「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇四年二月
 
 
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二月一日(日)
「貧乏性的恐怖の休日/まぎれこんだ」 
 
 九時起床。休日の朝は遅く起きるものだが、もっと寝つづけることができない。せっかくの休みを無益に過ごしてしまうのではないかという貧乏たらしい恐怖感に襲われてしまう。暗い寝室でグースカと眠りつづけるようりは、陽の当たるリビングルームで猫やトリたちと戯れたり散らかった部屋のなかをざっとでも片づけてしまったほうが、よほど気が落ちつく。もっとも、今日は午後から働く予定だから休日とは呼べないのだが。
 
 十一時三十分、テレビ東京「ハローモーニング」を観る。なっちの卒業記念番組。デビュー当初はどんくさい田舎モンだったなっちが、こんなに成長するとは。辻加護は卒業コンサートで卒倒し、最後の歌をいっしょに歌えなかったらしい。それだけメンバーにも愛され、認められていたということか。
 
 午後よりカミサンと事務所へ。家の近所が妙に静かだ、とカミサンがいう。生活する物音も子どもたちが遊ぶ物音も聞こえてこない。風の音もなく、クルマも人も通らない。ただ暖かな陽の光が射すばかりである。これが住宅街の休日なのかな。そんなことを感じながら、駅のほうへと歩いていく。すこしずつ物音が増え、人が増えていった。
 
 U社CD-ROMの企画を考える。十七時、店じまい。
 
 帰宅後はのんびりと過ごす。休日にちょっとだけ仕事がまぎれこんだ、そんな一日。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』。現代と戦時中の場面転換と書き分けが巧み。この作品が発表されたのは、たしかおととしだから9・11のあとあたりかな。
 
 
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二月二日(月)
「ソニータイマー」
 
 八時起床。空にはめずらしくどんよりとした鉛色の雲が立ちこめているせいか、トリたちも猫たちも機嫌はいまひとつのようである。それはニンゲンとておなじことで、あらかじめ天気予報で今日は雨が降ることがわかっていたせいか、起きあがり身支度をし事務所へ向かい仕事をするという、平日なら毎日繰りかえしやっていることのひとつひとつが妙に煩わしく感じられ、とりわけ雨のなかをうろつくのが嫌で嫌で、何もしたくなくなってしまうのだが、それでも頭のなかはすでに今日一日をどんな段取りで過ごそうか、何から順に手をつければ効率的かなどと、まるで一流企業のパリパリのビジネスマンのようなことを考えはじめている自分は、やはりワーカーホリックなのだと思う。ただ、一流企業のビジネスマンと大きく異なるのは、今日の予定は比較的すいていて、午前中は散らかった机を片づけたほうがいいかな、などということを考えているところだ。
 
 九時、事務所へ。空はぐずつきはじめる寸前の表情で、雨降り前の緊張感とでもいおうか、もうすこしでコップから溢れそうになっているコップに溜まった水の表面張力を思いださせてくれる。ほんの数歩歩いただけで、雨はすこしずつだが、傘が必要な程度には降りはじめた。
 
 散らかりすぎた机のうえを片づけてから、N振興組合ホームページ、U社CD-ROM企画などに着手。十六時、L社にてNさんらと打ちあわせ。
 
 十八時、帰社。二十時、J社のOさんから電話。先日参加したK社のコンペ、採用となったらしい。さて、どんな形で関わることになるのやら。
 夕方あたりから愛用するPDA、ソニーCLIE PEG-NX73Vの調子が悪くなる。「Graffiti」というアルファベットをベースにした一筆書きで文字を入力するのだが、誤認識が多くなって終った。インターネットで情報を検索してみると、どうやら姉妹機のPEG-NX80VやNZ90などでも同様の症状があるらしいことがわかる。リセットするのが効果的とあるのでやってみる。なるほどすぐに調子が戻る。とりあえず、安心。ソニー製品は耐久性の面に不安がある。一部のユーザの間では、ソニー製品にはあらかじめ「ソニータイマー」なる機械が仕込まれていて、一定時間が過ぎるとこのタイマーが発動し、故障するようにできているなどと皮肉交じりの冗談を言われることもある。
 
 二十一時、帰宅。花子が大騒ぎするのを横目で見ながら、刺し身を食べる。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』。嫌なほどに冷静で客観的な、極限状態の日本兵についての描写。戦争とは、客観性と没個性で成り立つものなのかもしれない。軍隊を構成する個人には、特技は必要でも個性は必要ない。それが統率というものだ。
 
