「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇四年一月
 
 
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一月一日(水)
「正月とうりゃ君」 
 
 九時起床。一年の計はなんとやらというが、元旦をあまり特別視しすぎるのはどうなのだろう、などと思いながら休日としてはちょっと早めに起きてみる。外は晴れているが、雲は多いようだ。正月といえば快晴、不思議と寒さを感じない一月最初の日、というイメージがあるが、朝のうちは風が強く雲がみるみるうちに形を変えながら急ぎ足に流れていくのがリビングの窓からでもわかる。今年も毎朝、こうしてマンションのなかから朝の空を眺めつづけることになる。
 
 身支度を済ませ、新聞を取りに行く。カミサンはまだ寝ている。元旦の新聞は企業が力をいれたお年賀ご挨拶イメージ広告が多いので職業柄見逃せないのだが、今年はどういうわけかひねった内容のものや正月らしさを強調したものが少なく、それが少々さみしく思える。広告宣伝費の使いかたが変わってきたということだろうか。
 読書初め。今年は年末からよみはじめている古井由吉の「杳子」にした。日常生活に潜む狂気について。
 
 十時三十分、カミサンようやく起きあがる。夕べは掃除のしすぎでちょっと鼻風邪気味だったのでそっと寝かせておいたのだが、ずいぶん恢復したようだ。テレビの新春お笑い番組を観ながら乾杯し、おせちを食べる。だて巻などこの日しか食べないのだが、毎年のこととなると新鮮味はずいぶんと薄れてくる。だが食べないと妙にさみしい気分になるから不思議だ。自分にとってはだて巻こそが正月の象徴なのかもしれない。
 
 十四時、外出。事務所まで歩く。ここ数年、立派な門松を飾る商売人がずいぶん減ってしまったように感じていたのだが、今年はそれが復活している。不景気から抜け出しつつあるということが、こういう何気ないことから見えてくる。正月とは日本全体の元気の良さをうかがうためのものなのかもしれない。
 事務所で去年の破魔矢を引き上げ、このあたりの氏神さまである荻窪八幡へ。初詣の参拝客は、明らかに去年より多いようだ。家族連れで来た人たちが、子どもを境内で遊ばせている。両手をもってジャイアントスイングのように子どもの体を振り回してみたり、砂利をしきつめた庭で追いかけっこをしたり。幼児にとっては広い空間を走るのは何事にも変えがたい、楽しい体験なのだろう。犬連れの人も多い。コッカースパニエル、そしてチワワ。今年はビーグルやミニチュアダックスを見かけなかったのは流行のせいか。
 おさい銭は五十円にした。カミサンは百二円と十セントいれたそうだ。
 
 つづいて善福寺川沿いのうりゃうりゃ、ハチ、ポンが眠っている公園へ。墓参りである。うりゃに最近のきゅーの様子を報告する。うりゃのことを考えると、九ヶ月以上たった今でも胸が詰まる。
 
 帰宅後、すこし休憩してから義父母の家へ。義弟も交えて新年会。おせち、寿司、そしてなぜかカキフライ。おせちは義母がつくったものをわが家ですこし頂戴したから、内容はほとんどおなじである。
 二十一時、帰宅。
 
 正月であることをのぞいたら、ごくごくありふれた休日と、やっていることが変わらない。まあ、こんなもんなのだろうなあ。な、うりゃよ。
 
 
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一月二日(金)
「初夢の動物」
 
 夢は深層心理やら無自覚の欲求やらを映しだすと主張したのは、ユングだったかフロイトだったか。だとすれば、初夢というのは新しい年を迎えるにあたっての心理やら欲求やらを象徴しているということになるのだろうか。年を越し、表面的には気分が一新されているのだから、それが初夢に影響を及ぼすということも考えられなくはないのだろうが、こういった理屈で夢の世界を塗りかためてしまうのは、いささか無粋な気がしてしまう。ぼくが見た初夢はこうだ。わが家のインコ二羽、きゅーとぷちぷちがおなじ籠で――二羽はきゅーの体調不良のために別居中だ――楽しそうに遊んでいる。そこへきゅーとおなじ柄の白いインコが迷いこんでくる。どこから入ってきたのかと訝しむこともなく――なぜならわが家は猫を室内飼いしているから、窓を開けはなったままにすることはない。網戸はかならず閉まっている――、ぼくはすぐさまそのインコを飼う決意を固める。
 おそらくは昨日、初詣での帰りに立ちよったうりゃうりゃとハチ、そしてポンの墓参りの記憶が心のどこかに残っていたからこんな夢を見たのだろう。とくにうりゃうりゃは、ぼくがはじめて自分一人だけで――一人暮らしをしていた独身時代に――育てた動物なのだから、思い入れや思い出の数はとりわけ多い。いまだにヤツが痛風で苦しんでいたときのことを思いだすと、胸がギュッと閉まって喉がつかえるような感覚に襲われてしまう。夢で見た迷い鳥の柄はきゅーにそっくりだったが、ひょっとするとぼくはうりゃうりゃの復活を望んでいるのかもしれない。これを深層心理学のナンチャラカンチャラと理屈っぽく考えるか、それとも素直に、ニンゲンの欲求なのだと考えるか。
 ぼくがこんな夢を見たことを話すと、カミサンはシャム猫がまよいこんできた夢を見たことを話してくれた。夫婦二人で、動物の初夢だ。
 
 八時三十分起床。昨日よりさらに正月らしい空が広がっている。陽射しは明るく柔らかで、トリたちも猫たちもそろって気分がよさそうだ。
 十時四十五分、外出。新宿の小田急へ。デパートの初売りで新宿は大にぎわいのようだ。明らかに今年のほうが人手が多いのは、いくぶん景気が回復しているからか。エスカレーターでうえの階へと向うのだが、踊り場へ着くたびに女子店員の甲高い「おトクな商品がいっぱいつまった」「あと二個で終了です」といった掛け声が聞こえてくる。売り場に群がっているのは女性ばかりだ。自分が好きなデザインと欲しい機能を満たしたものしか買わない主義のぼくら夫婦には、福袋に夢中になる人たちの気持ちがよくわからない。おとくさと中身の意外性、欲しいものが入っていたときの、当たりくじを引いたときのような快感が福袋の魅力なのだろうなあなどと考えていたら、近ごろは福袋の中身を教えないと買ってくれないお客が増えているのだとカミサンが教えてくれた。なるほど消費者というものは利口で堅実だ。無駄な買い物はしたくない。だから福袋の売り方も変わる。
 書店にて、姪へのプレゼントとして五味太郎『さる・るるる』、自分用に金井美恵子『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』、西原理恵子『できるかなV3』を購入。地下でワインを一本購入し、実家へ向う。
 
 十三時三十分、古河駅着。通っていた小学校のまえをとおって、遠回りで実家へ。老朽化が激しい母校は改装工事の真っ最中のようだ。学校の周囲もガラリと変わった。新建材でできた住宅が立ち並び、よく鉛筆や消しゴムを買いに行っていた文具屋は店を畳んでいた。友人の家がなくなっている。懐かしさよりも新鮮さや珍しさを強く感じてしまう。故郷とは、そんなものなのかもしれない。
 
 実家で父母、妹家族とだらだらと飲む。昨年に父の姉が他界したので喪中だから、親戚回りをする必要もないのでのんびりと団欒できるのが気楽でいい。小学一年生になった甥はポケモンに夢中で、なんだかよくわからないキャラクターのウンチクを、延々と聞かされてしまった。ちょっと目を離すと、ゲームボーイでポケモンを育てる――のだろうか。よくわからん――のに励んでいるようだ。妹に聞くと、友だちはみなゲームボーイをもっているから、買い与えないわけにはいかないのだそうだ。もってなければいじめの対象になるのかもしれない。子どもがいない自分には、この状況がとてもおもしろく感じられたが、一方で自分には子どもがいなくてよかったと安堵してしまうのがちょっと悲しいといえば悲しいか。夢中になってほしいものは、ゲーム以外にもたくさんあるのではないか。
 東長崎に住む従姉の子どもがタレントデビューしている話を聞いて驚く。紅白歌合戦で、誰だかの後ろで踊っていたそうだ。テレビCMにもちょこちょこ出ているらしい。この一月からは、スマップの稲垣吾郎とドラマで共演するというのだから、将来有望なのかもしれない。
 
 十九時三十分、実家を出る。腹いっぱいの状態で西荻の自宅へ戻る。
 
 古井由吉「杳子」。心の病が二人をつなぐ。
 
 
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一月三日(土)
「肛門日光浴」
 
 九時起床。今日は昨日以上に天気がよいようだ。正月らしい能天気な青空が窓の外に広がっている。リビングに射しこむ陽の光もとぼけた感じで、その明るさと暖かさによろこびギョギョギョと鳴きさけんでいるインコたちは、正月の陽光のもつ独特な呑気さのせいだろうか、声はひどくやかましいというのに、なぜか妙にとろくさく聞こえてしまうから不思議だ。麦次郎は窓に尻を向け、陽だまりでしっぽと肛門を暖めるようなポーズでひなたぼっこをしている。
 
 午後より外出。事務所へ。年賀状をプリントする。年末は多忙すぎて、プライベートの年賀状が一通も書けなかったからだ。
 
 十五時、年賀状を書き終えたので、年末にオープンした喫茶店「日月潭」へ。ちまたでは昔ながらの喫茶店がドトールやらスタバやらに押されて閉店することが多いというのに、堂々と新規開店できてしまうのが西荻窪という街の不思議さだと思う。ふつうなら喫茶店などやってみたくても採算性の問題や競合の多さから敬遠してしまうのだろうが、この街なら喫茶店が好きなニンゲンが多く集まっているからその店の心配はないようだ。名前は忘れてしまったが、シマムラナントカとかいう名前の珈琲――豆の名前か、それともブレンド名か――を飲む。しっかりした味わいだが酸味や妙な癖がなくて飲みやすい。惜しむらくは、椅子の座り心地の悪さか。インテリア一点一点は素敵なのだが、座面が妙に硬かったり、テーブルの天板の高さが中途半端だったりで、長時間くつろげる感じではない。
 スーパーなどに寄ってから帰宅。国産の亜硝酸塩無添加ワイン、チーズ、バケットなど。
 
