。そんな躯に罰を与えるみたいに、今日の東京は冷え込んだ。どこから舞ってくるのだろう、寒風に風花が混じっていた。
 
 A社パンフレットの原稿などに精を出していると、先日オークションで落札したPDAが届いた。仕事をしつつ、たとえばプリントアウトのときの待ち時間などを上手に使ってセッティングしてみた。筐体の小ささ、液晶の美しさ、手書き文字認識の正確さ、この三点には心の底から関心してしまう。ちょいとインターネット接続の設定で苦しんだが、その問題も解決したので、もう明日からバリバリと使いこなせる。手帖とともに、コイツはちからづよい味方になってくれるはずだ。
 
 カミサンの実家に空き巣が入った。ちょうど義母が買い物から帰ってきたときに、泥棒二人と鉢合わせになったそうだ。驚いた義母に向かって、どうやら東洋系の外国人らしい泥棒は「怖くない、怖くない」とふざけたことを言いながら、義母にスプレー状の液体を放ち、そのまま逃げた。連絡を受けたカミサンは慌てて義母の家に向かったが、幸いスプレーに毒性はなく唐辛子スプレーのようなもので(それでも義母の目はしばらくなにも見えなくなり、顔は真っ赤に腫れ上がった)、盗難の被害もまったくなかった。カミサンは義母とともに警察の現場検証に立ち会い、パトカーに乗って警察署まで行ってあれこれ手続きをしたのだが、そのころには義母もすっかり落ち着き、会社にいた義父も帰ってきたので安心し、平常心を取り戻していたそうだ。身内の家に空き巣、というのははじめての体験だ。気をつけなければいけないが、気をつけたところで、予防にも限界があるというのが実際のところだろう。一般家庭がセコムに加入するわけにもいかないし、カギを二重、三重にしたり扉や窓ガラス防犯性の高いものに取り替えるというのも、戸建てならともかく賃貸ではなかなかできることではない。残されたできることは、泥棒に敵対心をむき出しにして、とことん戦ってやることを意思表示するくらいだろうか。盗れるものなら、盗ってみやがれ。そのかわり、腕の一本や二本、使い物にならなくなっても知らないぜ、と。馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、怖れるという態度、そして自分のところだけは大丈夫だろうからそんなことは考えない、という態度が悪人に入り込まれる隙をつくりだしているにほかならないのだ。まあ、今回の一件に関しては、被害もすくなく怪我もなかったのが不幸中の幸い、それだけはこころから喜びたいのだが、ぼくは泥棒をボコボコにぶん殴りたい気持ちになった――などとカミサンに話したら、ある地域では、あやしいと思った人物に「声をかける」ことで事件数を減らした実績があるとか、そんな話を教えてくれた。なるほど訝しんでもそれはオモテに出さず、明るく声をかける。もちろん、その背後にあるのは犯罪に対する明確な敵対心だ。あえてコミュニケーションをとってみる。それだけの行為でも、ドロボーをボコボコにすることは――精神的な面だけだろうが――じゅうぶんに可能なのだ。ペンは剣より強し。声はパンチよりも強し。
 
『世紀末鯨鯢記』。捕鯨船に乗り込む主人公。この小説、作者は体験取材しているのかなあ。
 
 
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2月13日(木)
「なっちで気分爽快/トリたちの抗争」
 
 花子とモーニング娘。には接点があるのだろうか、と考えてみる。と、そこでたちまち思考は停止してしまう。接点を見いだすにはどうしたらいいのか、その方法を検討するだけで、すべてが無駄で馬鹿馬鹿しい行為であることがすっかりわかってしまうからだ。
 こんな奇妙な書き出しをしてしまったのには訳がある。四時、花子にご飯をせがまれて起床した。厠で小便をたれ、手を洗ってから缶詰めを開けて、皿に盛りつけ、床に置き、喰えと言い、もう一度寝る。この一連の行為にはまったくモーニング娘。が介入する余地などあるはずもなく、また、これらをひとつずつこなしていく過程でぼくがモーニング娘。に関する何か、情報や彼女らが出ている広告、歌詞やメロディに接触したりもしていない。それ以前に、ぼくはここ数日モーニング娘。のモの字も思いだしたことがないくらいなのだ。新メンバー加入と同時に、ぼくのなっちをはじめとする彼女らに対する関心もとい好意は急激に薄れはじめた。もちろんモーヲタではなかったのでそれが日々の生活や消費活動に影響を及ぼすということもなく、ぼくはただいつも通りに仕事をし、本を読み、飯を喰い、といった具合に生活していたのだが、あきらかにモー娘。に価値を感じなくなったのは事実である。それは先日の日記でぼくが彼女にしたい女性タレントになっちではなくハセキョーというまったく異なる種類の女性を挙げたことでも明白だ。それくらい、モー娘。はぼくにとってどうでもいい存在だったというのに、今朝、二度寝を決め込んだときに、ああこれで何度目なのだろうか、情けないことにぼくはまたモー娘。の夢を見てしまったのだ。しかも、彼女たちはわが家で合宿をしているのである。この設定、以前にも見たことがあるところが、何かの暗示なのかよくわからないが、ぼくをいっそう情けない気分にさせていることだけは確かだ。
 それにしても、なぜモー娘。なのだろう。花子がなっちを呼んだのだろうか。わからない。わからない。情けない。
 しかし、だからといって今朝の目覚めが悪かったわけではない。いつもよりすこし長めに休めたせいか、気分は爽快である。なっちのおかげ、ということにしておこう。八時起床。
 
 九時、事務所へ。家を出てすぐのところで、烏くらいの大きさの白い鳥が善福寺川に沿うようにして飛んでいるのを見かける。サギかな、と思ったが、サギにしては首が太く短く、翼も肉厚で、おまけに鳩胸っぽいやわらかなシルエットをしている。どうやらゆりかもめらしい。東京でも海に近いあたりでは烏とゆりかもめが縄張りをめぐって壮絶なる仁義なき戦いを繰り広げていることはニュースや新聞で見たことがあるが、ゆりかもめが杉並のほうまで進出しているというのははじめて知った。市ケ谷辺りが関の山、そこより先にはこれないだろうと思っていたのに、意外である。追いかけてみようかと思ったが、そうしたところで特に得るものはないだろうし、仕事があるのでやめておいた。
 
 午後より新宿へ。打ち合わせの前に、先日購入したPDAのケースを物色しに新宿小田急に入っているビックカメラへ。エレコムという会社が出しているケースが定価三千五百円のところがなぜか百八十円という超特価で売られているのを見つけ、こりゃおもしろいや、使い心地悪くても百八十円なら諦めがつくしな、と思い、すぐさま買ってしまった。つづいて代官山へ。J社にてO社営業支援ツールの打ちあわせ。終了後、もう一度新宿へ。紀伊国屋書店にて『群像』三月号、日経コミュニケーション編『通信ネットワークハンドブック』などを購入。アドホックのほうを覗いてみたら、先日ネット通販で購入した金子光晴『作詩法入門』が四百五十円という特価で売られているのを見つけ、ショックを受ける。日本を代表する詩人の著作がこの扱いとは。
 