 
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二月三日(火)
「どさ。どさどさどさ」
 
 どさ。どさどさどさ。そんな感じで目が覚めた。熟睡していたはずなのだが、目覚まし時計がなると、どさ。どさどさどさ。とアラームとともにフシギな音が聞こえてくるようで、目が覚める瞬間はみょうに慌ただしい気分になった。だが一度起きると、あとはいつもとおなじである。行うことも、そのペースも。
 
 九時、事務所へ。昨日の雨がほんのすこしだけアスファルトを湿らせている。雨はあがっているが晴れているわけではない。
 
 E社POPの企画を黙々と。夜、N振興組合の原稿。
 
 二十時、業務終了。スーパーに寄ってから帰宅する。冬らしくない湿度の高い夜。空を見上げると、厚いんだか薄いんだかよくわからない雲が一面に広がっている。不自然なくらいに黄色く光っているように見えるのは、月明かりを透かせているからか、それとも地上の明かりを反射しているからなのか。
 
 帰宅後、豆まきをする。わが家では縁起物としての年中行事というよりは、猫をよろこばせるための遊びとしてこれを行う。オニハソトーとつぶやきながら豆をまくと、猫がそれを追いかける。今年は床がカーペットからクッションフロアーに変わっているから、スタートダッシュをするたびに足をツルツルさせている。
 二十一時すぎ、夕食。東北東に向って太巻きをかじる。鰯もかじる。花子がほしいというので、鰯を分けてやった。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』。現代――9.11、そしてイラク戦争との接点。
 
 
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二月四日(水)
「春のはじまり」
 
 五時、花子にごはんを与えるために起きる。眠くてたまらないのを我慢してさっさと缶詰めを開け、すぐに布団に戻るのが常で、もちろん今日もそうしたのだが、どういうわけか布団に入ると急に目が冴え、眠れない。眠れなくなると不思議なもので、普段は気にならない仕事上のちょっとしたミスやトラブル、あげくの果てには老後のことまで気になりだして、頭はさらに冴えわたり、みょうにピリピリしはじめる。眠らなければと焦るが睡魔はどこかに行ってしまったようで、見放された気分で悶々とする。
 
 八時起床。睡眠不足であるはずなのに、なぜかまったく眠くない。いつものように身支度をはじめる。外は晴れ、陽の光ののどかさがリビングルーム全体に広がっているような気がした。晴れた日は麦次郎の目覚めがよい。今日も早々に起きてきた麦次郎は、部屋全体の明るさを確認するようにうろうろとあちこちを歩き回っている。今日は立春、春のはじまりの日である。
 
 九時、事務所へ。E社POP、N振興組合ホームページなどを淡々と。二十時過ぎ、帰宅。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』。飢餓、そして体力の限界。本体からはぐれた主人公はひとり沢をのぼりつづけ、やがて行き止まりにぶつかってしまう。崖があり、上からは水が流れてくる。滝である。引用。
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 水は上から下へ落ちる。だがい、それは物理法則を知るがゆえの思い込みである。眼に映る事象だけをとれば、水が池から柱となって立ち上がり、
崖上へ向かって行くと見なすことは可能だ。。世界は震えていた。その細かな振動は、連続する一瞬一瞬に、この世界が決定されているからではないか。現実とは未決定の大海に浮かぶ小島のごときものではないのか。そんな難しげなことを私は考え、死に際にさような思索をなすとは意外に私は哲学の資質のある人間なのかもしれないとも考えた。形而上的苦悩からエトナの火口へ身を投じた、古代希臘の鉄人に比してあながち的外れとはいえぬのかもしれない。なんて、人間どこまでいっても、自惚れを捨てることはできないもんだ。どちらにしても、世界の姿を決定するのはこの私の意識であると、そのときに限って私は確信し、唯心論の所説のにわか信奉者となっていたらしい。下から上へ。たとえば一度そのように方向を定めてしまえば、然り、水は次から次へと上流へ向って流れ出すのだった。だが、そうなると今度はどうしても逆の方向では水の流れを捉えられなくなる。上から下へはどうしても落ちなくなる。こうなると唯心論も案外不自由なもんだ。そんなことを思いながら、私は正しい水の運動を回復するのに今度は躍起になった。
 
 
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二月五日(木)
「異国の音」
 
 八時起床。今日も外は冬らしくすっきりと、遠くのほうまで晴れ渡っている。冬らしいということは、寒いということとおなじことだ。天気予報によれば今日は一日風が強いという。冷たい北風ということか。そう考えると気が萎えなくもないが、明るい陽射しにほんのすこしだけ救われているような気がした。まあ、あれこれ考えても寒いことには変わりない。
 
 九時、事務所へ。まだ風はさほど強くないが、空気の冷たさは昨日より厳しい。とはいえ春は着実に近づいていて、つぼみをつけた木が日に日に増えているようだ。じっくり観察してみたいが、そうもいっていられない。
 