 帰宅後はテレビを観ながらのんびり過ごす。『古畑任三郎』など。
 
 西原理恵子『できるかなV3』。肉弾戦である。体をはった――というより、人生をはった――取材をもとにした下世話で破壊力のあるギャグの連続だ。ぼくは、これは私小説にかぎりなく近いと思う。おそらく話の半分は事実なのだろうが、あとの半分は虚構である。そして、随所に見え隠れするサイバラならではの切なさ。水商売の女たちのかかえる悲しみ。過度にセンチメンタルになっているわけではない。サイバラはただ、彼女らの事実を描写しているだけだというのに、妙に読み手のココロを打つ。それがサイバラの才能なのだと思う。
 
 
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一月四日(日)
「ソース味」
 
 日曜日であるが仕事が間に合わないので今日は初出勤にすると年末から決めていたのだが、そのせいだろうか、目覚ましをセットした八時四十分より一時間以上も早く目が覚めてしまう。二度寝――正確には五時に花子にごはんを与えるために起きているから三度寝――すればいいのだが、少々脳みそが熱をもってしまったようでなかなか寝つけず、結局布団のなかで体をうねうねと動かしながら、そしてときどきブウと放屁しながら無駄に時間をすごしてしまう。
 
 八時四十分、起床。休日出勤みたいなものだから朝の仕度はいつもと違ってのんびりしている。朝食が餅におせちの残りというのもおかしな感じがしておもしろいのだが、おせちはいい加減飽きてきた。元旦から三日まではお茶を飲むときと雑煮をつくるとき以外は火をつかわず、重箱にはいった保存食であるおせちを喰う。よくよく考えるとおかしな話で、めでたいのだったらおなじものを三日間も喰いつづけたりせずにあれこれバリエーションを楽しんだほうが舌も腹も心も豊かになるはずなのだが、ひょっとすると火をつかうなというのは、家のなかには本来火の気と水の気はあってはいけないとかいう風水だか家相学だかの教えのためなのかもしれないと考え、勝手に一人で納得した。
 
 十時、事務所へ。見積数本と、O社パンフレットの企画書作成。わずか五日間の休暇だったというのに、自分がいままでどんなふうに仕事を進めてきたのかがはっきり思いだせず――「感覚が思いだせず」と書いたほうが正確か――、調子が出るまで苦労する。いつも以上に脳みそがヒートアップし、ひどく疲れてしまった。
 話は変わるが、ウチの事務所はよく冷える。自宅は外の気温などさっぱりわからないくらいつねに暖かいのだが、事務所では暖房が必需品になる。ところがエアコンの暖房機能では、室内は全然暖まらない。まえのビルにいたときに愛用していたデロンギのオイルヒーターは、使いはじめると電力不足ですぐにブレーカーが飛んでしまう。寒さにたえかね、結局去年あたりからヒットしているハロゲンヒーターを一台新調することに。本体の価格もランニングコストも安いのがうれしい。効果はというと、まあエアコンよりはマシ、空気はあまり乾燥しない点は評価できるという程度。しっかり暖めるには、もう一台くらい必要かもしれない。
 十八時、疲労困憊ゆえに店じまい。
 
 夕食はお好み焼きにする。カミサンは「ソース味が食べたい」とおとといあたりから訴えつづけてきた。ようやく夢がかなったというわけだ。
 
 西原理恵子『できるかなV3』読了。うーん、二〇〇四年の初読了がサイバラとは。トホホ。
 よくよく考えるに、サイバラのやっていることはつげ義春とおなじなんだよなあ。つげよりも派手で破天荒だけど。私小説マンガ。
 
 
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一月五日(月)
「勤労であることを否定する」
 
 連日飲んだくれていたせいだろうが体調は最悪とまではいかないが決してよいとはいえない状態で、病気のような症状こそないものの、全身を覆うようなだるさと眠気につねに襲われつづけている。夕べは二十三時をすぎたあたりでもう目を開けているのもつらくなり、布団のなかにもぐり込んだらたちまち記憶が消えてしまった。ところが明日から仕事がはじまるという緊張感からか、朝の四時には目が覚めてしまったからやっかいだ。花子もまだ起きていない。小便をしてからふたたび布団に入るが、眠ろうとするとどんどん頭が冴えてしまう。ところがどういうわけか、時間はどんどん過ぎていくようで、気づいた五時を回っていたということは、ぼくはどうやら頭が冴えていたという夢を見つづけていたのかもしれない。熟睡はしていないと思う。だから日記を書いている今も、眠い。
 
 八時起床。朝のテレビはようやくレギュラー番組が再開したようだが、どこを見ても年始のニュース――曙やら駅伝やら小林幸子やら――ばかりで、これでは年始の特番とおなじではないか、などと思ってしまう。
 
 九時、事務所へ。今日が仕事はじめとなる人は多いと思うが、正月のあいだよりもぐっと気温が下り冬めいてきてしまったから、いきなりやる気をそがれているのではないか。その点ぼくは昨日から仕事をはじめているからさほど気分はもり下っていないが、それでも今日の中途半端に曇った空模様と冷たい風に身を包まれると、もう一日くらい休んでいてもいいのではないかなどと考えてしまう。ニンゲンは、決して勤労なドウブツではない。
 
 O社パンフレット、プロバイダPのCD-ROM、Y社パンフレットなど。てんてこ舞いする。
 今日は気温が低いせいか、事務所のなかがなかなか暖まらない。昨日購入したハロゲンヒーターは、全開にするとブレーカーが落ちる。エアコン全開では電気代がアホほどかかる。これでは仕事にならないので、東京ガスに連絡してガスファンヒーターを購入することにした。ハロゲンヒーターは自宅で使うか、ヤフオクに出そうと思う。
 
 古井由吉『杳子』。今日は疲れているのでちょっとだけ。
 
 
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一月六日(火)
「克弥が夜来て、むくよ。」
 
 いきなりかつてのベン・ジョンソンのロケットスタートのような勢いで仕事をはじめたものだから、ドーピングでもしないと気力も体力も持続してくれないような気がするのだが、だとしたらどんな薬物を使えばいいのかがわからなくて、結局しょぼくれたスタミナドリンクなんぞに頼ってしまう自分が少々情けなく感じてしまう。それくらい、疲れている。
 
 九時、事務所へ。ただひたすらに、もくもくとO社パンフレットの企画書を書きつづける。昔ヘアトリートメントのCMに「吸いこむ吸いこむ吸いこむ吸いこむ…」とおなじフレーズを繰りかえすというものがあったが、今日のぼくの場合は「考える考える考える考える…」という調子だから、いつ脳みその回路がプツリと切れてもおかしくない状態。頭のなかでカラカラと音が鳴ったり、脳みそがもうひとつ余分に頭のなかに生まれてきてソイツが勝手になにかをつぶやきはじめているような感覚に陥ったり、手足が他人のものであるように感じてしまったりすることも多々あったのだが、そんな違和感を感じるたびに、顔を洗ったりクネクネ体を動かしたりして違和感をもみ消した。そんなことをしつづけていたら、あっという間に夜が更け、日付が変わってしまった。一時三十分、帰宅。
 帰宅途中、猫を何匹か見かけた。
 
 西原理恵子『人生一年生2号』を風呂のなかですこしだけ。高須クリニックのサイバラ描き下ろし広告が下品で笑ってしまった。キャッチフレーズは「克弥が夜来て、むくよ。」たしかにいきなり浅香光代みたいなおばちゃん顔のオッサンにチンコの皮を剥かれたら、悲惨だ。でもこれ、広告になるのか?
 
 
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一月七日(水)
「拭くべきか出すべきか」
 
 八時三十分起床。正確には七時五十分には、つまり毎日起きだすころには目が覚めてしまったのだが、体がいうことを聞いてくれない。もっとも今日は三十分寝坊することを夕べのうちから固く決心していたから、目が覚めても意地でも布団のなかにいつづけてやった。目覚ましが鳴ると、花子が起こしに来てくれる。それだけが、朝のたのしみ。
 
 九時三十分、事務所へ。加湿器がぶっ壊れる。電源をいれてもシュワーとしてくれない。あれこれいじっていたら、なかに溜まっていた水がブワーとこぼれだし、床が水浸しになってしまった。すぐに拭こうとするが、雑巾が見当たらず困る。おまけに便意を催してしまい、拭くべきか出すべきか出したあと紙で自分の尻を拭いてそのあと床を拭くべきかと迷う。迷いすぎて、便意が最高潮に達してしまった。もらすかと思った。
 十一時、デザイナーのL氏とプロバイダPのCD-ROMのジャケットの打ちあわせ。L氏と会うのは久しぶり。髭がなくなり、すこし小奇麗になった感じ。
 
 午後からは事務処理とO社企画書の代理店からの問合せ対応、カンプの修正など。夕方、ようやく企画書もカンプもフィックス。あとはプレゼンだけ。十八時、帰宅する。
 
 家で「ミャウリンガル」を試す。カミサンは「あたってるよ〜」といって興奮している。ぼくはというと、じつはあまりピンと来ない。なぜだろう。理由は自分でもわからない。
 
 古井由吉「杳子」。どんどん異常な小説になっていく。そんな感じ。緩やかなエスカレート。
 
 
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一月八日(木)
「泥と尿意とかめはめ波」
 
「ドラゴンボールランド」とかなんとかいう名前の胡散くさくて貧乏くさくて田舎くさい場所にはだしで連れてこられた。クルマで連れてこられたのだが、後部座席に乗っているかと思えばいつのまにか助手席にいたり、屋根のうえのキャリアにつかまっていたりと居場所が自分の意志とはまるで関係なくコロコロ変わってしまって居心地が悪い。「ドラゴンボールランド」は無愛想な施設だった。地面は舗装などされておらず、かといって砂利が敷きつめられていたり芝生を植えているわけでもないから足はたちまち泥だらけになる。小学生のころ校庭にあったような、コンクリートで簡単にこしらえただけの水飲み場で足を洗うが、タオルもなければ拭いたあとに履く靴もないから、洗っている途中で自分が無意味なことをしているのに気づくが、それでも足を洗うのをやめることができない。いや、やめようとしない。ザアザアと水を流したままにしていると、場内アナウンスが遠くのほうから聞こえてくる。どうやらこれからクリリンとヤムチャがかめはめ波の打ちあいをするらしい。濡れた足のまま、はだしで会場へと小走りする。走ると膀胱が上下に揺れる感じがして、ああ自分は今尿意を催していると感じる。気づけばかめはめ波の会場ではなく便所にいる。公園によくあるアンモニア臭のきつい汚れた便所よりも汚い。作りもぞんざいなのだが、そんなことは気にもとめずにチンコを出して放尿をはじめる。尿は本人の意思など無視するかのように、身勝手なリズムでジョッと出てはすぐに止まる。それを延々くりかえしている。これがいつまでつづくのだろう。そんなことを漠と感じはじめたところで目が覚めた。横には花子がいる。ごはんを催促された。ぼくの足はよごれていない。おねしょもしていない。
 