 夕方より仕事が荒れはじめるが、二十二時にはなんとか収束。三十分後に帰宅した。
 
『世紀末鯨鯢記』。捕鯨船が目の当たりにする自然の驚異が、分裂症の主人公の精神の異常さと、奇妙な対比を見せている。作者の意図は、まだ読めない。
 
 
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2月14日(木)
「バレンタイン私論」 
 
 バレンタインデー。サラリーマン時代は職場の女の子たちが人間関係の潤滑剤としてこの行事を有効活用していたせいか、この時期は机のなかがチョコレートでいっぱいになった。義理をたて相手をよろこばすことで今後の関係をよりよきものにしようという魂胆はお中元やお歳暮、接待などとおなじものであり、それが女の子っぽさ、チョコレートのもつ甘くてとろけるイメージで厚化粧されて、その厚化粧に世の男たちはあっさりと白旗をあげ、観念してしまう。ふだんは「仕事のできねー女だ」とか「お高くとまりやがって」とか、腹のなかにふたつもみっつも未消化のやっかいな感情を抱えこみ、それらはオトコがオンナにいだくすけべったらしい感情で妙な方向に向かって増殖しはじめ、おっさんたちはそれを社内での送別会やら歓迎会やらといった行事の二次会のカラオケなどでセクハラ的な形で発散し、ペーペーたちはそのおっさんたちの陰口をいいあうことで未消化物の進行を食いとめるのが常なのだが、バレンタインチョコのもつ薬効は想像以上で、おそらくはこの未消化物をあっさり消化させ、おまけにココロを軽くしてしまうのだ。ただし副作用もある。義理の進物だというのに、そこに自分勝手な愛情の物語を強引に重ねあわせ、妄想を膨らまし、結果セクハラ的なイメージと行為がこれまで異常に暴走してしまうのだ。あるいは、チョコくれたからおかえしを、という口実を見つけたのを幸いに、呑みに行こうとかメシをおごってやるとかして女の子を誘いだし、あわよくば――こういったドラマが世の中には溢れかえっているのかもしれないが、カミサンとふたりで小さな小さな会社を経営するぼくにとっては、遠い世界の、そうだ『ロードオブザリング』くらい縁の遠い話になってしまっている。この時期になると毎年カミサンは「夫がチョコを大量にもらって帰ってきてくれないのでツマラン」などとヌかしながら、ぼくが義母からもらったチョコや自分で買ってきたチョコをもりもりとほおばっているが、チョコに特別な思いいれもなく、どうせもらうのなら最中か饅頭がいいと思ってしまうぼくからすれば、そこまでチョコに執着するのはチョイと異常だ。だが、十代のころはたしかにぼくもチョコに執着していた。ただし、それは味ではなくて、だれからチョコをもらえるか、という点だけなのだが。
 
 八時起床。九時、事務所へ。風邪をひいて弱った躯はかなり恢復した。もうおかゆとか素うどんとか、辛気臭い食事を続ける必要もないだろうと思い、昼はふつうに弁当を食べた。調子がいい。夕方は仕事でバタバタし、帰るのが二十二時を回ってしまったので、家での食事はムリだ。という理由をつけ、肉や油に飢えた躯をよろこばせるために焼き肉屋に行くことにする。
 二十三時、家路につく。街は寄り添ってい、いねむりドライバーの蛇行運転みたいな足取りでふらつくカップルがやたらと目につく。すでにつきあっている二人が、チョコをもらう/あげるという行為をつうじてふたたび盛り上がっているのか、それとも、チョコをもらう/あげるという行為をつうじてはじめてふたりの心が通じあい、くっつき、うかれているのか。
 
 帰宅。麦がおしっこ失敗。トイレの外に尿が大量に漏れている。掃除に三十分もかかった。
 
 忙しくて、本は読めず。でも寝るまえに『西遊妖猿伝』をすこしだけ。
 
 
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2月15日(土)
「お不動参り/戦闘服/静かなる反抗」
 
 時間を決めていないけど、予定がある。人に会いにいくわけじゃない。遊びにいくようなものだ。そんな休日の朝は、微妙にだらけ、微妙に浮き足立つ。明け方に猫のご飯を仕度してからはトロトロとした状態がつづいていたが、エイヤと十時に起床する。『建もの探訪』、見そこねた。
 
 午後から高幡不動へ。毎年、旧正月をすぎた二月にここでお札をもらうことにしている。特別な信仰があるわけではないが、神仏の存在(だけ)は信じているほうで、しかも縁起担ぎはけっこう好きなほうだから、こういう行事はなおざりにしちゃいけないと本気で思いこんでいる。
 お参りのときは、かならずなにか、めずらしい事件というか出来事にでくわす。去年は電車のなかでハーモニカを吹きつづけるオバサンに出くわしたが、今年は駅にあるグレーの公衆電話の受話器を顔にびったりと押しつけ、身をかがめたり立ち上がったりしながら「よーほーほろー、よーほほほーほろー」と歌いつづけている人を見かける。去年のおばさんは常識知らずなだけだが、今年のこの方はそれ以上の理由――原因というべきか――があるのだと思う。去年のはおもしろいなあと思う反面、なんだコイツと少々怒ってみたりもしたのだが、今年はなにがしかの感情を抱くようなことはなかった。冷静に観察しただけだ。
 到着したのは十三時すぎで、ちょうど午後一回目の護摩がはじまったばかり。次回は十四時三十分からだということ。そのあいだに食事を済ませる。ついでい境内の散歩。梅の木を見つけた。ちょっときつめのピンク色の花が、細い枝にそって点々と咲いている。桜の淡さとくらべると、紅梅の花びらは少々毒々しいのだが、桜のように木一面を花びらで埋めつくしてしまうほどの数は咲かないせいか、かえって控えめで、清楚に見える。空はやや曇っていて薄暗かったのだが、梅の花のまわりだけは明るく、華やいで見えた。花の色が空気を紅色に染めている。
 十四時三十分、護摩がはじまる。高幡不動で奉ってあるのは不動明王で、酉年のぼくの守護仏にあたるらしいことははじめてお札をいただいたあとから知った。インドのシヴァ神が原形らしいのだが、くわしいことはよくわからない。牙をむきだし、剣を手に持ち、火焔に包まれて怒りの形相をむけるこの仏は、大日如来や阿弥陀といったほかの仏とはあきらかに風体が異なる。僧が護摩を炊く様子は、さすが宗教儀式だけあって厳格で、緻密な手順をひとつひとつこなしていくさまは、ある種の様式美を感じさせるのだが、僧の目のまえで燃えさかる焔と不動明王の大きな像のふたつだけを見ていると、祈りの原始的な、人間の本能の根源に触れるような恐れ多さ、不可解さに圧倒されてしまう。
 護摩の儀式が中盤にさしかかると、参拝客は仏像のそばまで誘導され、そこで仏をまじかにして拝むことができる。このときに、お清めとして左の掌にお香の灰をすり込まれるのだが、白檀みたいな香りにカレー味のスナックのような匂いが混じっていて、ああやっぱりインドの文化にどこかつうじているのかな、などと考えた。不動明王のまえでは、仕事がうまくいくように、と願った。
 拝み終わってからふたたびもとの場所に戻ると、横にいたオヤジが僧のとなえるお経を、いっしょになって諳んじていた。どうやらここの護摩の常連らしい。般若心経のような有名なお経ならともかく、仏教にうといぼくにはちょっとわからなかったほかのお経も、アンチョコなしでとなえつづけるこのオヤジは、これまでどんな人生を歩んできたのかが妙に気になった。高幡不動にいれこむようになったきっかけは何なのだろうか。祈ることで、救われたのか。何が変ったのか。人生いろいろ。
 