 午前中のうちにE社POPのコピーを書き上げてしまおうと思っていたが、電話ラッシュでほとんど作業できず。
 午後より外出。中央線で中国人だろうか、東洋系の親子三人――若い夫婦とおそらくはその妻の母親――が乗り込んでくる。ファッションもメイクも顔立ちも日本人としか思えないのだが、話す言葉はぼくにはまったく理解できない。その三人が、車内で大声で話しをしている。ちょっとした親子のいさかいが起きているようだ。険悪な雰囲気というわけではないが、なにかというと娘がすごい勢いで不思議な音――こういうと失礼かもしれないのだが、異国の言葉はやはりまず「音」として認識してしまう。意味がついてこないからだ――を連発する。母親はただ苦笑しているが、ときどきそれに応戦することもある。ダンナはぬぼーっとした表情で二人のやりとりを傍観している。いさかいの原因や発せられる言葉の意味がわからないせいか、次に何が起こるか予想もつかず、ちょっとした映画か寸劇を見ている気分になった。
 この親子、山手線でもおなじ車輌になった。今度はずっとだまっていた。
 十四時、五反田にてE社POPの打ちあわせ。つづいて十六時三十分、九段下のD社にて打ちあわせ。十八時三十分、帰社。
 帰社後はE社POPのコピーのつづきを書く。二十時過ぎ、店じまい。
 
 風が冷たい夜。満月が浮かんでいる。澄んだ空に浮かぶ雲が、月明かりを照らし返しながら風に流されていく。見上げるたびに形を変える雲をしばらく眺めていたいとすこしだけ思った。だが、そうするには今夜は寒すぎる。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』。南国の洞窟で敗戦を知らされる主人公、そして自然とそこに集まってきた兵士たち。
 
 
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二月六日(金)
「空を読みたい」
 
 八時起床。毎日おなじような朝がつづくのは、典型的な冬型の気圧配置がつづいているからのだろうけれど、空の表情のあまりのかわり映えのなさに、毎日こうして日記をつづる身としては困り果てている。だが春は着実に近づいているはずで、植物の成長にその兆しのようなものを見ることができる。ぼくはその兆しを空の色や広がりかたに見出してみたいのだが、じっくり観察する時間もなければ、それだけの広い空も見つけられない。
 
 九時、事務所へ。外へ出てみると、昨日よりはいくぶん寒さがやわらいでいるのが全身でわかる。
 E社POP、D社PR誌など。O社のシニア向け講習会のマニュアルのコンペの話が舞い込んできたが、来週はすでに別件に時間を当てており、講習会のマニュアルはコピーライターの仕事ではないと思ったのでお断りする。
 十六時すぎ、新宿へ。JR新宿駅から歩いて御苑前に向う。約束まですこし時間が早かったので、丸井新宿店の「ヨウジヤマモト」で、紐付ショートジャケットを試着させてもらう。おもったよりいい感じだが、やはりぼくにはショートだけは似合わないようだ。ボトムスも試着すれば、合うのかなあ。
 十七時、B社にてE社POPの打ちあわせ。十八時すぎ、帰社。残務をこなしてから、二十時に帰宅。
 
 陽が沈むと外は急に冷え込んでくる。空には明るい満月が浮かんでいる。昨日とは対称的に、雲ひとつない漆黒の夜空。月明かりが明るいと、空は墨のような色に見える。月のない陽は鈍く濁った黄色い光が空全体を覆うこともあるというのに。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』。「靖国神社」に向かえ、と命令する「大尉」。投降しようとした者たちとそうでない者たち同士の殺し合いがはじまる。日本人同士の殺し合い。生き残った者たちは、やがて行軍をはじめる。
 もうすこしで読み終わっちゃうなあ。もったいない感じ。
 
 
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二月七日(土)
「モズ」
 
 週休二日制が定着しサラリーマンの大部分が土曜日は身体を休めることにしているのだから、住宅街に新築するマンションの工事は周囲への配慮から土曜日は行わないことにするのが当然なのだろうが、やはり企業とはたたかなものである。配慮も遠慮もまるでなし、八時半には工事を開始。トカトントンとかギコギコウィーンってな音が枕のなかまで響いてきて、おかげで眠れたもんじゃない。しぶしぶ起きあがり、どうせ起きたのだからとドウブツたちの世話や掃除をはじめるが、神経が太いというかふてぶてしいというか大物の器というか、カミサンはまだグースカ眠りこけている。休日の晴れた空がもったいない、と思ってしまうぼくは間違いなくお天気貧乏性である。
 