 八時、ちゃんと起床。寝室はキンと冷えきっているが、リビングは朝日が射しこんでいるせいか、それとも鳥籠を保温するためにオイルヒーターをつけっぱなしにしているせいか、暖かい。窓の外に広がる空は白く霞むような、いかにも冬の空らしい青さだ。秋の空は高く感じるが、冬の空は遠くに感じる。
 
 九時、事務所へ。プロバイダPのCD-ROM、Y社パンフレット、E社POPなど。
 昼食はひさびさに「それいゆ」へ。いかにもワタシタチハスギナミクミンデス、ソレモモウナンジュウネンモスミツヅケテイル、キッスイノスギナミッコデスとでもいいたそうな顔と品格の、六、七十代の女性三人が黄色い声で止まることなくしゃべりつづけている。どうやら生協の共同購入のことを話しあっているようだ。ショクヒンノアンゼンセイだとかスコシデモカラダニヨイモノヲヨリヤスクとか、そんなことを延々と繰りかえしているのだが、気づくと脱線して世間話をしている。世間話のほうがおもしろいらしく表情がアンゼンセイとかヨリヤスクのときとは比較にならぬくらい柔らかくなるのが、横目で見ていてもよくわかる。
 二十時、店じまい。カミサンとスーパーに寄ってから帰宅。
 
 家に着いてから、麦次郎と花子にミャウリンガルを何度も突きつけて鳴くようにけしかけてみた。何度か声をキャッチし翻訳するのに成功する。当たってるように思えるのが六割、といったところか。昨日はさほど楽しく感じなかったが、今日はおもしろくてしかたがない。
 
 古井由吉「杳子」読了。家にとじこもったままの杳子の家を訪問する主人公。杳子の姉に、杳子に精神病院に入院するよう勧めてほしいと頼まれる。神経質でノイローゼ気味の青年と明らかに精神を失調している女子大生の関係を淡々と描いているだけの小説だが、心理描写の技量と情報量が圧倒的であるがゆえに、物語としての起伏がさほどはないというのに、つねに作品全体を緊張感が覆い、そしてそれが徐々に徐々につり上がっていく。心理描写ものの小説としては理想形なんじゃないかなあ。
 つづいて、同作品集に収められた「妻隠」を読みはじめる。
 
 
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一月九日(金)
「半休/トンチンカンな空戦」
 
 八時起床。気圧配置を確かめたわけではないのだが、おそらく西高東低なのだろう。霞むような青の冬空が遠くに広がっているのが向かいのマンションの屋根越しにわかる。冬の陽射しは意外に鋭く感じるのはぼくだけだろうか。暖かみが弱いぶんだけ、瞳のなかへするどく突き刺さってくるような感じがする。
 
 九時、事務所へ。午前中は半休とし、吉祥寺パルコ「ワイズフォーメン」のセールに行く。今冬は夏のような混雑がなかったので買いやすくはあったが、品数は少なめ。セーター、カットソー、そしてプレイントゥーの靴を購入する。つづいて「パルコブックセンター」へ。『群像』二月号、『戦後短篇小説傑作選1 青春の光と影』を購入。大江健三郎や金井美恵子の作品が収録されているようだ。
 十一時、カミサンと合流。カミサンの買い物にも付き合わされる。十二時、有機野菜が食べられるレストラン「グリーンテーブル」で昼食。お総菜定食。蕪のマスタード和え、サツマイモのヨーグルト和え、ニンジンのトマトソースがけ、紫芋の天ぷらなど。
 
 十三時、帰社。Y社パンフレット、プロバイダPのCD-ROM、E社POP展開の企画などをバラバラと同時進行。
 十七時、飯田橋のN社へ。Y社の新規案件、ハウツー本のカットなどの打ちあわせ。十九時帰社。
 事務処理や残務をワラワラとこなし、二十一時三十分、店じまい。疲れたので焼き肉で精力をつけてから帰る。「力車」にて、タン塩、ネギ塩カルビ、ハラミ、ホルモン、冷麺。
 
 帰宅後、録画しておいた深夜枠の新アニメ『エリア88』を観る。愛読マンガのひとつである。中東の石油輸出国であり内乱がつづいている王国・アスランの外人部隊が編成されている空軍基地に取材のために訪れた戦場カメラマンの新庄真(まこと)。彼の目的はひとつ。ここに日本人パイロットがいるという噂を確かめに来たのだ。それがシン・カザマ、風間真である。
 真の機はF-8Eクルセイダー。連載当初とおなじ機種だ。原作をベースにしているが、物語中盤から登場していたキムやラウンデルといった濃いめのキャラがうまく組み込まれている。ミッキーがF-14Aトムキャットに乗っているのには驚いた。真のF-8Eとスクランブルするシーンがあるのだが、あれじゃF-8Eが貧相に見えてしまう。
 物語は、原作初期の冷徹な戦場という雰囲気がよく出ていると思う。でも、これじゃ『カウボーイ・ビバップ』みたいだななんて感じたりもした。ちなみに監督は『カウボーイ・ビバップ』のスタッフでもあったそうだ。ふうん。空戦シーンの描写はトンチンカン。飛行機の動きが三十年以上前の特撮映画のテグス吊りみたいだ。
 
 古井由吉「妻隠」。アパートのそばの空き地に現れたおかしな老婆。日常に突然紛れ込んできた違和感の象徴、とでもいおうか。
 
 
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一月十日(土)
「恢復するトリ」
 
 九時起床。平日と比べると一時間ほど寝坊したことになるが、まだ冬休みのだらけた生活リズムが体のどこかに残っているようで、寝坊するのがあたりまえのように感じてしまう。
 
 十時、事務所へ。休日出勤である。プロバイダPのCD-ROM、E社POP企画など。十六時三十分、ようやく作業終了。十七時、カミサンと合流し、きゅーを連れて都立家政にある鳥の病院へ。病院は相変わらずの混雑ぶり。まあ鳥の専門医が極端に少なく――専門性が高い割に予防注射などのニーズがないせいか儲けが少なく採算が合わないからだそうだ――、おまけにここが名医という噂は鳥好きのあいだにしっかり広まっているから仕方ないといえば仕方ない。待合室が狭いのでカミサンに順番待ちをしてもらい、ぼくは都立家政の街で時間つぶしをすることに。
 喫茶店を探す。夕暮れどきだからお買い物の主婦や学生が多いかなあなどと思いながら街を歩くが、人通りは意外に少ない。人もまばらでいまひとつ活気のないなか、駅の反対側に行ってみる。以前はいった「フロンティア」はハズレだった。そのすぐそばに、「さくらさくら」という喫茶店を見つけたので入ってみる。西荻の喫茶店にありがちなアンバーな照明でうす暗いが明るいという雰囲気ではない。調度品は西荻よりもちょっと小奇麗だがダークオーク調のものが多いのだが、店内の照明が明るめなので清潔感がある。「さくらブレンド」を注文。スタンダードな味。おかしな癖はまったくなく、さらりと飲みやすい。十九時三十分くらいまで読書して時間をつぶす。一度店を出てカミサンにiモードでメール。まだ四人くらい先ということなので、もうすこし時間をつぶすことに。ゲームソフトやCD、コミックなどを取り扱うリサイクル店へ。なんかクサイ。不潔なニオイがするが、新古本で鴨志田穣・西原理恵子『もっと煮え煮え アジアパー伝』を見つけたので購入。まだ時間がありそうだがもう喫茶店もなさそうなので、しかたなく「ドトールコーヒー」へ。二十時三十分まで時間を潰す。しっかりした珈琲を飲んだあとにこういった場所で大量生産の珈琲を飲むと、味と香りの差に驚いてしまう。どうもこういった場所にはなじめない。
 二十一時、ようやく診察。きゅーの体重は相変わらず二十七グラムなのだが、肉付きはしっかりしているようで、先生は無駄な脂肪が落ち、しっかりした筋肉がついた結果、これが適性体重になったのではないかと判断。投薬も今回いただいたものを最後にしばらく様子を見て、すこしずつ通常の生活に戻せるようにすべき、との指導を受けた。
 二十二時、ようやく帰宅。鳥の病院は毎回大イベントと化す。
 
 古井由吉「妻隠」。高熱に倒れた主人公。病というフィルターを通して見た妻の日常。この作品、テーマは「違和感」かな。
 
 
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一月十一日(日)
「一皿二千円」
 
 八時、めずらしくカミサンのほうがぼくより早く起きて、ゴソゴソと身支度をはじめた。今日は義母と現在出品中の名古屋松坂屋の「ニャン博」に行くのだそうだ。ぼくは完全休日と決めこんでいるので、まだ起きない。九時に体を起こしたころには、カミサンはもうばっちりメイクを済ませていつものワイズを着込んでいる最中だった。いってらっしゃいませ。ヒモになったような気分で顔を洗い、寝巻きのまま一人で朝食を採る。掃除、片づけ。
 
 十一時四十五分ごろより「ハローモーニング」を観る。辻加護の卒業決定記念のインタビューをやっていた。ふたりとも楽しそうだ。モー娘。という場所は今のふたりには少々窮屈なのかもしれない。
 
 午後より外出。事務所に向い置き忘れていたものを引き上げてから、「タイ風ラーメン ティーヌン」へ。センレイトムヤムを食べる。店内に芸能人のサインらしきものが飾ってあるので目を凝らしてみたら、大鶴義丹とマルシアのだった。笑ってしまう。
 スーパーで買い物してから帰宅する。一人で散歩しようかとも思ったが、寒いし冬の散歩は植物がみな枯れているせいかあまり楽しくないので大人しく帰ることにしたのだ。
 