 十五時過ぎ、新宿へ。カミサンが春物の服をみたいというので、伊勢丹のワイズへ。花柄のジャケットが今年のメインアイテムらしい。袖の部分が計算づくでほつれているのがポイントだ。ヨージは大胆な発想で作られた服が多いが、最近のワイズは小技が効かせることで独自性を出すことが多いみたいだ。カミサン、綿のジャケットを一枚購入。
 ぼくも春先に着れるセットアップがあまりないので、一着ほしいなと思いヨージヤマモトプルオムのほうに行ってみたのだが、あまりにもお衣装的かつ値段も目の玉が飛びだしかかるほどなので、すこし見ただけですぐに出てきてしまった。
 
 つづいて吉祥寺へ。パルコのワイズフォーメンで、いかにも、という感じのセットアップを購入。ブイゾーン広めの四つボタン、と書くと妙だが、実際そうなのだからしかたない。裏地が派手なストライプになっていて、折り返して着るのが粋。パンツは定番のゴムパン。ウエストにゴムが入っているので、尻の部分のシルエットを不自然にせずとも、ゆったりしたワタリを確保できるのだ。この形、とても気に入っている。
 ヨウジを買うには勇気と覚悟がいる。ワイズは安心して買える。安堵するのは危険な兆候なのだろうか。いや、これがぼくのスタイルなのだから、これは安堵ではない。ぼくはワイズの服を「創造のための戦闘服」と考えている。
 ロンロンのベーグル屋、ユザワヤに寄ってから帰る。
 
 夜、久々にテレビ東京の『美の巨人たち』を見る。小磯良平の『斉唱』。合唱する少女たちを自然に描いた傑作。題材も絵柄も地味なのに、妙にその世界に引き込まれてしまうのは、やはり卓越した画力と対象の観察力ゆえなのだろう。この作品は一九四一年に描かれたもの。軍国主義に突っ走る大日本帝国への、静かなる反抗、という意図もあったのかもしれない。
 あはは。「静かなる反抗」と書くと、敬愛するJAPANのデビューアルバム『果てしなき反抗』と、サードアルバム『クワイエット・ライフ』を合体させたみたいだなあ。
 
『世紀末鯨鯢記』。SOSをキャッチした捕鯨船が救ったのは、反捕鯨団体のメンバーだった。これを社会派と呼ぶべきかどうか。まあ、百パーセントそうは呼ばないだろうが。
 
 
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2月16日(日)
「空模様を知るまで/偏見の元凶としてのデフォルトチャンネル/二項がぐっちょんぐっちょん」
 
 気密性が高いわが家は外の物音はあまりよく聞こえなくて、カーテンも閉めきっていたから、雨が降っていることにしばらく気づかなかった。十時起床。リビングのカーテンを開け、夕べ寝るねるまえに新聞やらで散らかっていた床を片づけるが、窓は結露でびっしり、視界は水滴でぼやかされ、まだ雨だとわからない。掃除、洗い物。十一時、遅い朝食。十一時半から『ハローモーニング』を見て馬鹿笑いをつづける。気持ちはモー娘。に向かったまま、空模様を確認しようとさえ思わない。十二時半、書斎にこもり書き物や読書をはじめる。十三時、先日義父母の家が空き巣の被害にあったのを教訓に、わが家でも防犯性の高い鍵をとりつけることにしたのだが、その鍵屋がやってくる。玄関を開けたとき、はじめて外が雨であることに気づいた。鍵屋のおやじの服についた水滴が、わが家の窓という窓にびっしりと付着する結露に似ている、と思ったが、成分はおなじなので似ているもクソもない。どうもアタマの回転も直感力も今日はひどくにぶっているようで、自分でもいやになってくる。
 鍵は、ピッキングで開けることは不可能という鍵屋が太鼓判を押す最新型のものにした。防犯にかかわるものなので、これ以上は書かない。
 
 夕方、スーパーへ。『笑点』、『鉄腕ダッシュ』、『特命リサーチ200X II』、『行列のできる法律相談所』『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』と、たてつづけにテレビを見つづける。いや、途中時間が空いたり、トイレに行ったり、風呂に入ったり、食事をしたりもしたのだが。全部日本テレビなのがおそろしい。思いだすに、小さいころのわが家は四六時中日本テレビがついていた。パソコンにデフォルト設定というものがあるが、わが家のテレビのデフォルトは4チャンネルだったわけだ。おふくろは徳光さん好きだったような気がするが、さだかではないし確認したこともない。当時の日テレは知的だったような気がするが、よくわからん。少なくとも、今の日テレは知的とは言い難いだろう。近所の山田たーちゃん宅は、遊びに行くといつもフジテレビがついていたのを見て、幼心に「なんか馬鹿っぽい」と感じたことがあるが、今ふり返るとそう考えてしまうぼくのアタマと感性はかなり危険だったと思う。偏見を抱きがちなアタマの悪いニンゲン、というやっかいな傾向はこのころから芽生えはじめていた、ということになろうか。
 
『世紀末鯨鯢記』。分裂症から偏執症へ。いや、偏執しつつ、分裂するということか。二項対立は物語の基本だと思っていたが、二項をぐっちょんぐっちょんにするというやり方も有効なわけだ。
 全巻ぶっとおし作戦を遂行中だった『西遊妖猿伝』も今日で読了。そういえばこの作品にも、顔のつぶれた仏像が、妖怪・無支奇もとい斉天大聖となったかと思えば、次の刹那に菩薩へと変り、また無支奇へ、菩薩へと、繰り返し変化するシーンがあった。「神は仏」という意味深な台詞と重なって、人間のもつ倫理観や価値というものを根底からゆるがすような印象深い場面に仕上がっているが、これも『鯨鯢記』と同様に、二項の混沌とした状態から新たな価値や物語の進展のための契機を得るという目的があるように思える。ふーん。
 