 午後より外出。単身赴任中の義父の家に行った義母の留守宅へ、桃子の世話をしに行く。善福寺川の遊歩道を荻窪方面に向ってだらだらと歩いて行く。カルガモがグワグワと鳴いているのは相変わらずだが、ここ数年はほかの水鳥、たとえばオナガガモやコガモの類の数が減っているような気がするが、実際のところはどうなのだろうか。かわりに増えているのはセキレイだ。キキキという甲高い声が聞こえたかと思うと、水面ギリギリの高さを派手な動きで飛んでいく。土が堆積してできた洲に止まり、なにかをついばんだりもしている。すばしこい動作が愛らしいといつも思う。今日はセキレイのほかにオレンジ色のでかい頭をした鳥も洲のところで見かけた。大きさはセキレイより二回りほど大きいが、ヒヨドリよりは小さいだろう。動きはセキレイよりも鈍い。羽ばたきが大きく、身体もちょっと重たそうだ。あっというまに飛び去ってしまったのだが、あとで調べたらこれはモズだった。こんなところにいるはずはないという先入観のせいで、その場ではまったくモズと判別できず。少々恥ずかしさを感じるとともに、都会でのモズとの遭遇に驚く。
 義母宅へ。さみしがっている様子はなかったが、それでも桃子は喜んでぼくらを出迎えてくれた。桃子のヤツ、大歓迎なのだが根がクールなのか、帰ろうとしても名残惜しそうな表情などまるで見せず、リビングのカーペットのうえでゴロリと横になっている。コイツも大物というわけか。
 
 吉祥寺へ移動。靴屋に寄り、すりへった靴底を修理に出す。パルコの「ワイズ」、パルコブックセンター、伊勢丹の「九州・沖縄展」など。ブックセンターでは、『戦後短篇小説再発見14 自然と人間』『同16 「私」という迷宮』『同18 夢と現実の世界』、高橋源一郎『私生活』、『群像』三月号を購入。物産展では晩のおかずに天ぷらを、それから名物らしい「どらやきプリン」とかいうお菓子、奄美大島の黒糖焼酎を購入する。
 
 夕食はお刺し身と天ぷら。天ぷらといっても、カラリと揚がった衣サクサクのほうではなく、薩摩揚げみたいなほうの「天ぷら」だ。花子がクレクレとしつこくせがんだ。
 
 奥泉光『浪漫的な行軍の記録』読了。ラストは靖国神社で時空のはざまに迷い込み、いつしか目的のない――それでも「希望」は抱いている――行軍の列に加わっている主人公の独白で終わる。世で騒がれている戦争論、自衛隊派遣、平和論とはまったく違った次元で「戦争」を語った小説、とでも評価すべきか。終わりなき行軍をつづける日本兵たちの姿は、滅びるまで「戦争」という悪から逃れることのできない人間の宿命を感じさせる。ぼくが読んだかぎりでは技巧的には『『吾輩は猫である』殺人事件』が素晴らしいし、作品構成力は『バナールな現象』が一番だけれども、魅力という点では本作かなあ。
 後藤秋生『挟み撃ち』を読みはじめる。ふと記憶から蘇った、学生時代に愛用していた「外套」の行方が気になってしまった男の話。冒頭の章の描写のユーモア溢れる迷走は、武田泰淳の『目まいのする散歩』に匹敵すると思った。スゲエ。
 
 
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二月八日(日)
「商売する気はない」
 
 いつものようにドウブツに――要するに、花子なのだが――何度も眠りを分断されながらも懲りずに蒲団のなかにもぐり込んでいたが、九時半には麦次郎が枕元でグイと伸びをしてから「おいらさきにおきることにするよ」とでもいいたげな表情でベッドから降りてしまったので、そのあとを追うようにして起床する。片づけ、掃除。十一時過ぎに遅い朝食、もといブランチ。いつものようにテレビ東京の「ハローモーニング」を観る。なっちは卒業前と変わらぬ表情で司会を勤めていた。まあ、卒業なんてこんなもんだろーなと思いながらも、これだけの人数の個性的な女の子たちをしっかりまとめているのだからやっぱりなっちはスゲエよなあなんだかんだいっても、とぼくはなっちを高く評価している。
 
 午後は読書。十五時、散歩がてら義母宅へ向かい桃子の世話をする。善福寺川の遊歩道で、今日はホオジロを見かけた。カミサンは、古くからの大きなお屋敷が潰され跡地でマンションの建設工事がはじまったため、そこに住んでいた野鳥たちが川べりへ移り住んできたのではないかと推測している。ぼくもおなじ考えだ。
 