 夕食作り。麻婆豆腐と中華風コーンスープだ。麻婆豆腐はネギ油を自分でつくり、それを仕上げにふりかけてみた。豆腐は濃厚な味が気に入っている「三之助」を使った。醤油は日本のものではなく中国のものにした。久々に満足できる味。中華料理屋で、一皿二千円以上の値をつけてもおかしくない味。っていうのは、ちょいと大げさか。
 
 二十三時過ぎ、カミサン帰宅。「ニャン博」は大盛況、出品した商品もほとんど売れてしまっていたそうだ。麦次郎をモデルにし、うりゃとハチの姿を背面に描いた力作の招き猫も売れていたという。ちょっと残念。残念な気分とともに、ヒモになった気分もどこかに吹き飛んだ。
 
 古井由吉「妻隠」。病気によって得たこれまでとはほんのすこし異なる視線・視点をつうじて、夫婦のあいだにある「違和感」を自覚しはじめる主人公。夫婦という関係が崩壊する兆候なのだろうか。危うい。
 
 
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一月十二日(月) 
「借金返済」
 
 成人の日だが、正直どうでもいいと思う。冠婚葬祭の冠の字は元服、つまり現代の成人の日の儀式を指すらしいが、毎年のように成人の日のありかたについて問われているような現代においては、「冠」としての価値などもはや感じられない。十八歳となり高校さえ卒業してしまえば、まあそこから先は大人みたいなもの、子ども時代に溜めこんだ借金をなしくずしで返済していくような感覚で二十歳まで過ごすという生きかたのパターンが崩壊しないかぎり、成人式の問題は解決しないのではないかとぼくは思う。
 
 九時起床。カミサンは昨日の名古屋出張でひどく疲れているようなので、そのまま寝かしておくことにして、一人で掃除・片づけをしてから朝食を済ませた。十一時すぎ、カミサンようやく起きてくる。病み上がりみたいな顔をしていた。
 
 午後より散歩へ。寒いのでダウンジャケットを着込んだが、寒がりのぼくにはそれでも不足で、こんなことでは東京以北には住めないなあなどと思っていたら、カミサンが「名古屋はもっと寒かった」と何度も繰りかえし強調する。「昔住んでた滋賀も寒いよ」と付け加える。西も寒いのか。どうやらぼくには東京以外住める場所がないようだ。あ、あとは南西か。四国、九州。でもそっちは、夏に暑くてヘバりそうだから除外かな。まあ、実際引っ越さなければいけない事態になったときには、そんな贅沢はいってられないのだが。ぼくは気温に左右されすぎている。
 
 夕食は昨日の残りの麻婆豆腐、スープと「西荻餃子」で散歩のついでに買ってきた餃子でカンタンに済ませる。二日目の麻婆豆腐は二日目のカレーとおなじくらい味がこなれて美味くなる。ただし豆腐のうまさは飛んでしまう。
 
 古井由吉「妻隠」読了。夫婦の関係が壊れるきっかけは、意外にささいなものなのかもしれない。だが、多くの場合はそれに気づかぬまま、最悪の事態を迎えることになる。古井氏はその「誰も気づかぬ状態」を物語として、夫婦生活から切りだしてみようと思ったのではないか。不和とは違和の連続であり、その集合体なのだ。
 あとがきを三木卓が書いていた。氏は「杳子」は恋愛小説として捉えていた。ほかの部分の読解は――もちろん氏のほうが深いのだが――ぼくとおなじなんだけど。「妻隠」のほうは、全然視点がちがっているようだ。不思議。まあ、百人いれば読解も百とおり、ということかな。
 金井美恵子『愛の生活|森のメリュジーヌ』を読みはじめる。まずは表題作の「愛の生活」。
 
 
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一月十三日(火)
「冬が消えた」
 
 ショートフィルムみたいにこまごました夢を立てつづけに見たような気がする。こまかすぎてひとつひとつの夢など覚えていられないし、印象もひどく散漫なのだか、夢を見たという実感だけは目が覚めたあとも枕のうえあたりに漂うような感じで、うすぼんやりとだが残りつづけた。仲間由紀恵の顔が浮かびあがる。どうやら彼女の夢を見たようだが、はたしてどんな物語の、どんな情景に現れたのか。
 そういえば、最近はモー娘。の夢を見ない。
 
 八時起床。カミサンは最近疲れているようでなかなか起きてこないから、朝食の準備の一部を自分でやるようになってしまった。しかし要領が悪いせいか、結局カミサンにやり直してもらうことが多いものだから、もう自分でするのはやめにしようと考えている。ぼくがせわしなく動いているあいだ、麦次郎は陽だまりを見つけてはひなたぼっこし、花子はぼくとおなじように、忙しそうに家中をうろうろしては、ときどき思いだしたように甘えだし、ぼくの背中や肩に飛び乗ったりする。
 
 九時、事務所へ。朝まで降りつづいた雨が、街から冬の雰囲気を洗い去ってしまったように見える。雨の名残りの水溜まりは、まだ二ヶ月は先の遠い春を、アスファルトで黒々とした水面に静かに湛えているようだ。桜の花びらがはらりと水溜まりに浮かぶ様子をイメージしてみる。
 
 E社PR誌の企画、プロバイダPのCD-ROMなど。打ちあわせの予定がないので、ただひたすらに黙々と作業に集中する。集中しすぎてときどき頭がクラクラしてきた。
 二十一時三十分、帰宅。
 
 帰ると猫のトイレに大量のウンコが。猛烈に臭い。二匹分の臭さだ。
 
 金井美恵子「愛の生活」。型破りだなあ。誌の手法を一部取り入れているようだ。
 
 
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一月十四日(水)
「下にずれる」
 
 八時起床。カミサンに「オマエが寝ると敷布団が下に下にずれる」とはげしく文句をいわれる。そんなことをしているつもりはないのだが。
 
 九時、事務所へ。プロバイダPのCD-ROM、E社PR誌企画、Y社パンフレット、Y社チラシ、プロバイダPパンフレットが団子状態に。十七時から二十時まで、電話、ファクス、メールがひっきりなしに。目が回る。二十一時三十分、脳みそが飽和したので空気抜きのために帰宅。明日までに脳はほどよい感じにしぼんでくれるはずだ。
 
「それいゆ」で夕食。ポークライスとデミコーヒー。寒さに身を縮ませながら帰る。夜空は空気が澄んだ感じ。星の光が空気清浄器になって、マイナスイオンで夜空をいっぱいにしているように思えた。疲れているから、発想が中途半端に現実的。
 
 二十二時三十分、帰宅。「マシューズベストヒットTV」を観る。疲れているから集中して観ていられないが、よくよく考えるに集中する必要もない。
 
 金井美恵子「愛の生活」。時系列の乱れ、イメージの飛躍、脈絡のない(ように思える)主人公の行動。金井氏は物語の流れではなく、意識の流れを書こうとしたのではないか、などと思いながら読みすすめてみる。
 
 
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一月十五日(木)
「覚えていない/流れが見えない」
 
 朝から晩までバタバタしっぱなしの一日。ミスもロスも多く、ひどい自己嫌悪に陥るが二十一時には収束。二十二時に帰宅したが、一件やり残した仕事を思い出し、今ちょっとどうしようかと思案しているところである。そんな一日であったから、日記を書こうとしても今日起きた出来事をうまく時系列に並べることができなそうで、そう思うと筆もなかなか進まず困ってしまう。覚えていることといえば、朝「野菜倶楽部」に立ち寄ってモロヘイヤジュースを注文したら、おばちゃんに「そこにあるセロテープを取ってくれる?」と頼まれたこと、夜空の星がきれいで、まだ火星は怪しい光を放ちつづけていること、メールニュースで富永愛扮する妖鳥シレーヌがただのコスプレみたいで呆れてしまったこと、くらいか。
 
 本はまったく読まなかった。『週刊モーニング』をすこしだけ。
 
 
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一月十六日(金)
「ビニールシートの波」
 
 三時三十分、花子にごはんをせがまれやむなく起床するが、冷えきったリビングに身震いしてしまう。闇には寒さをより寒く感じさせる力があるようで、ぼくはあわてて暖をとるように照明のスイッチを入れる。ある程度でもいい、光があると気持ちは落ち着き寒さもいくぶん和らいでくるが、これが眩しすぎるとたちまちイライラしはじめ、やがて頭痛が起こってくる。光とのつきあい方は、むずかしい。猫の瞳は偏光機能があるらしい。コイツらは、闇や光に温度のようなものを感じたりするのであろうか。明かりを消して布団にもどる。花子は夜目が利くようで、暗闇でもムシャムシャとごはんを食べている。
 
 七時三十分起床。昨夜、見積を一本書き忘れていたことに気づいたので慌てて出社する。八時三十分。冷たい風が隣にある建築中のマンションを覆うビニールシートをバサバサと煽る音ばかりが耳につく。ヒュゥウウと鳴る冬の風独特の音もビニールシートにはかなわないようで、たちまち踊り狂うビニールにかき消されるか、吸収されビニールの波に取り込まれてしまう。大きなヒダが、呼吸するように蠢いている。風情はない。早く消え去ってほしいと思う。
 
 G社見積、ある出版社のイラストの見積、プロバイダPの見積を立てつづけに作り、その後はY社パンフレット、プロバイダPのCD-ROMの問合せ対応、D社PR誌の構成、E社POPの企画見直しなどをガチャガチャと作業しつづける。十分で買ってきた弁当をかき込み、十二時、慌てて外出。十三時よりD社PR誌の打ちあわせ。D社は九段下にある。市ケ谷、飯田橋、九段あたりの冬景色は杉並とはちょっと雰囲気が違うのだろう、などと考えていたが、遅刻しそうになり小走りしたので違いも何もわからない。余裕がないときほど、歩くことがつまらなくなることはない。毎日がこれだけせせこましいのだから、すこしくらいはどこかに余裕をつくらなければと日々思いつづけてはいるが、忙しさに負け、そのままブンブンと振り回されることが最近多くなってしまった。
 十五時、五反田へ。E社POPの打ちあわせ。打ちあわせ中にプロバイダPの案件が何度も火を吹いたため、その都度中座することに。落ちつかないヤツ、と思われたかもしれない。そう受け取られるのが一番嫌なのだが、まあ仕方あるまい。
 