 
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2月17日(月)
「消えるポンワカ、消える大塚」
 
 猫のゲロほど精神衛生上よくないものはない。夕べのことだ。久々に十二時前に床に入れるゾと、わずかにニヤつきながら蒲団に潜りこみ、寝るぞ寝るぞと、そんなに意気込んでいたわけではないが、まあリラックスはしていたのだろう、早寝の満足感に本能的な恍惚さを感じつつ、ぼくは少しずつ、ゆっくりと眠りに落ちていった。なぜだか理由はよくわからないが――『電波少年』の後番組にワイズっぽい服を着て出演しているのを見たからだろうが――大塚寧々の姿がアタマのなかにポンワカと浮かび上がる。大塚のポンワカした表情につられたのか、そのうちアタマ全体がポンワカしだして、記憶が薄れはじめ、ああ気持いいなあとうつらうつらしていたところで、ゲロはぼくを襲った。といっても直撃ではない。書斎あたりから聞こえる「ケポッ、ケポッ、ケポッ」という音にカミサンが敏感に反応し、「ええっ、ゲロなのぉ」と大声を張り上げ、ぼくは「ケポッ」にも「ええっ」にも驚かされ、おかげで鼓動が高まり、脈が上がり、「ポンワカ」をかき消され、大塚もどこかに消えてしまい、そのせいなのかどうだかはよくわからないが、アタマがなんだか痒くなってきたのでイライラして起きあがった。犯人は麦次郎だった。ゲロの始末をしてから寝る。興奮したあとだというのに、なぜかさっきより早く睡眠状態に陥ってしまったらしく、ゲロを掃除したあとのことはさっぱり覚えていなかった。次の記憶は、午前七時の厠と花子にせがまれてのご飯係だ。
 
 八時起床。雨はすっかり上がっている。天気予報では、今日は終日晴れ、気温は東京地方では十二度まで上がるとのこと。晴れ渡った空が気持ちよく感じられるだろうと期待し、マフラーも手袋もせずに出かけるが、それが裏目に出た。けっこう寒い。手袋を家に置いてきたことを後悔する。
 
 N不動産のキャッチフレーズ、J社のPR誌の取材準備など。午後から九段下にあるJ社にて打ちあわせ。取材テーマはIP-VPN。通信にはけっこう詳しいほうなのだが、それでもやはりプロを相手にした取材となると不安になるので、今のうちから勉強しておいたほうがよかろうと思い、帰りに吉祥寺のパルコに寄り、IP-VPNの解説書を購入する。ほかに、村田喜代子『龍秘御天歌』、埴輪雄高『死霊1』、藤原新也『乳の海』を購入。事務所に戻ってからは、O社パンフレットの原稿整理と、IP-VPNのお勉強。O社のパンフレットにもIP-VPNは登場するので、一挙両得、一粒で二度美味しいことになる。
 
 八時帰宅。買ったもののしばらく聴いていなかったキング・クリムゾン『The Power to Believe』を数曲聴いてみる。つまらんと本気で思った。
 そうだ。今思いだした。今週末は、T先輩とYESのライブに行くんだった。忘れてた。
 
『世紀末鯨鯢記』。やっぱり分裂症? もう、なんだかさっぱり。
 
 
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2月18日(火)
「悲しい知らせ」
 
 八時起床。九時、事務所へ。O社BtoBサービスのパンフレットが動き出したので、一日が重たく感じる。やってもやっても終わらない感じ。超大盛りのカレーライスみたいだ。食べても食べても、なかなか減らない。途中で飽きる。しかし、それでも食べなければならないのだ。
 
 午前中に、父から電話。伯母が危篤状態にあるとのこと。伯母は幼いころに両親を亡くした父にとっては母親がわりの存在だったためか、父は姉以上の存在として慕っていた。父がこれほどに動転しているのははじめてのことだろう。懸命になってぼくに伯母の容体をつたえようとするが、支離滅裂。伝わってくるのは、感情だけだ。
 十三時過ぎ、再度電話が。伯母、病院にて永眠とのこと。
 午後は仕事が煮ても焼いても食えない、不味いダンゴのような状態になっていたが、伯母のことで頭のなかが飽和状態になり、なかなかうまく進行させることができなくなる。しかし、今片づけないと葬式に出られなくなるので、なんとか集中しようと試みるが、気ばかり焦って、やはり仕事は進まない。
 そうこうしているうちに、カミサンの友人で東京に出張していた551さんが事務所に遊びに来る。なんという間の悪さ。愛想笑いもできないような精神状態。551には悪いことしたな、と反省する。
 
 二十時過ぎ、なんとか仕事が一段落したのでひとまず終了。飽和していた頭は、使い過ぎで空っぽになってしまった。オリジン弁当で夕食を買ってから帰る。帰宅後、テレビを見ながら食べたが、弁当の中身は胃袋でなく頭のなかに溜まっていくような感じがして不快だった。
 
 
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2月19日(水)
「葬儀のために」
 
 麦次郎め、伯母の訃報ですっかり調子をくずしていたぼくの様子を見て変だとでも思ったのか、夕べはほんのすこしのあいだだったが、ぼくと添い寝してくれた。猫とは意外に律義な動物だ。おかしなニンゲンの友人のことばより、よほどなぐさめられるときがある。
 
 九時、事務所へ。仕事は相変わらず混迷をきわめており、どこから手をつければいいのか、それすらもわからなくなるありさま。伯母の告別式は金曜日になったので、今日と明日は仕事に使える。この二日間を上手に使って、金曜を完全に自由な状態にすれば、伯母を快く見送ることができる。そのためには、仕事だ。仕事だ。仕事の鬼になれ。といいきかせるが、いい加減な性格のぼくが仕事の鬼なんぞになれるわけがなく、せいぜい仕事の癇癪ジジイが関の山だ。夕方から夜にかけて希有のパニック状態に襲われる。母や妹が、夜なら仕事も終わっているだろうとふんで電話をかけてくるのだが、そんなはずあるもんか。急な仕様変更や赤字対応に追われ、頭が混乱しているときにかぎって電話が鳴る。そりゃ、オレだって葬式の準備をちゃんとしておきたいさ。でも、そのためにはこのクソ面倒な仕事を全部片づけなきゃいけないんだ。葬式とは言え、親兄弟が死んだわけじゃないから、取引先はそう甘い顔はしてくれない。
 二十三時、ひとまず終了。明日もこんな状態になるのかと思うと、今からウンザリだ。だが、やるしかない。
 