 夕方、なんだかみょうに疲れてしまったので三十分だけ居眠りする。リフレッシュしてから、晩ご飯の仕度にとりかかる。欧風カレー。ワインに漬けこんだ牛スネ肉を圧力鍋で柔らかく煮てからカレーにした。ジャガイモ、ニンジン、タマネギはいずれも知り合いが作った無農薬野菜である。
 十九時三十分、夕食。出来は上々。これなら一皿千五百円くらいは取れそうだ。商売などする予定はないが。
 
 後藤秋生『挟み撃ち』。外套の行方を求め、上京後最初に住んだ町である蕨に向う主人公。二十年ぶりに訪れた町の変わりようをおかしなスタンスで受け容れている。記憶とゴーゴリの作品と今の視点が目まぐるしく入れ替わる。おもしろいなあ。
 
 
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二月九日(月)
「肉の日に肉のことを考える」
 
 肉の日であるが、安心して肉を食えない日が続いているようである。吉野家は十一日で看板商品の牛丼の販売をやめるそうだ。鳥インフルエンザはよくわからんが豚に感染で突然変異で人も危険でとかいう話で、ひょっとすると肉という肉が食えなくなる日がやってくるのではないかと少々不安になる。もっとも食品の不安などというものは日々感じつづけているものではないか。農薬に恐怖を感じない人間がBSEにだけ過剰反応するのは滑稽としかいいようがない。
 
 八時起床。毎日毎日おどろくくらいにおなじ空模様がつづいている。これではつまらないなあなどとつい贅沢な考えに捕らわれてしまうが、雨が降ったら降ったで空模様の悪さに腹を立てるのは間違いないことなのだから、つまらんなどとは考えないべきだ。
 
 九時、事務所へ。見積や請求書など、事務処理をしていたらあっという間に昼になってしまう。
 午後より外出。荻窪の全労済ショップで個人年金を申し込む。十六時、いったん帰社。すこし作業をしてから、夕方もう一度外出。今度はたんなる時間つぶし。今日はちょっとだけ余裕があるのだ。信愛書店にて、中上健次『夢の力』、武田百合子『富士日記(下)』、松井計『ホームレス失格』を購入。三冊目は珍しくドキュメンタリー。めったに読まない分野である。
 二十時、帰宅。
 
 後藤秋生『挟み撃ち』。蕨での下宿先を二十年ぶりに訪問する主人公。と書くと淡々としているように見えるが、二十年前と現在を自由自在に行き来する文体がすばらしすぎて、全然退屈しないのだ。スゲエ。
 
 
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二月十日(火)
「簡潔に」
 
 八時に起きて空を見て雲が多いなあと思いながら身支度し九時に事務所に行って今日は日中のスケジュールは特にないので読書などして時間をつぶして二十時に代官山に行き夜の代官山は閑散としているなあそれは居酒屋やカラオケボックスがないからだろうなあなどと思いながらJ社へ行き二時間ほど打ちあわせして二十三時に帰宅しウィスキーを飲みながら「ぷっすま」を観てばか笑いをしてから寝た。
 
 後藤秋生『挟み撃ち』。旧友の存在を思いだし、蕨から上野へ大急ぎで移動する主人公。
 
 
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二月十一日(水)
「やっぱり後藤明生はスゲエ」
 
 八時起床。祝日であるが仕事があるので平日とおなじ時間に起きた。いや平日とおなじ時間に目が覚めたと言ったほうが正確か。裏手のマンション新築工事の現場から毎朝ぼくらの気分をみごとに害してくれるあの作業の音は聞こえず、かといって何か代わりの音が聞こえるわけでもなく、要するにこのあたりはシンと静まりかえっている。
 
 九時、事務所へ。いつもなら遅い通勤で駅へと向う人影がちらほらとあるものなのだが、今日はそれもほとんど見かけない。ただスズメが五、六羽の集団で木から木へチュンチュンとご機嫌そうに鳴きながら移動してゆくのが見えるばかりだ。
 
 O社埼玉支店のチラシの作業をはじめると、カミサンからメールが入る。ぷちぷちが卵を産んだという。まだちびっ子だと思っていたのに、一丁前だなあ。驚くというより、笑ってしまった。一丁前、生意気、大人ぶってる、そんな言葉ばかり頭に浮かぶ。
 
 昼食は「Riddim」にて、チキンのベトナム風蒸し焼きご飯、とでも言えばいいのだろうか。そんな感じのプレートランチ。
 
 午後になると事務所前の通りはすこしずつ賑やかになってゆく。今日は風もなくのんびりした暖かさが西荻の街を覆っているので、アンティークショップ巡りでもしようかと思い立つ人も多いのではないだろうか。
 