 十八時、帰社。見積、N不動産チラシの電話打ちあわせなど。疲れたので早めに帰る。十九時三十分。
 
 テレビ東京「元祖でぶや」、録画しておいた「エリア88」「トリビアの泉」など。「88」は、死神ボリスのエピソード。シンは脇役っぽかったな今回は。
 
 金井美恵子「愛の生活」読了。「もしや事故でも起こしたのでは…」という日常誰もがふと考えてしまう不測の事態、それに対する不安。不安な意識の流れとして捉える、ニンゲンの一日。それらを克明に記しただけではやはり小説として成立しないのだろうか、金井はラストに「他人の死」という、もっとも強烈な不安の象徴をぶつけてきた。なるほどねえ。
 つづいて「夢の時間」を読みはじめる。「愛の生活」以上にテクニック全開。
 
 
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一月十七日(土)
「疲労と緊張/恋しくない青空」
 
 働くこととは、疲労感と緊張感のあいだで揺れ動くことなのではないか。緊張感がほんのすこしだけ勝っていれば、異様な集中力が予想以上の成果を生み出してくれることもあるし、疲労感がわずかでも上回れば、たちまちやる気をなくしてだらだらと机に向いつづけるだけであったり、くだらぬことにばかり気を取られたりする。ほどよい緊張感とほどよい疲労感――それはおそらく充実感だとか達成感だとかいう言葉で表現されることが多い――が拮抗する程度ならよいのだが、よくバラエティ番組で使われるような爆発寸前の巨大風船のような不気味で質の悪い、それでいて周囲へのいやな影響力ばかりが目立つ緊張感が、疲労感というよりも倦怠感といったほうが正確な精神状態を伴った身体の極限状態とが、泥沼の状態で争いつづけるようなときは本当にやっかいで、そこから抜け出そうという気にもなれず、自己嫌悪につつまれながら惰性で仕事をつづけることになり、それが予想もしないような悪循環を生みだすこともあるのだが、質が悪いにもほどがある。かろうじてそんな状態にならずにすんでいるのは、おそらくは猫とトリの――まあ、ついでにカミサンの、ともいっておこう――存在が大きいのだろうし、それから読書という趣味に救われている部分も大きいのだと思う。休日出勤など、慣れてはいるもののやはりイヤなときはとことんイヤなもので、それでも今朝のようにしっかり八時三十分に目が覚めたのは、泥沼寸前でせめぎ合っていた緊張と疲労とが、自宅という場所で調和点を見出し、相乗効果でほどよい程度にまで抑えられたからだと思う。目覚めはよい。ただ、空模様だけは妙に気になった。
 おそらく今年一番の冷え込みではないか。暖かな場所を見つけるのが得意な猫たちはともかく、トリたちがちょっと心配になったが、見ていて不安になるほど寒がってはいないようで、ぷちぷちはいつもよりちょっと小声ではあるが、元気にさえずりつづけている。昼間は雪になるらしい。ダウンジャケットで出勤することにする。
 
 十時すぎ、事務所へ。プロバイダPのチラシ、N不動産のチラシなど。今日はチラシの日だな。ちらし寿司と勘違いしてしまいそうだ。北島三郎が「ちょいと〜」などと歌いながらやってきたらどうしよう、などとくだらないことを考えながら仕事している。これを、余裕があるからと解釈すべきか、それとも脳が疲れはじめた兆しなのか。
 十二時三十分、カイロプラクティックへ。事務所を一歩出ると、外は白銀の世界かなどと想像、いや期待していたが、乾いたセコイ感じの粉雪が、ほんのすこしばかり、埃のように軽々しく舞っているばかりだ。それでも雪を見ると気分が高揚するのはなぜだろう。毎日せせこましい街の地面から青空ばかりを観察しているのに、グレイの雪雲が平坦に広がる今日の空を見ても、青空がすこしも恋しくならない。
 十四時、「桂花飯店」で坦々麺をすすってから事務所に戻り、ひきつづき作業をつづける。十九時、ようやく予定のところまで終わったので帰宅する。せこい雪はもうやんでいた。
 
 夕食は鶏鍋にする。寒さに縮んだ胃を鍋の熱でゆるめるようにして食べる。そんな鍋をしてみたいものだが、気密性が高く結露にばかり悩まされるような鉄筋作りのマンションでは、かなわぬ夢というものだ。
 テレビ東京『アドマチック天国』を観る。地元である荻窪の特集。知ってるところ半分、知らないところ半分といった感じか。
 
 金井美恵子「夢の時間」。自動車を捨て、田舎町のバスに乗る主人公。
 
 
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一月十九日(日)
「街と遊ぶ人/毎日使ってほしい人」
 
 一度目が覚めるが、時計を見てから、また寝てしまう。目が覚める。また時計を見る。フフッと笑う。まだ寝ていてもいいからだ。寝てしまう。目が覚める。今度は起きなければいけない時間になっている。でも焦る必要はない。ゆっくり起きる。
 休日の朝は、たいていこんな目覚めかたをする。神経質で頭痛もちなせいか長時間ぶっつづけで眠りつづけるのは苦手なのだが、それでもだらだらと布団のなかに入りつづけている快感、だらけることの心地よさには、ほかの何にも変えられない魅力を感じてしまう。
 十時起床。爆笑問題が司会をする『サンデージャポン』を観ながら掃除、朝食。つづいてテレビ東京の『ハローモーニング』。モー娘。唯一――だと思う――のレギュラー番組だ。新曲を披露しているが、これでは爆発的ヒットはないだろうなあなどと冷静に考えながらも、ついつい番組に夢中になる。馬鹿なオッサンだよなあ、オレ。
 
 午後より外出。荻窪駅から丸ノ内線に乗り、東高円寺駅で下車して「セシオン杉並」へ。コラムニストの泉麻人氏の講演「へぇ〜!?な杉並学講座」を聴くためだ。
 十四時、講演開始。泉氏は阿佐谷の南にある成田のほうに十二年ほど前から住んでいるらしい。以前は『アド街ック天国』にも出演していたから街には詳しいようだが、とくに地元である杉並に対する思い入れと好奇心はなみなみならぬものがあるようだ。現在の「中央線ブーム」の火付け役とまではいわないが、その土台を作っていた人物であるといえるだろう。講演の内容は、まあ地元の人たちを喜ばせるためのもの。いいかえれば、地元の人たちに地域の価値と特性を再確認してもらうためのもの、とでもいおうか。「へぇ〜」というよりは、「そうそう、そうだよね」。目新しい内容ではないが、十分楽しめた。泉氏、街に詳しいというよりも街と遊ぶのがうまい人だなあと思った。街で遊ぶのではない。街と遊ぶのがうまいのだ。
 
 セシオンから歩いて高円寺駅へ行くつもりが、中野駅まで歩いてしまった。荻窪までJRで移動し、喫茶店で少々休憩してから陶器店「銀花」へ。季刊誌『銀花』と関わりがあるショップらしいのだが、ここで現在、新鋭の陶芸家による「箱」をテーマにした作品展「箱展」が開かれており、それに友人のnananaさんが参加しているのだ。会場で彼女に挨拶。作品をみせてもらう。土の素材感を活かしているが意匠を凝らした造形なのでなんともいえぬ不思議な雰囲気を醸し出している彼女ならではの作風がよく表れた陶器製の「箱」が十数点展示されている。三十点以上あったのだが、すでに半分以上売れてしまったそうだ。かわいらしい突起――喩えは悪いけど、ガンダムの「ザク」のショルダーみたいな突起。もっとかわいらしくいえば、陶器製の金平糖といったところかな――のついたシリーズは、食卓用の塩や七味唐辛子を入れるのに最適。もちろん食事に不思議な華やかさも加わる。値段も二〇〇〇円からとお手ごろだ。これなら、気に入った人はみな買ってくれるだろう。作品にも値段設定にも、「せっかく作ったものなのだから、毎日使ってほしい」とつね日ごろ主張しつづけている彼女のポリシーを感じた。ぼくらもひとつ、購入する。
 輸入食材店の「カルディ コーヒーファーム」、ルミネの「ザ・ガーデン」、「ナチュラルハウス」、西友などで買い物してから帰宅する。
 
 夕食はカミサンの強い希望で、タイ風焼きそばとエスニックサラダ。ひさびさのアジアンな食卓。
 ちょっと頭痛。一時間風呂につかっていたら、和らいだ。
 
 金井美恵子「夢の時間」。鏡という名の街のホテルに滞在することになった主人公のアイは、そこで「あなたの探している人を知っている」と主張する謎の画家と出会う。うーん、描写が超絶的なカフカ、という感じかな。金井美恵子、初期はこんなにエキサイティングな作品書いてたのね。内容は地味だけど、描写力が凄いから読んでいておもしろい。技量に興奮してしまうのだ。
 
 
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一月十九日(月)
「雨音だった」
 
 七時三十分、雨音で目が覚める。いや、正確にはひょっとしたら雨音かもしれない、微かに水が流れ落ちる音によく似た物音かあるいは気配か、そんなものに気づいて目を覚ました。花子をしたがえ寝室からリビングへと移動し窓から外を覗く。空は明るかったが青みはまるでなく、高温で何かを燃やしたあとの灰のような色をしていた。しかしだからといって暑いわけではなく、むしろ部屋のなかは冷えきって寒い。目を凝らす。庇からベランダに、雨の滴がベシャベシャと落ちつづけているのが、目でも耳でもよくわかった。
 
 九時、事務所へ。プロバイダPチラシ、D社PR誌、N不動産チラシなど。集中して作業してたら、あっという間に夜になってしまう。二十一時、店じまい。
 夕食はカミサンと「それいゆ」にて。エスニックポークライス。
 帰りにセブンイレブンでプリン、杏仁豆腐を購入。いつも立ち読みばかりしている、わが家では通称「立ち読み君」と呼ばれている男が、今夜も真剣な顔つきで『少年ジャンプ』だかなんだかを読みふけっていた。
 
 二十二時三十分、帰宅。すぐに風呂に入る。入浴後、プリンを食べる。脳がつかれていたらしく、甘いものが食べたくてたまらなかったものだから一気食いしてしまった。すこしだけ花子に分ける。麦次郎はほしがらない。ヤツは食に執着がない。
 