 
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2月20日(木)
「」
 
 八時起床。「しとしと」という擬音がよく似合う空模様だ。風は冷たく、降る雨滴をキンと冷やすのだが、雨滴は空気の圧に負けるのか、拡散して、小さくなってぼくらと地面に降りかかる。雨空は嫌いだが、こんな軽い雨なら悪くないと思う。
 
 九時、事務所へ。O社パンフレット、E社ダイレクトメールなどに集中。明日の葬儀のために、ただひたすらに仕事をこなす。
 午後、広告代理店J社のL氏より電話。先日参加したA社パンフレットのコンペが採用になったとの連絡。うれしいが、スケジュールが問題。果たして、しっかりこなせるだろうか。不安だ。
 
 二十一時過ぎ、なんとか全業務が片づく。カミサンと「それいゆ」で夕食をとってから帰る。昔ながらの喫茶店なのだが、西荻という街の雰囲気、住む人々の気質に合っているのだろうか、最近はいつ行っても満員なので驚く。テーブルの上には、紫色のスイートピーとマーガレットが活けてあった。こういった、細やかなムード作りが好きだ。薄暗く古ぼけてはいるが、枯れてはいない。だから、生きた花がよく似合う。水々しい花の可憐な色が、自然と引き立つのだ。
 
『世紀末鯨鯢記』読了。メルヴィル『白鯨』をモチーフにしつつ社会問題と個人のアイデンティティの問題の双方を巧みに絡めた複雑な構成、読み手の意志や目的によって、いかようにも解釈できるテーマのの多重性、そしてことばの撹乱による「遊び」。好きな要素は多いのだが、好きな小説にならないのはなぜだろう。この作品が発表されたのは一九八九年頃。バブル真っ盛りの時代である。文章も内容も、やはりバブル期に相応しいものだということか。ちなみにこの作品、第二回三島賞を受賞している。
 
 
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2月21日(金)
「さよなら伯母さん」
 
 伯母の葬儀の日。九時に実家のある古河駅につかなければならないので、逆算して起きる時間を決めたら五時半という答えが出てしまい、これはまさしく花子にご飯をせがまれる時間とおなじではないか、それなら花子に起こしてもらおうと思って夕べは床についた。花子は定刻に、目覚まし時計よりちょいと早めに起こしてくれた。こんなときは「起きてよ攻撃」を浴びせられても憎らしくならない。ありがたいと思う。
 
 七時すぎに家を出る。空はすっきりと晴れ渡っている。荻窪駅へ行くには家から東に向かって歩かなければならず、この時間はのぼる朝日に正面から向かうことになり、まぶしくて目をついついすぼめてしまう。仕方ないので、サングラスをかけた。喪服にサングラス。表現を変えれば、黒いネクタイ、黒い背広に黒眼鏡。MIBである。
 中央線では満員電車のスシヅメ地獄を味わうかと覚悟していたが、まだ通勤ラッシュには幾分か早い時間だったらしく、座れはしなかったものの、苦しい思いはせずにすんだ。
 七時四十分ごろ、新宿駅で中央線から湘南新宿ライン直通の宇都宮線に乗り換え。これなら、古河駅まで一本で活ける。混雑するかと思ったが、さほどでもない。下り方面へ向かうのだから、あたりまえかもしれない。
 栗橋駅を過ぎ、利根川の橋を渡ると古河市だ。橋の上からは、栃木や群馬の山々が薄ぼんやりと広がっているのがよくわかった。雪をかぶった山の稜線は空の淡い青と今にも溶け合ってしまいそうだったが、ふだん山のつらなりなど目にすることがないぼくには、ぼやけていようが溶けそうだろうが、山があるという事実だけが脳みそを直撃してくるように思え、自然の存在感のごときものに打ちのめされそうになった。学生時代に友だちと富士山にすこしだけ似ているように見えるので名付けた「ニセフジ」も見えた。
 
 九時、両親、妹、伯父、従姉と合流。斎場へ向かう。伯母は白い布に覆われた奇麗な棺桶のなかで、きれいにお化粧をしてもらった状態で眠っていた。従妹の奥さんは「今にも笑いだしそう」と言っていたが、ぼくにはすでに笑っているように見えた。祭壇にはたくさんの生花が飾られている。伯母の遺影を囲む白い菊の花が、みょうに尊いものに感じられる。
 十時より告別式。数年前に高血圧による左半身不随をわずらい車椅子生活がつづいていたせいだろうか、友人関係の弔問客はそう多くない。もっとも、伯母は家族の絆をたいせつにしていた人なので、家族に送りだしてさえもらえれば、それで満足なのだろうなと思った。坊さんは真言宗だそうで、ナムとかソワカとかお経によくある文句に加えて、コウボウダイシとかダイニチニョライとか、そんなことばもちらほらと聞こえた。鐘を鳴らしたり、長い棒を振ってみたり、密教で使う矛のようなものをかざしてみたりするさまは、ほかの宗派よりも儀礼的な気がしたが、どうだろう。この丁寧さ、順序、段階が重要なのだとぼくは思う。手順を踏むことで、集中する。集中とは、すなわち皆の故人に向けての悲しみと感謝の気持ちがひとつにまとまることだ。生前の思い出が幾重にも重なる。重ねた思い出といっしょに口にする最後の挨拶のことばほど、故人にとって、そして残された人々にとってたいせつなものはあるまい。生きることとは他人の死を見届けつづけること、とてもかなしいことかもしれないが、最後の挨拶がたいせつなものになりうるのだったら、そんな生きかたも素敵だ。むかし「さよならだけが人生だ」というキャッチフレーズがあった。このセリフを知った当時はニヒリズムばかりを感じてしまったが、今考え直してみると、決してそうとばかりも言えない。さよならを言える相手がいることは、ニヒリズムと言えるだろうか。
 
 十一時半すぎ、火葬場へ移動。十二時前に到着する。一時間後に、伯母は骨と灰になった。骨をひろう。父といっしょに、腰のあたりのいちばん大きな骨を取り、骨壷へ入れた。火葬場の係の人が、この骨はどこの部分だとか、これは入れ歯のワイヤーだとか、ここはふつう砕けてしまうのだが、今日はきれいに残りました、など、丁寧に骨の説明をしてくれる。解剖学の授業みたいだと思った。妹は変わり果てた伯母の姿にショックを受けて顔をこわばらせているが、従姉は興味深そうに係の説明に耳を傾けている。
 
 斎場に戻り、初七日の法要を済ませる。献杯し、食事をしてから解散。従姉たちと、思い出話に花が咲いた。
 
 武田泰淳の『富士』を読みはじめる。まだ『目まいのする散歩』ほどのすごさは感じていないが、それでも十分すぎるくらいに価値ある内容。冒頭の、富士の桜とリスの描写は珍妙な視点と正確かつ緻密なな観察力で、独自の世界をつくりだしている。話は富士の別荘でのリスへの餌付けと家ネズミの捕獲の比較へとうつっていくのだが、ここでおもしろい部分があったので、引用。
 