 十九時、業務終了。スーパーに寄ってから帰宅する。
 
 会社で入力しておいたテキスト書類、家のPowerBookで開こうとしたら、ファイルが破損していて開けず。日記はおなじアプリケーションで問題なく使えているから、やはりメディアに落としたときになんらかのトラブルがあったのだろう。おかげで自宅での作業ができず。ちょっと困る。まあ、急ぎの仕事ではないから問題ないといえばないのだが。
 
 後藤秋生『挟み撃ち』。主人公の回想。玉音放送を北朝鮮の家で聞いた当時まだ中学生の主人公は、その後兄とともに戦争にふかく関わる物品、たとえば軍歌のレコードや『陸軍』『海軍』といった少年向け雑誌、兵隊の帽子などを、家の裏手に穴を掘って埋める。主人公は「わたしが知らないうちにとつぜん何かが終わったのであり、そして今度は早くも、わたしが知らないうちにとつぜん何かがはじまっていた」と語る。その後、回想はいつの間にか兄への語りかけへと変化する。一部引用。
《すでに四十年間は続いて来ました。しかし、わたしは決して、「とつぜん」「とつぜん」を濫発しておどろいていたような顔をしているわけではありません。これだけは、はっきりお断りして置きます。むしろ正反対に近いでしょう。つまり、こういうことです。昭和七年にわたしが生まれてから生きながらえてきたこの四十年の間というもの、とつぜんであることが最早や当然のことのようになっているわけです。とつぜんの方が、当然なのです。したがってわたしも、当然のことにいちいちおどろいてはいられないわけです。いちいち大騒ぎをしてはいられません。何が起っても、おどろいてなどいられません。実さい、何が起るかわからないのです。そしてすべてのことは、とつぜん起るわけです。あたかもとつぜん起ることが最早や当然ででもあるかのごとく、とつぜん起るのです! そしてわたしが知っているのは、その「とつぜん」が、誰かにはきわめて当然の結果と考えられるだろう、ということです。その誰かにとっては、まるで自分の掌を指すように、とつぜん起こる何ごとかの原因や理由が明らかなのでしょう。大人を欺そうなどとは、滅相もないことです。ただわたしは、こういいたいのです。たぶんわたしの「とつぜん」論は、わたしが死ぬまで続くでしょう。しかし同時に、わたしの「とつぜん」はとつぜんなのではなく、当然すぎるくらい当然のことなのだ、と考えている誰かわたし以外の他人も、間違いなく存在するでしょう。『アカハタ』を読むものもあり、空手をおぼえるものもあり、そして法律家になる誰かも、いるわけです。》
 
 外套の行方の話がここまで逸れるとは。すばらしき脱線小説。しかし、この脱線こそが作品世界を覆うせつないほどの悲しみに不可欠な要素なのだ。
 
 
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二月十二日(木)
「厳しくない/厳しい」
 
 八時起床。目覚めたときの肌寒さが毎日すこしずつやわらいでいるような気がするのは、立春をすぎたからだろうか。記憶のなかにある二月は鉛色の空のもとで寒風吹きすさび埃が舞い鼻水がとまらず寒さに耳がちぎれるような思いをする季節なのだが、それはぼくが住んでいた北関東だけ――以北もそうなのだろうけれど――のことで、東京にそんな二月はやって来ないということなのか。東京の冬はどうやら厳しくない。なのに空気や空や陽の光や植物につい冬の厳しさを求めて、いや見つけ出そうとしてしまうのは、まちがっていることなのだろうか。
 
 九時、事務所へ。十時三十分に八丁堀のJ社に行かなければならないので朝は時間が厳しくなると思っていたが、会社に着く三十分送らせてほしい旨がメールで届いていた。空いた時間で今日だけはさぼっちゃおうと考えた掃除をやっぱりすることに。
 十一時、J社へ。K社CD-ROMの打ちあわせ。スケジュールは厳しいが、こういう進行は当たり前になりつつある。
 十三時、吉祥寺へ。小林カツ代が経営する「KATUYO GREENS」で昼食をとる。一食千五百円以上のちょっと財布に厳しいヘルシー系おかゆがここの売りなのだが、ランチタイムは九百八十円でおかゆ以外の定食を楽しめる。今日は「ポト落とし丼」。カツオ出汁でつくった鶏そぼろに温泉卵。付け合わせの春菊ピリカラサラダが絶品。
 食後「パルコブックセンター」に寄り、小島信夫『抱擁家族』を購入。山田詠美あたりが書いていた「黒人」小説の走りとでもいうべきか。アメリカ黒人男性と浮気した妻、その夫の家庭崩壊の過程。
 十四時、カイロ。今日は忙しいのでキャンセルしてもよかったのだが、ちょっと疲れていたのと坐骨神経痛がぶりかえしてきていたので無理やり時間を作ることにした。ところが先生いわく「今日はそんなにひどくないですね」。時間は厳しいが身体は厳しくなかったというわけだ。
 十六時、自由が丘のC社にて、O社チラシの打ちあわせ。デザインの方向性と日程の厳しさに、参加者全員で悲鳴を上げる。
 