 金井美恵子「夢の時間」。主人公アイの妄想。大蛇って、ホントにライオンに勝つのだろうか。
 
 
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一月二十日(火)
「夜鳴きと鳥籠/不安と空想」
 
 四時三十分、一度起床し花子にごはんを与えてからふたたび床にはいるが、花子がみょうにさみしそうな声で夜鳴きするので、なかなか眠ることができない。おいで、と何度声をかけても近寄ってくる気配はなく、リビングあたりからだろうか、見えない場所からフニャアフニャアと悲しげな声だけが響いてくる。もう一度起きあがってなだめるべきだろうか、などと考えているうちにいつしか花子は鳴きやんだようで、ぼくも自然と眠りに落ちた。
 
 八時起床。花子のヤツは鳥籠の上でグースカと寝ている。夜中に突然さみしくなった花子は、トリたちに孤独を癒してもらおうとでも考えたのだろうか。鳥籠で香箱を組んで眠る花子の寝顔は満ちたりたように見えなくもない。ただ、トリたちはさぞかし迷惑だろう。
 
 九時、事務所へ。Q社POPのコピー、N不動産チラシ、E社POPの企画など。
 十六時すぎ、吉祥寺パルコの「白山眼鏡店」へ。年末に偏頭痛予防のためにつくった度つきサングラスができあがったので受け取りにいく。不自然なほどに眩しい照明やネオンサインが頭痛を誘発するらしいのだ。このサングラスでそれを緩和し予防しようという考えだ。ついでに「ワイズフォーメン」にも十分だけ立ち寄り、春の新作を見せてもらう。タータンチェックのギャバのジャケット、これまでにないシルエットでなかなかいい感じではあるが、ちょっと似合わないかも。それに、素材がちょっと安っぽいような。あとで時間を作って「ヨウジヤマモト」のほうもチェックしようと思う。
 十八時、八丁堀のJ社へ。外資系企業K社の新規案件の打ちあわせ。二時間半もかかってしまった。二十時三十分、終了。
 
 東京駅から中央線の始発に乗って帰る。まだ週の前半だからだろうか、軽く酒をあおった感じのサラリーマンはほとんど見かけない。残業を終えちょっと疲れた人ばかりのようだが、それにしては車内の人影はまばらで、東京駅を出てすぐは、座席にすこしばかり空席が見られた。神田、お茶の水と進むにつれて空席は埋まり、つり革につかまる人が増えていく。ぼくの隣にはキャリアウーマンなのだろうか、白っぽいツイードのジャケットに黒いタイトスカートを合わせたセミロングヘアの四十代の女性が坐っている。熱心になにかを読みふけっているようだ。ちらりと横目で覗きこむ。どうやら彼女は週刊誌の年金問題のページに夢中になっているらしい。その記事は国や政府は今後年金問題にどのように取り組むべきなのかを記したものではなく、年金不安の時代、庶民が今のうちにできることは何なのかを案内しているもので、察するに彼女は老後自分の面倒を見てくれる子どもがいないのではないか、などと勝手な空想に耽ってしまった。ちょっとアブナイ人って思われたかも。
 
 二十一時三十分、帰宅。あるものでお手軽に夕食を済ませる。
 
 金井美恵子「夢の時間」読了。最後のほうは、うーん、よくわかんなかったです。内容が、というより、自分はこの作品のどこに魅力を感じているのかが。卓越した描写力と意表をつく物語の展開で、読者を煙に巻こうとしているのでは、などと訝ってしまう。そんな作品。
 つづいて「森のメリュジーヌ」も読了。大人の童話だな、こりゃ。小説というより、現代詩として読んだほうが正しいのかも。
 
 
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一月二十一日(水)
「あっという間」
 
 時間が経つのが早すぎて困ることが多い。例えば、朝。花子に起こされ二度寝しはじめてから八時にきちんと起きるまでの時間は、「あっという間」という形容がもっともしっくりくる。眠っているときの時間ほど短いものはないのではないか、と最近は思う。 
 
 八時起床。眠いが一度体を動かしはじめれば、眠気はだんだん消えてゆき、そのぶんだけ頭のなかに仕事に関するさまざまなことが浮かびはじめ、たちまち陰鬱な気分になるが、これもまた職場につくとどこかにすっ飛んでしまうのだから不思議である。
 
 九時、事務所へ。K社CD-ROM/Webサイトの企画、N不動産チラシなど。
 十五時三十分、気晴らしに髪を切る。Rossoにて。髪が乾燥ではげしく痛んでいたらしい。トリートメントを指導された。
 
 二十一時、店じまい。帰宅するとたちまち緊張感がほぐれ、そのぶん不注意なダメ人間になってしまう。大量に排泄されていた猫の糞尿をかたづけたが、何度も尿の固まった猫砂――わが家の猫トイレは、放尿すると砂が水分を吸収して固まるものを愛用している――を、何度も床に落としてしまった。まあ、ダメとはいってもそれ以外のポカはなかったのだが。
 
 金井美恵子「永遠の恋人」読了。エグい大人のショートショート。こういうのも書いてたのねえ。つづいて「兎」を読みはじめる。兎の着ぐるみを着た少女が語る、飼っていた兎の屠殺、皮剥ぎ、そして料理。
 
 
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一月二十二日(木)
「だらだらと書いてみました」
 
 花子がごはんくれと大騒ぎするので四時三十分に起きて缶詰め開けたら珍しいことに麦次郎まで起きてきたので花子に与えるごはんの量をすこし減らして麦次郎にも与えてあげたが花子はべつにそれを不満と思ってはいないようでむしろ麦次郎がこんなんじゃ足りんなどといいだしそうだがヤツはもともと缶詰めよりカリカリが好きでそれ以前に食に執着のないヤツだから余計な心配などしなくても勝手にカリカリ喰って満足するはずだと考えトイレで小便たれてから布団に入るとすぐに麦次郎のヤツが戻ってきてでもぼくといっしょに寝るつもりなど端からないようでカミサンの頭にピタッとくっついて白目をむいているみたいに瞬幕出してグースカ眠りはじめたのでぼくも何も考えずに眠ってしまおうと思ったら急に頭が冴えてきたけど気づいたらぼくは寝ていたようで目覚ましが鳴る十分前に目が覚め十分だけウダウダしてから起床し身支度をして事務所に向かうが外は気温こそ低いが風がないので身震いするほどの寒さは感じず空はいつものように遠くへ遠くへと広がっていて弱々しい冬の太陽の光も空の広がりにくっついていくみたいに広がっていくように見えたが熟視している場合ではなく仕事はかなりたてこんでいて事務所について掃除をしたらすぐに銀行へ行き給与を振り込みもどったら今度は見積書いてほかにもK社の業務案内ツールだとかN不動産のチラシだとかD社のPR誌だとかを息つく暇もないほどの勢いでこなしながら十七時まで食事とトイレ以外は休むことなくほとんどフルに働いてそれから八丁堀のJ社に伺い二時間弱ほどの時間を打ちあわせで費やし帰りは中央線一本で西荻窪まで移動したが車内の人々はなぜかひどく疲れた表情の人がすくなく全員がノホホンとしているように見えた。
 
 二十一時に帰社してからN不動産の仕事をちょっとだけしてから店じまいし「トンカツ 黒」で一人だけで食事をしてから帰宅し風呂に入ってすこしテレビを観てそろそろ寝ようと思っている。ああ眠い。
 
 金井美恵子『兎』読了。グロい小説とイタイ小説はもう勘弁してほしい。
 
 
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一月二十三日(金)
「仕事で社会科見学」
 
 ワンツースリーと数字が並ぶ日だが、それくらいとんとん拍子にいけばいいが。そんなことを考えながら七時二十分、起床。群馬県にあるN社の半導体工場へ取材である。八時三十分、出発。終わりかけの通勤ラッシュに紛れこむように中央線に乗りこみ、新宿で埼京線に乗り換える。通勤する人たちとは逆方向に向う感覚がなんとなくおかしく思えてくる。大宮駅から新幹線に乗り、熊谷ですぐに降りる。上野から新幹線に乗ってもよかったのだが、こちらのルートのほうがじつは時間が短縮できるらしい。
 印刷会社H社の営業、D社の皆さん、デザイナーのPさん、カメラマンのZさんと待ちあわせ。昼食を兼ねたミーティングをしてから、N社の工場へ向う。日本中、ちょっと田舎ならどこにでもありそうな国道沿いの田園風景が延々とつづくなかを小一時間、ようやく工場に到着。あちこちに張りめぐらされたパイプと随所に設置された薬品のタンクが妙に目を引く。気分は社会科見学だ。広大な敷地に建てられた工場は、明らかに自分が毎日送っている生活とは異質なもので、もうすこし長くいたらもっと異世界的な感覚に浸れたかもしれない。
 インタビューは四人を相手にするハメになったが、そのうち二人はとてもシャイで話を盛り上げるのに苦労するが、まあなんとか記事にしあげるのに必要なコメントはとることができた。
 熊谷駅前で、クリエイター三人――デザイナーPさん、カメラマンZさん、そしてぼく――だけで軽くお茶してから帰る。
 
 十八時三十分、帰社。残務を済ませ、ちょっとだけD社のコピーを書いてから帰宅する。疲れたので、脳がうまく動かない。そんな感じ。
 
 夜、ビデオに撮っておいた『エリア88』を観る。グレッグが落ちた話。来週はシンが落ちるらしい。
 
 金井美恵子「母子像」。取材なので、あまりじっくり読めなかったなあ。
 
 
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一月二十四日(土)
「めずらしくあまり書くことがないです」 
 
 八時三十分起床。取材疲れで一日のんびりしていたい気分だがそうもいっていられない。休日出勤だ。
 
 九時、冬の晴れ空のもと事務所へ。黙々とひとりでK社ソリューションのプロモーションツールのコピーを書きつづける。
 十九時三十分、切りのいいところで帰宅。
 
 仕事のしすぎか、日中はかなり苛々していたように思える。夜は自宅でゆっくりくつろぐことに。
 
 金井美恵子「母子像」読了。近親相姦ネタ。あんまり好きじゃないんだよなあ、この手のは。語り手と主人公の視点、語りの混在。手法はおもしろんだけど。
 つづいて「夢の時間」を読みはじめる。水商売の母と落ちぶれた音楽家の父をもつ姉弟の近親愛の物語。
 