 そうやってネズミとりに熱中している一方、私、私たちはさかんにリスに餌をくれてやり、リスをつかまえる気持など全くなしで、リスを可愛がろうとしているのであった。そのようにしてリスとネズミの両方にかかずらっていると、さほどこまやかに観察しないでいても、リスとネズミがはなはだ似ている動物で、一挙一動、見れば見るほど同族のように思われてくるのであった。
 たしかに、室外のリスと屋内のネズミは、おたがいに愛しあいも憎みあいもせずに、無関係に暮らしているにちがいなかった。それだのに私、私たちは片一方を生かしてやろうとし、もう片一方を生かしてやるまいとしているのであった。
 
 このあと武田の思索はリスとネズミを契機に、存在論、支配関係にまで及んでしまう。
 
 彼らが、あまりにも餌つきのいい動物であるからと言って、どうしてそれが彼らの罪であろうか。食物が「エサ」という別名をいやおうなしにかぶせられるのは、食物を得ることが容易ならざる大仕事であるからであって、餌によって動物と動物の支配関係が開始されたとしても、その動物どうしが見にくいことになりうるのだろうか。たしかに、餌をあたえるものは「神」であり、餌を与えられるものは「選ばれたる民」であるという教えには、どことなくいやしいもの醜いものがこびりついているにしても、しかし「エサ」なしの生存というものが考えられない、この生存の絶対条件は、「美」に反するものだろうか。
 私は、餌をあたえる神になどなりたくはなかった。そのような「神」は、餌をあたえることによってのみ「神」でありうるという特殊条件のため、また別の「神」によって奪権され、神の座から逐い落とされるであろう。だが、餌を恵みあたえない神が存在しないとすれば、そのような「神の悲劇」はくりかえされるにちがいないのだ。動物たちのあいだに、餌を保有し分配する「神」が存在するのが、この世の秩序の本質だとすれば、その本質こそは「神」の交代、「神」の転換の原因であるにちがいない。
 
 
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2月22日(土)
「にゃんにゃんにゃんの日」
 
 夕べは早めに床についた。その分だけ花子に起こされる時間も繰りあがってしまうかもとすこしだけ危惧していたが、そんなことはなく、五時半ごろに起こされた。いつもは蒲団の上にドサリと乗りあがってゴロゴロいいながらモミモミ動作を繰りかえし、顔の方へ移動してから髪の毛をヒャアヒャアと音をたてながらなめ回し、それでも起きないとなると、パクリとほっぺたや肘のあたりにかみつくのだが、今日はにゃんにゃんにゃんの日だからだろうか、いきなり枕元にやってきて、「にゃんにゃんにゃんにゃん」としつこく鳴くという新たな技で起こしに来た。
 と書いている今、花子はぼくの肩のうえでゴロゴロいっている。今度は腕のほうへ移動してきた。キーボードに向かうぼくの手のうえで、肘の裏側のくぼみにあごをはめこむようにストンと乗せて、ぼくのみぞおちのあたりに躯の左側をすっかりペタリとくっつけて、ゴロゴロゴロゴロ。にゃんにゃんとはいわないのは、あと五分くらいでにゃんにゃんにゃんの日が終わるからだろうか。
 忙しくてかまってあげなかったのが原因で、麦次郎にハゲができた。カミサンはこの心因性ハゲをたいへん気にして、いつも以上に麦次郎のことを可愛がっているのだが、その反動からだろうか、花子のぼくたちニンゲンに対する甘えかたが、ここ最近尋常じゃなくなっているのだ。この子もやはりさみしさのようなものを感じているのだろうか。そのさみしさを、ぼくらはついつい表面的な愛情で埋めようとしてしまう。ほんとうは、ぼくらには猫たちが何を欲しているのか、なぜさみしいと感じてしまうのかがよくわからないのだ。わかったふりをするのは危険だ。わかろうとしないのも危険だ。ニンゲンの、動物に対する傲慢さはこんなところにも現れ、ペットのハゲや血尿の原因を引き起こしているのかもしれないと思うと、ほんとうにどうしたらいいのかがわからなくなる。迷う。混乱する。
 
 十時三十分、事務所へ。しばらくストップしていたO社埼玉支店のチラシが動き出したので、そちらに専念する。誌面構成の考え直し、コピーの書き直しなど。
 午後、義父母が事務所にやってくる。先日の空き巣事件のあと、いろいろな方からお見舞いをいただいたらしいのだが、いちごがずいぶんと重なってしまったらしく、食べきれないので持ってきたという。近所の蕎麦屋「草庵おおのや」で昼食。ここは何度か足を運んだことがあるのだが、こじゃれた内装と手抜きのない丁寧なつくりの手打ち蕎麦が魅力の、新感覚の蕎麦屋だ。かの山本益浩氏も絶賛しているらしい。だからどうこうというわけでもないのだが。
 午後から吉祥寺のドコモショップへ。空き巣に襲われたことがトラウマになっている義母を安心させるために、緊急連絡用ということで携帯電話をもたせることにしたのだ。シニア世代をターゲットに開発された「らくらくホン」というタイプにした。液晶の大きな文字、大きなボタン、短縮ダイヤルボタンなど、シニアに扱いやすい設計になっているのが売りの機種だ。機械音痴だった義母にも、充分扱える。
 
 夕方からは、引き続きO社埼玉支店。区切りがついたので、事例集のほうも手をつける。十九時三十分、店じまい。
 
 夕食はチゲ。
 
 テレビ東京『美の巨人たち』を見る。ピーテル・ブリューゲル――「ピーター」と表記されるほうが多いし、自然だと思うのだが――の『雪中の狩人』。ブリューゲルの作品は、大胆な構成と緻密な描写、そしてそれらに命を与えるユーモアさと皮肉のバランスが絶妙で、ついつい見とれてしまう。
 
 風呂上がりに、フジテレビの番組で「もしあなたが宇宙人と出会ったら」というテーマで、アブダクション体験――宇宙人との遭遇体験――をした人たち五十六人からのアンケートを発表していた。宇宙人に会うと、鼻血が出て、肌の調子が良くなって、何かを埋め込まれるかマークを付けられるかして、体毛が濃くなって、会う宇宙人はみんな目玉のでっかいいわゆる「グレイタイプ」で、もう一回会うことが多くて、硫黄みたいな体臭がして、テレパシーで会話をするそうだ。
 
 読書は武田泰淳『富士』をすこしだけ。
 
 
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2月23日(日)デヴィッド・シルヴィアンの誕生日
「花子の災難/寸止め空模様/死にかけたキンモクセイ」
 