 十七時三十分、ようやく帰社。移動のしすぎか、疲れてしまう。
 
 二十時過ぎ、店じまい。帰ったら、ぷちぷちがまた卵を産んでいた。羽根を水平に広げるようなポーズで、一生懸命かえるはずのない無精卵を温めている。本能がそうさせているようなのだが、そのうちすぐに飽きて、卵をほったらかしで籠にいれておいた小松菜の茎をボリボリとかじることに夢中になっている。
 
 後藤秋生『挟み撃ち』読了。こういう小説もあるのだなあと感心してしまった。普通の小説家が想像力と描写力に頼りながら物語を構成するのに対し、後藤秋生は本作では書くことだけに徹している感がある。書くことによって、考える。考えながら、書く。書くことによって、考える。このくりかえし。次にどんな言葉が書かれるのかはわからない。物語がどう展開するかもわからない。しかし、それゆえに本作は不思議なリアリズムとスリリングな展開をモノにしているようにさえ思える。蓮實重彦は巻末の解説で、こう書いている。引用。
《この種の逸脱の写実性を、人はグロテスク・リアリズムと呼び慣れているが、こうしたテクストのあり方を、後藤秋生の最近の発言に従って、ここでは「反ナルシシズム」的と呼びたいと思う。難なく埋められるはずの「欠落」なり「空白」なり「不在」なりをあらかじめ設定し、それを充填するために費やされる困難を代償として、それに成功しようと失敗しようと、いずれにせよおのれが救われることを目指して試みられる「文学的」な冒険のかずかずの無意識の「ナルシシズム」とは異なり、『挟み撃ち』の冒頭に羅列されている否定的な要素は、それが「失敗」であれ「喪失」であれ、いかなる慰撫をも期待することのない極めて呆気ない否定性である。そうした意味での後藤秋生的な「反ナルシシズム」を、われわれは現代にふさわしい「散文性」と定義したい。才能の特権性にいささかも自足することのないこうした「散文性」こそ、多くの小説家と異なり、『挟み撃ち』の作者に「書くこと」から始めることを許しているのである。》
 
 
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二月十三日(金)
「忘れられた卵」
 
 八時起床。今日も晴れ。昨日卵を温めたりしていた母親気取りのぷちぷちは、今朝はそんなことなど忘れてしまったようで、床のうえにぼくらの指の先ほどの大きさの白い卵を放置したまま、鈴をならしたり小松菜を食べたりして遊びつづけている。
 
 九時、事務所へ。最近西荻窪駅の改札前で二十代半ばから後半の女性が七、八名ばかり、いやもっと多いだろうか、集まってからみんな揃ってぞろぞろとどこかへ出かける様子を毎日出かける。電車に乗りこむのではなく、歩いて北口のほうにあるどこかに行くらしい。出勤にしては仲よしすぎて緊張感のない行動だが、軽く色を染め長く伸ばしたロングヘアにほんのすこしだけ派手めのメイク、部分部分にブランド品と流行の服を取り入れたファッションという彼女たちのいでたちは、やはりどう見ても通勤途中のOLさんである。しかし表情が妙に明るい。どう見ても上司や仕事の内容が嫌いだったり転職を考えていたりといった、OLにありそうな悩みなどまったくなさそうな表情なのだ――もっともすれちがうまでのわずか数秒しか目撃していないので、ぼくの観察が正しいとは限らないのだが。いずれにせよ、謎である。
 
 O社埼玉支店チラシ、D社PR誌、K社ウェブサイト、E社POP。
 午後から並川歯科医院へ。半年に一度の定期検診である。問題はなし。歯石を取ってもらう。歯石はあまりできない体質なのだが、それでも半年も経つとかなり付着するものらしい。
 夕方、インターネットで注文しておいた本が届く。奥泉光『坊っちゃん忍者幕末見聞録』『新・地底旅行』。よく考えたら、どちらも新聞連載の小説だな。
 二十二時三十分、店じまい。
 
 小島信夫『抱擁家族』。淡々とした描写で、夫婦の関係の危うさと汚さ、もろさを十分すぎるほどに表現している。もっとも、それを支えているのは描写よりも夫婦の「会話」なのだけれど。
 
 
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二月十四日(土)
「なんだかダメですね」
 
 バレンタインデーである。若いころはチョコをもらえるもらえないでやきもきしたものであるが、このごろは職場はカミサンとふたりきりだから義理チョコのあてすらないのだから、ぼくにとってはもはやどうでもいい行事である。武道館かどこか、大ホールの横を通りすぎ、今日ここで大物アーティストのコンサートが行われていることを知りつつも、ふうん、と冷めた気持ちで通りすぎる。その感覚に似ていると思う。
 