 
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一月二十五日(日)
「空で変わる」
 
 五時に花子にごはんを与えるために起き、八時に目が覚めたらしくご機嫌そうにギョギョギョとさえずっているトリたちの加護にかぶせた風呂敷を取るためにもう一度起き、九時三十分にちゃんと起きたのだから、今日はすでに三度も起きたことになるのだが、こういう細切れな眠りかたをしていると妙に疲れてしまうこともあるから注意しなければならないのだけれど、今朝はどういうわけかすこぶる快調、昨日まで引きずっていた群馬の取材疲れがきれいに消えている。晴れわたった空が見える。窓を開けはなってみると思ったほど空気は冷たく感じられず、むしろ部屋に射しこむ陽の光の明るさにふさわしいような、ほんのり暖かな感触が静かに伝わってきて、ぼくといっしょに起きてきた麦次郎は背中にちょっと遅めの朝日を受けながらジジくさい表情でたたずんでいる。花子はいつも以上にご機嫌なようで、窓際につったているぼくの肩へ突然一気に飛び乗って、器用に肩から肩へ、首のまわりを一周するように移動しながらバランスをとりつつベタベタとぼくにあまえている。空模様ひとつで、人も動物もずいぶん心境や体調が変わるもんだ。今日は腰痛も感じない。
 
 片づけ、掃除。ついでにご機嫌なトリたちの籠のなかを掃除する。闘病生活がつづくきゅーだが、最近はほぼ問題ない程度にまで恢復している。闘病中は籠の温度を三十度近くに保っていないとたちまち体調が悪くなっていたのだが、最近は二十数度でも問題がないようだ。掃除中は保温ができなくなるのだが、全然へいちゃら、と言わんばかりの元気さで籠のなかをびょんびょんと飛び回っている。アクリルの覆いのうえからさらにかぶせていた塩化ビニールのシートをはずし、新鮮な空気を楽しませてあげた。掃除後、しばらくのあいだ別居させていたぷちぷちをきゅーの籠に入れてみる。うれしそうだが、おちつかない感じか。より活発なぷちぷちのせいで、落ちついてごはんをついばむことができないようだ。一時間ちょっと経ってからすこしだけ部屋のなかに離して運動させ、また別々の籠に戻ってもらった。
 
 午後より新宿へ。のんびりとした暖かさが街中を覆っているようだ。陽射しは柔らかだから、サングラスをする必要もない。
 小田急の「ワイズ」へ。カミサン、セールで購入したコートの袖丈のお直しを発注。つづいて「ビックカメラ」へ。取材のときになくしてしまったクリエのスタイラス、えーと、わかりやすく書くと、PDA(電子手帳みたいなもの)の操作用のペンを購入する。呼び込みの声と大きなBGM、あちこちに偏在する販促用の液晶ディスプレイの映像で頭痛がしてきそうだったので早々に退散する。
 新宿大通りの歩行者天国では、東京都――というよりは石原慎太郎――が認めた大道芸人たちがあちこちで芸を披露しているようで、随所に人だかりができている。冬という時期のせいか黒っぽい服を来ている人が多いものだから、人だかりが黒い炭の山のように見えてしまう。それが蠢いているのだからちょっと気持ち悪い。のんびりした今日の空とは、ちょっと不釣り合いだ。まあ、そういっているぼく自身、黒い服しか着ないのだが。
 新宿伊勢丹へ。「ヨウジヤマモト/ワイズフォーメン」のショップで春の新作を見る。ヨウジ注目のスカートや袴はすでに完売とのこと。残念。まあ、あったとしても買わないけど。ワイズのチェックのセットアップ、ここでも着てみるが――店員にはもう別の店で一度着ていることはいわなかった――、やはりちょっと寸足らずというか、物足りないというか、野趣に欠けているというか。今年はセットアップの購入はもうすこし待ってみることにする。服を買うのは読書や散歩と並ぶ数少ない楽しみだから、立ち上がりの時期に気に入ったものが見つからないのはとてもツライ。
 高島屋の東急ハンズへ。革靴用に無添加の皮革用クリームを購入。くみぷり。さんオススメの商品。つづいて紀伊国屋書店に寄り、仕事の資料を一冊購入。荻窪へ移動する。
 ルミネ二階の「ローゼンハイム」で休憩してから、晩ご飯の食材を買って帰宅。
 
 夕食はモツ鍋にする。
 
 金井美恵子「夢の時間」「空気男のはなし」読了。とくに感想も意見もなし。ここまでなにも語れないというのは久しぶりか。作品に圧倒されているわけでもなし、かといってなにも感じていないわけでもないのだけれど、いざ言葉にして作品に関することを書きつらねてみようとすると何も出てこないというのは、おそらく作品に共鳴もできず、かといって反論することもできないからだろう。これが技巧的な小説の落とし穴、なのかなあ。
 
 
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一月二十六日(月)
「寝ていても慌ただしい」
 
 軽自動車をもちあげたり二十四時間営業の弁当屋でサラダばかりの弁当を注文したり言い訳をしたりお袋に怒られたりビクトル・エリセ監督の映画『エル・スール』のあるはずのない続編――しかも半分アニメ――をテレビで観たり夜中に万引きまがいのことをしたりと、なにかと慌ただしい内容の夢を見たせいか、目覚めは異様に悪かった。首と背中が痛い。軽自動車をもちあげたからだろうか。おそらくそのときに身体は布団のなかで不自然な姿勢をとっていたに違いない。八時。
 
 テレビは古賀とかいう男の経歴詐称疑惑の話題でもちきりだ。ぼくはこの手の爽やか系の男が苦手である。自分が下世話な家庭に育ち下世話な人生を歩んでいるからだろうか、海外留学していただのテニスでなんとか大会で優勝しただの、そんな話を聞くとその場でソイツをボコボコにぶっとばしてやりたくなる。もちろん今まで一度もそんなことしてないけれど。それから世界文学全集をもっていたヤツも殴りたくなる。そういうヤツに限って、そのうち二冊くらいしか読んでないんだ。もったいない。
 
 九時、事務所へ。天気予報では最高気温は九度と報じていたが、外は風がまったくないせいか、もうすこし暖かく感じられる。空気がぴたりと止まるなか、人間だけがせわしなく蠢いている。そのおかげで空気がどよどよと震えているようだ。風とは違う、すこしだけやかましい音が身体に響く。視線をあげる。ヒヨドリやスズメは静止した空気の筋のような部分に沿うようにして飛んでいるように見えなくもない。
 
 K社プロモーションツールのコピー、ネーミング案など。今日はそれしか仕事をしなかったなあ。二十一時、帰社。
 昼休みに義弟のLが突然パソコンをもらいに来たのを忘れていた。四年前に買ったノートパソコン、使ってないのであげることにした。バッテリーが死んでいる以外は健在である。
 
『ビートたけしのTVタックル』を観る。年金問題の現状、ぼくの知らない事実ばかりを報じていて愕然とする。
『内村プロデュース』で気分を替えて笑いころげる。猿岩石の有吉は、最近一皮むけたようだ。おもしろい。
 
 金井美恵子『アカシア騎士団』。作中小説?
 
 
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一月二十七日(火)
「息つぎしないで音読してください」
 
 八時に起きて古賀議員のふざけた会見を見てオトコ下げたなフフフなどと思いつつ寒空に身を縮めながら事務所へ向かい掃除と植物の世話を済ませてから十一時に茗荷谷のL社に行き途中に通りかかる桜並木の枝の重なりがザルみたいだなあなどと思っていたらなんだかそのザルが桜色に見えてきてもしやと思ったらつぼみがたくさん顔を出しはじめていたのでこいつらが枝ザルを桜色に染めていたのかとも思ったがつぼみのうちから桜色になるのだろうかがよくわからなくて調べたほうがいいかななどと思いつつL社のNさんと一時間ばかり打ち合わせをしてちょっと難題をおみやげにいただき頭を抱えこみながらもう一度桜並木を通って駅へ向ったのだがこのあたりから頭痛がはじまり目がくらくらしてきてああこれはただの頭痛じゃなくて偏頭痛だまたはじまっちゃったよこれじゃ午後は仕事にならないかもなあと沈んだ気持ちでいたがそれでも腹は減るものでまえから目をつけていたベトナム料理の店でランチを食べたがちょっと味つけがマイルドすぎて物足りない気持ちというか欲求不満度が高まったというか少々苛々しながら店を出て西荻窪へ帰ったのだが帰りの電車では頭痛に負けてずっと目を閉じて痛みを我慢していたらいつの間にか眠りにおちて何度も中途半端な夢を見つづけこんなときなっちが夢に現れることが多いし先日モー娘。を卒業したばかりだからきっと今日も夢に出るかなと考えていたが全然現れる気配もなくてああこれが卒業ということなのかななんて無理やり自分を納得させながら西荻窪の駅を降り事務所に戻るやいなや頭痛薬を呑みこんでよしこれで大丈夫と自分にいいきかせしかしそれでも頭痛は治らないから頭にマジックテープで固定するタイプのアイスノンをつけてK社のコピーやらD社のPR誌の原稿やらを黙々と書きつづけ途中何度か電話があったりしたけれど基本的にはよく集中できたけれどその分脳は疲弊していて二十時にはもういっぱいいっぱいになってしまったので店じまいしてカミサンと生協に寄ってから家に帰り風呂に入り飯を喰らいテレビをすこしだけ観て疲れたしまだ頭痛いから日記を書き終えたらもう寝るつもりだ。
 
 金井美恵子『アカシア騎士団』読了。ふうん。それだけだなあ。
 つづいて『プラトン的恋愛』を読みはじめる。不条理ものっぽい。
 
 
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一月二十八日(水)
「花子で慣れた」
 
 花子が激しく夜鳴きする声で目が覚める。時計を見るが、まだ三時半ではないか。大人しくしていろ、とひとこと言い放ち、もう一度寝る。六時にふたたび起きあがり、ごはんを与えてからまた寝る。八時に起きる。二、三時間ずつ睡眠が分断されてしまった。ここ数年、六時間以上ぶっつづけで眠った記憶がない。かならず夜中に一度か二度は目が覚める。それは猫がいない出張先のホテルなどに止まったときもおなじで、おそらくは身体がこんな睡眠のとりかたに慣れてしまったのだとは思うが、一度眠ったら朝まで目が覚めないという眠りかた、深い眠りへの憧れは年々高まっているようだ。
 