 五時。花子に激しく抗議されつづけたような気がするが、脳が漠としていて思い出せない。気がついたら、猫缶のプルタブを開けていたのだ。疲れは日々の生活のこういった部分に顕著に現れるようだが、花子にとってはいい迷惑だろう。
 
 九時三十分起床。天気予報では雨ということだが、まだ降っていない。寸止めということばがあるが、まさに雨滴が雨雲のなかで寸止めされているような空模様。誰が寸止めているのかは、ぼくにはわからない。昨日テレビで見た宇宙人かもしれない。硫黄くさい体臭の宇宙人。
 
 十時三十分、事務所へ。今日も労働だ。O社事例集、E社ダイレクトメールなど。DMのほうは、商品の価格と差出人の欄を七十四通りもさしかえなければいけないので、校正がたいへんだ。データをプリントアウトするだけでも一苦労である。二十三時ごろ、ようやく終了。個展の準備作業をしていたカミサンといっしょに帰宅する。
 
 キンモクセイといえば十一月ごろの風物詩――陳腐なことばだなぁ――だが、それから三ヵ月もたつと幹や枝、葉はどんなふうに変るのだろうと思い、ふと帰りの道すがら、よその家の庭をじろじろと見回し、暗闇のなかで風にあたってわずかに枝や葉をゆらすキンモクセイを見つけてみた。そのキンモクセイの木は、妙なほどに元気がなかった。かろうじてぶら下がっている葉はうなだれて下を向き、数もまばらで暗闇だというのに枝の伸び具合、分かれ具合がよくわかるくらいだ。ここ数日は雨の日が多かったというのに、枝や幹は干涸びて見えた。夜の、薄暗い街灯にちょいと照らされている程度でもこれだけ貧相さがわかるのだから、昼間に見たらきっとぼくはキンモクセイの哀れさに涙を流すだろう、などと思いながらその場を過ぎ去り、視線をほかの家の庭のほうへと移した。キンモクセイはここにもあった。が、先ほどのキンモクセイとはまるで趣がちがう。葉は小ぶりだがびっしりと密生し、枝はもちろん、幹も見えない。手入れも行き届いていて、半球状にきれいに刈られているのが美しい。三ヵ月ほど前の、秋のやわらかな陽射しをそのまま香りにしたような芳香を漂わせながら山吹色の小さな花をちまちまと、しかしいっぱいに咲かせていると様子がすぐにイメージできた。おそらく、この状態がキンモクセイのあるべき姿なのだろう。先にみた木は、ひょっとしたら弱っているのかもしれない。誰かが面倒を見て、手入れをしてやならければたちまち木は枯れるはずだ。でも、それはぼくの仕事ではない。ぼくにできることは、その木の様子を観察し、ことばにして綴ることくらいだ。
 
 『富士』。戦時中の精神病院の医者と、若き憲兵の会話。
 
 
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2月24日(月)
「今日の事件簿」
 
●雨ときどき雪事件
●パンク寸前事件
●仕事しながらマイケルの真実事件
●デブ赤子事件
●ハンコ使いこなし事件
 
 
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2月25日(火)
「今日の事件簿」
 
●四時間だけだよ事件
●ごめんね花子事件
●思ったより軽いよ事件
●文末で考えることを放棄する事件(武田泰淳『富士』)
●埼玉大暴走事件
 
 
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2月26日(水)
「ごめんね花子/特急列車に乗る」
 
 ここ数日睡眠不足の日々がつづいているせいだろうか、花子はあいかわらず夜明け前にご飯をねだっているようなのだが、気づいてあげられない。七時すぎに、リビングあたりからだろうか、遠くのほうでニャンニャンと、プリプリ怒った声で抗議する花子に気づき、やっと重たいまぶたを開け、重たい躯を起こしあげるありさまだ。これでは猫に嫌われてもしかたない。
 
 九時、事務所へ。メールチェックと手帖(といっても最近はPDAなのだが)の整理だけ済ませて外出。甲府にある某企業の取材だ。九時三十分、西荻発。十時すぎに八王子へ。特急かいじに乗り換える。遠方での取材のときは新幹線を利用することが多いせいだろうか、スタンダードな特急列車が妙に新鮮に感じられる。中央線の線路をぶっ飛ばしながら走るわけだが、そのせいか車体が頻繁に揺れるので、取材用の資料に目をとおしたいというのに、うつむいていると気持悪くなってしまってよろしくない。資料チェックは断念し、景色を楽しもうかと思ったが、これもなんだかうまくいかない。線路は谷間に沿って敷かれているらしく、列車の左右はだいたいの場合が落葉してひからびたように見える木々と枯れた雑草に覆われているか、あるいはコンクリートで塗り固められてしまっている山の斜面しか見えない。線路のすぐ横が斜面になっているので、間近すぎてゆったり眺めるという感じにはならない。枯れ木やコンクリートは視界に現れたかと思うと、猛スピードで後ろへ流されていくのだ。これをじっと見ていると、列車の揺れとの相乗効果でさらに気分が悪くなる。目が回り、いっしょに脳みそまで回りだす。かと思うと、視界は突然真っ暗になる。トンネルだ。真っ暗になる時間はそう長くないのだが、回数が多いのには辟易した。トンネルが頻繁につづくのだ。明るくなったり、暗くなったりをふしぎなリズムで繰り返す特急列車。車内を見渡してみると、出張らしいサラリーマンばかりなので驚いた。たいていは二、三人のチームで移動している。一番偉そうなのがリーダーなのだろう、では各チームのリーダーは誰なのかと思い、コソコソ、チラチラと横目で見ながら観察してみたのだが、これがさっぱりわからない。どうやら最近の会社の上下関係は、外部の人間がちょいと見ただけではよくわからないようになっているらしい。原因は企業の実力主義化とリストラによる年功序列的上下関係の崩壊にあるのではないかと推測したが、確信はない。オッサンたちに興味があるわけでもないし、ナニ見てやがると因縁をつけられるのもイヤなので彼らの観察はほどほどに切りあげて視線を移してみる。左の車窓から湖のようなものが見えた。今列車はどのあたりを走っているのか、この湖の名前は何というのかが知りたくなり、身を乗り出そうとするが、またトンネルに視界を奪われてしまう。これが何度も繰り返され、トンネルが少なくなってきたころには、湖はすっかり見えなくなっていた。かわりに山が見えた。いや「山々」と書くのが正しい。八ケ岳や富士山だろうか。よく見えない。薄ぼんやりと霞がかかっていて、山の稜線はあいまいに重なり合って、ぎりぎりのところで空と溶けこまず、危うい感じではあるが、その存在をなんとか主張しているように見える。雪山も確認できた。山は列車のカーブにあわせてときどきわりと近くに見えたり遠くに見えたりする。近くに見えたときは、さてそろそろ春の訪れが感じられるような何かが見えるだろうかと思うのだが、目をこらしたところでなにもわからなかった。つまらないので、すこし寝ることにする。横の席では、若そうなカップルがいちゃついていた。新体操の選手じゃないのかと思うくらい躯のやわらかそうなオネーチャンが、子どものころからまじめで万引きやピンポンダッシュはまったく経験していなさそうなオニーチャンのひざまくらで寝はじめたので、見ていてはずかしくなってしまった。その寝方、からだを右側にくにゃりとまげる姿勢にはかなり無理があって、それが躯のやわらかさを強調しているのだ。あの子はきっとゴム人間にちがいない。ぼくは躯をかたくこわばらせて、まぶたを閉じ、まぶたも硬くこわばらせたまま、膝のうえではなくリクライニングシートにもたれて寝た。
 十一時二十分ごろに甲府駅着。クライアント、代理店、デザイナー、カメラマンと合流し、ほうとう屋さんで昼食。はじめて食べた。かつおだしと味噌じたての、具だくさんの煮込みうどんだな。店員さんは「ホウトウ」といわず「ホト」と発音していた。方言だろうか。
 十三時、取材開始。こむずかしい内容だったので疲れた。十六時三十分、取材終了。ほうとうとへんちくりんな黒い饅頭をおみやげに買った。スーパーあずさ号で東京に戻る。
 
 事務所に戻ってからはO社埼玉支店を進めつつ、今日の取材内容の整理。二十二時、終了。
 
 武田泰淳『富士』。フツーと狂気は紙一重だなあ。
 
 
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2月27日(木)
「ポキ」
 
 セキセイインコたちの餌を入れ替えようと籠の扉を開けて手をなかにつっこむと、きゅーがすかさず外へと飛びだしてしまう。部屋には花子と麦次郎という二匹の猫がいる。飛ぶ鳥が目のまえにいたら、狩ろうとするのが本能だ。ぼくはあわてて立ちあがり、部屋のなかをミニチュアのトンビみたいにぐるぐると円を描くように飛びまわるきゅーをぐいっとつかむ。ポキ。いやな音がする。やべえ。きゅー。だいじょうぶか。ぼくはきゅーを握った手から力を抜いてみる。きゅーは目を閉じまま、ぼくの掌のうえでぐったりしている。白いはずの体毛が、真っ黒に変色している。きゅー。きゅー。だいじょうぶか。ぼくは人さし指できゅーの腹や腿のあたりをつっついてみる。きゅーはときどき思いだしたようにぴくぴくと動いた。しかし、それが生きている証拠だとはとても思えない。猫たちは、あわてふためくぼくを、ホットカーペットのうえで寝ころがりながらしずかに眺めている。
 というところで目が覚めた。八時。あわてて鳥たちを確認しに行く。だいじょうぶだ。きゅーもうりゃうりゃも元気だ。だが、夢のなかでの「ポキ」という音は、この文章を書いている今も、あたまのなかになまなましく響きわたっている。ポキ。ポキ。ポキ。ああ、大宰の『トカトントン』みたいだ。いや、かなりちがうな。
 
 九時、事務所へ。午前中は事務処理と銀行めぐり。午後からは昨日の取材をもとに、D社PR誌の原稿執筆。夕方からはO社埼玉支店などとの同時進行に。途中で仕事がイヤになり、近所のマッサージ店「プラスドルポ」に逃げ込んでしまう。一時間後にはリフレッシュして戦線復帰するが、この一時間で事態は急変してしまった。O社の物件、二件が火を吹きはじめる。が、一時間後には収束。二十二時三十分、帰宅。
 
 今日は本を全然よまなかった。これからすこしだけ読むつもりだ。
 
 
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2月28日(土)
「病は運気から」
 
 八時起床。晴れ。かなり疲れが溜まっているが、それでも昨日のマッサージは効いているみたいで、腰の重さはあまり感じなかった。カラダが不調になると、すべてが不調になるようでおそろしい。「病は気から」ということばがあるが、ここで使われている「気」という文字は「運気」を意味しているんじゃないかと思うことがある。健全な肉体にしか道は用意されていないのだろうか。
 
 九時、事務所へ。昼間はただひたすらにA社のパンフレットに注力しつづけた。よくわからない商品なので、それを理解することからはじめる。資料を読み、構造を把握し、解体して意味をバラバラにしてみると、なぜそのような構造をとっていたのかということ、すなわち意味と役割の連関がみえはじめてくる。こういう作業が、ぼくは好きだ。解体は創造の第一歩でもあるのだ。
 夕方からは、O社埼玉支店チラシとパンフレットを同時に進める。スケジュールがこんがらがってきたので整理してみたら、その作業だけで三十分もかかった。来週はやるべきことがてんこ盛りだ。ご飯がてんこ盛りならうれしいが、仕事のてんこ盛りは少々憂鬱だ。終わったら、それがそっくりそのまま売上になるので、まあその点だけはうれしいのだが。二十三時、店じまい。
 
 帰宅後すぐに花子のゲロを発見。片づけ終わると、今度は麦次郎がゲロした。動物のゲロは困るが、やめろとは言えず、言ったとしても理解してもらえないのでさらに困るが、ニンゲンにげろされるよりはマシだ。ぼくはストレスがたまるとゲロすることがある。サラリーマン時代は、それに悩み、病院に行ってバリウムを飲み検査したこともあった。ストレス性の自律神経失調による胃腸の不調らしい。幽門とかいう、胃袋と腸をつなぐ部分がストレスで機能しなくなってしまい。食べたものが腸にいかなくなるという症状。よくあることらしい。結局ぼくはこのストレス性の体調不良に耐えられなくなり、会社をやめてしまった。そして、今に至る。今のほうが、カラダの調子はいい。めったにゲロをしない、丈夫な胃腸になった。サラリーマンは向いていなかったと痛感する。ゲロがすべてを教えてくれたのだ。
 
 武田泰淳『富士』。狂人の定義と肉欲。引用。
 
 まどわされてはなりません。われら異常人の任務は、まどわされることではなくて、まどわすことなのです。まどわしてやりましょう。できますとも。まどわしてやることができる、それが、それだけが我らの生きがいじゃないですか。正常人のほしがる正常人向きの、正常きわまる美女、美夫人のニクタイ。それはすでに、我らによって徹底的に解剖され分析され、醜なるものとして決定ずみではありませんか。幻を追いはらえ。ちかよらせるな。そして我らの発見し発明し製造した幻を、彼女ら彼らにたっぷりと味わわせてやることです。負けてはいけない。かならず勝てるのだ。何より大切なのは必勝の信念をもやしつづけることです。負ケラレマセン勝ツマデハ。そうだ。大東亜戦争が開始されている。それだのに我らの大戦争が開始されないでいられるもんですか。



《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。見たもの、聞いたもの、感じたことを頭の中で、その場で文章にするくせがあるが、そのせいだろうか、最近独り言が多い。

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