 九時、事務所へ。一戸建ての庭や駐車場の片隅、マンションのエントランスの植え込みなどにある桜の木の枝を見ながら歩いてみる。芽吹いている木が多いことに気づく。今まで気づかなかったのか、それともここ数日で急につぼみが成長しはじめたのか。いずれにせよ、すこしずつ春がやって来ているのは確かで、そう思うと身を縮ませながら歩く自分の姿がカッコ悪く思えてくる。
 
 D社PR誌、プロバイダPのキャンペーン企画など。十五時、企画の資料集めに新宿へ。大手量販店を何箇所かはしごしてみる。
 
 夕方、頭痛がひどくなりはじめる。セデスを飲んでからもう一頑張り。二十時、カミサンと帰宅。
 
『トリビアの泉』などを観る。新鮮味が薄れてきたかな。
 
 金井美恵子「プラトン的恋愛」読了。作者の不在、不在の作者をめぐる小説。作者とは作品の中心となるものであるとすれば、中心の不在、不在の中心ということになるのかな。
 
  
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一月二十九日(木)
「頭痛とカイロ、仕事と緊張」
 
 八時起床。この時期に使う言葉ではないのだが、それが許されるなら「小春日和」といってもいいかもしれぬ、それくらい陽射しはあたたかだ。麦次郎は相変わらず上手に陽だまりを見つけては、身体を陽に当ててくつろいでいる。
 
 九時、事務所へ。まだ昨日の頭痛が取れきっていないが、苦しんでいる場合ではない。黙々とプロバイダPのキャンペーンの企画を考える。
 十六時、カイロプラクティックへ。頭痛の原因はおそらく首のゆがみなのだが、仕事が忙しいときは極度に身体が緊張してしまうため、首に大きな負担がかかっているのだそうだ。なるほど企画やコピーを考えるときはずっと万年筆を握っているわけだから、頭は下を向きつづけている。これは負担だ。
 帰りぎわにロフト吉祥寺店に寄り、アイピローを買う。
 
 二十時、業務終了。西友に寄ってから帰宅する。途中、カミサンと仲よしの猫、偽シンガプーラちゃんとひさびさに会う。コロンコロンに冬太りしたプーラちゃんは塀の上で香箱を組んでくつろいでいたが、カミサンの顔を見ると突然表情を和らげ、顔を擦りつけて喜んでいた。と思ったらいきなり後ろを向き、ポーンと塀から飛び降りてしまう。あらら機嫌でも損ねたかと思ったら、いつの間にか足元にいた。立ち去ろうとすると、十メートルくらいだったが見送ってくれた。ぼくらが離れてからも、プーラちゃんがいた塀の斜向かいにある運送会社の配送センターの塀のそばにお座りして、いつまでもこちらを見つめていた。
 
 今日は活字を読まなかった。たまにはこんな日もある。
 
 
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一月三十日(金)
「梅の花咲く長州力」
 
 八時起床。カイロプラクティックの効果か、頭痛はすっかり治まったがだからといって体調が万全なわけではなく、少々ばてているようなのだがまだまだ仕事はあるのだから、なまけてなんていられないと気合いを入れるが、よくよく考えるにこの「気合いを入れる」という行為が緊張を高め、結果ぼくの首や肩や背中や腰が緊張状態となり疲労と痛みを生じさせているのではないか。気合いを入れずに仕事をするのがいいのか。それとも気合いの加減、気合いの塩梅を図れば解消できるのか。よくわからないが、外はよく晴れている。それだけはたしかだ。
 
 九時、事務所へ。カミサンがいつも「ここん家の表札、『長州力』みたいだね」といっている、たしかに漢字の字面だけは長州力に似ているがいたって平凡な名前の表札がかかっている一戸建ての家の庭に、紅梅が咲きはじめているのを見つける。黒々と節くれだって四方に伸びる枝の所々に、可憐な花が開いている。紅く染まったつぼみのほうがまだ多く、もう数日、いや十数日か、あらかたのつぼみがほぐれるころが待ち遠しくなる。
 
 プロバイダPの企画、D社PR誌など。J社より電話で「ソフトメーカーU社のCD-ROMのコンテンツを考えてほしい」というオーダーあり。大急ぎだが、おもしろそうなのでお受けした。
 二十一時すぎ、店じまい。カミサンと「それいゆ」に寄って夕飯。聾唖者の母親と健常者の娘の二人組がケーキを食べているのを見かける。娘は十歳くらいだろうか。どうやら塾か習い事か、そんなものの帰りぎわにちょっと寄ってみたようだ。母親は母の厳しさ、娘にしっかりした教育を与えるんだという決意というか気迫というか、そんなものをしっかりもっている感じが表情から伝わってくる。そんな母親に、娘はことばと手話、両方を使って話しかける。母親は手話だけでなく読唇術も心得ているのだろうか。娘の語りかけに手話で応じる。いや、最初に語りかけたのは母親のほうだったかもしれない。
 
 帰宅後、録画しておいた『エリア88』を観る。ひどい。原作への冒涜だ。話し作りが下手。
 
『タモリ倶楽部』を観てから寝る。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』を読みはじめる。ハリボテの大砲を担いで戦場を歩きつづける日本兵の物語。
 
 
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一月三十一日(土)
「対角線と平行線/突然のバードウォッチング」
 
 麦次郎がカミサンの枕を占領するもんだから、カミサンの頭は枕からずりおち、ぼくが寝ている右側のほうへ転がってくる。足の位置は変わらないから、当然身体は布団のなかで斜めに、つまり右上から左下に向っての対角線みたいになっていて、邪魔くせえなあなどと思っているとやがてカミサンは寝返りを打ち、対角線はぼくの身体と並行な位置に動くのだが、麦次郎に気を遣っているのか、頭の位置を替えずに寝返ったものだから、カミサンの身体はベッドの淵から四十センチあたりのところでゴロリと横たわっている形になり、ぼくはといえばその四十センチの隙間に、気をつけをしたような状態で押込められたような格好になる。これではぼくが寝返りを打てない。セマイヨーと文句をたれると、カミサンは寝ぼけつつ文句を垂れすべてはムギが悪いと責任転嫁しながら身体の位置を動かす。やれやれと思っていると、今度は花子の夜鳴きである。なだめるために声をかけると花子はすぐに寝室にやって来て、ぼくの胸の上にドカリと乗りあがり、ゴロゴロと喉を鳴らしながら香箱を組んで眠りはじめる。おかげだまた寝返りが打てない。
 
 九時起床。今日も空は晴れ渡っていて、呑気な感じの陽射しを受けてご機嫌になったインコたちがギョギョギョギョギョと馬鹿騒ぎをはじめている。リビングルームは暖かで、卒業式のころはこんな陽気だったかもしれない、などとちょっと懐古的な気分にさせる。今年の冬は、耳がもぎれんばかりの勢いと冷たさの風が吹き荒れることも、枯れ葉や埃を巻き上げた木枯らしがブロック塀のまえで小さな竜巻を作ることもない。ただ、冷えている。そこに明るい陽が射しつづける。そんな冬である。安穏な冬とでもいおうか。
 
 十二時、外出。毎年節分のころになると、高幡不動へお参りに行くのがわが家のしきたりだ。吉祥寺から井の頭線で明大前に向かい、そこから京王八王子方面へ乗り換える。小一時間で高幡不動に到着だ。
 ご祈祷のまえに境内を散歩。今まで歩いたことのない、小高い山のうえに昇ってみると、コゲラ、シジュウカラ、コガラなどの小さな野鳥があちこちでさえずり、羽ばたき、樹上をすばしこく動き回っている。空を見上げると、トンビがくるりと輪を描いている。突然のバードウォッチングだ。
 十四時よりご祈祷。いわゆる護摩炊きだ。毎年のことなので、その手順の描写は省略。
 帰りがけに雑誌『dancyu』で紹介されていたインド料理店に立ち寄ろうとしたが、ランチタイム終了で残念ながら閉店。来年こそは。
 
 十五時すぎ、新宿へ。東急ハンズでクッションフロアー用の隙間埋めボンドを購入。つづいて伊勢丹へ。「ワイズ」「ヨウジヤマモト」などをウロウロ。カミサン、財布をほしがっているのだがなかなかデザインと機能の両方で満足するものが見つからない。じつはぼくも財布を探している。今使っているものはナイロンとビニールでできているので、一年使ったらビニールの部分に亀裂が入ってしまった。「ワイズフォーメン/ヨウジヤマモトプルオム」の売り場へ。財布よりも服のほうが気になってしまい、馴染みの店員のGさんに今期のヨウジについて話を聞く。やはりスカートや袴は即日完売だったそうだ。スゲエ。Gさんも今日はスカートを履いている。コレクションに出品されていたジャケットの入荷日を聞き、入るころに電話を入れてもらうようお願いする。財布も見る。ごっついカーフでできた今年の新作らしい財布、一目見て気に入ってしまい、購入。するとカミサンは自分も買いたくなってしまったらしく、最後の望みを、というつもりで「リミ・フゥ」へ。そこでようやく納得できる財布を発見。購入する。
 デパ地下でニラまんじゅうとシュウマイを買って帰る。
 
 夕食はニラまんじゅう、シュウマイと、思いつきで作ったネギラーメン。白髪ネギを大量に作り、冷蔵庫にあったパックのチャーシューを細く切って、豆板醤とごま油で和えたものをインスタントラーメン――といっても無添加のかなりおいしいものなんだけれど――にトッピング。これが大成功だった。このネギ、単品で酒のツマミとしてもイケル。ニラまんじゅう、シュウマイもなかなかのお味。 
 
 夜はのんびり過ごす。
 
 奥泉『浪漫的な行軍の記録』。現代と戦時中の時間の混在、大江の初期作品の引用、そして行軍についてのリアルな描写。奥泉節、全開である。
  
 





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。なっちがモー娘。を卒業したことに複雑な思いを抱いている。

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