 八時三十分起床。もう少し寝ていてもよいのだが、目が覚めてしまった。読書などして時間を潰してから掃除、片づけ。天気がよいから掃除していると気分が昂ぶる。しかしだからといって徹底的に掃除しようという気にはならない。
 
 午後より外出。「西荻牧場ぼぼり」でアイスクリーム500mlを購入してから電車に乗り、義母宅で桃子の世話していたカミサンと吉祥寺駅で合流。井の頭線で下北沢に向う。
 下北の駅で、何度も愛猫をカミサンの絵のモデルにさせてもらったくみぷり。さんとテディベア作家の小林きのこさんご夫妻と合流する。今日はくみぷり。さん宅でバレンタイン記念猫いじり会だ。
 下北沢に降りるのははじめてである。狭い路地に雑貨屋と洋服屋と居酒屋が密集してできた若者の街というイメージがある。ここで飲むことが多いという人の話をこれまで何度も聞いたことがあるが、なるほどここは一度人を受け容れたらそのまましばらく離さないでいるような、包容力、いや「拉致力」とでもいうべき不思議な力が働いているように思える。中央線沿線の駅には「磁力」があるが、下北の「拉致力」はそれとは微妙に違うようである。
 
 雑貨屋を覗いたり和鳥が多いペットショップを覗いたりしながらくみぷり。家へ。ベンガルのフィガロとのこみがお出迎えしてくれた。はじめて見る豹柄に興奮してしまう。わが家の猫には模様がないせいか、模様つき猫は珍しく見えるのだが、そのなかでも豹柄のインパクトはやはり特別だ。野生味や生命力のごときものを強烈に感じるが、それが大切に大切に人間の生活の場のなかで飼われている猫の全身を覆っていることの不思議さ、とでもいおうか。
 十五時、宴のはじまり。ぼぼりのアイスクリームを前菜がわりに平らげてから、ワインに精通したくみぷり。さん自慢のお酒と手料理、くみぷり。さんの相方さんが経営しているパン屋さんの焼き立てのパン、そしてきのこさんがもってきた群馬の貴重な地酒でだらだらと飲み食いをひたすらにつづける。他愛もない世間話ばかりなのだが、ふだんそんな会話をする相手がいないものだから、会話の内容のひとつひとつが刺激になる。話が途切れると、うまい具合にフィガロとのこみがその場をなごませてくれる。猫をいじったりかまったりしているうちに、また新たな話題が生まれ、またまた刺激を受けることになる。
 気がつくと刺激の数に比例して、パカパカとグラスを開けている。赤ワインと日本酒のちゃんぽんは危険だ。飲み口がよすぎて、さらに味の変化も楽しめるために、量を自制することができなくなる。偏頭痛もちのぼくは頭痛を誘発する成分の多い赤ワインはご法度なのであるが、やはりこの誘惑には負けてしまう。酒で身を崩す破滅型の男の話は文学や映画では飽きるほどくり返されている。読んだり観たりするたびに、彼らの生きかたに共感しつつ、心のどこかで「おれはああはならねーよ」と誓うように考えつづけていたが、やっぱりもう、なんだかダメですね、うまい酒を出されると。自宅ではなるべく飲まないようにしようかな、なんてぼんやり考えながら酒を楽しんだ。
 二十三時、お暇する。
 
 小島信夫『抱擁家族』。黒人――なのかな? 外人。アメリカ人――との姦通、そして妻との不仲、ヒステリー、神経症。それでも家族というかたちはなんとか形を保ちつづける。家族の絆とはなんなのだろう。小島はこの物語で何を語りたいのだろう。まだよく見えない。
 
 
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二月十五日(日)
「休養します」
 
 案の定、宿酔いである。
 仕事をしようかと思っていたが、集中して何かを考えることが苦痛になりそうなので、やめた。
 午後からはひたすら眠りつづける。
 宿酔い、というよりも、どうやら疲れが溜まっていたようだ。吐くとか頭が痛いとか、宿酔いらしい症状はまったくたいしたことがない。それよりも、疲れて身体がよく動かないのだ。泥になったような気分で眠る。
 
 だらだらしていたら一日が終わってしまった。だがこれで明日から全力で仕事ができるだろう。そういうことにしておこう。明日は忙しそうだ。
 
 小島信夫『抱擁家族』。妻・時子の姦通以来、ギクシャクしつづける夫婦関係。ある日家族は映画を観に出かけるが、妻はスクリーンを見つづけることができない。外に出れば、食事のためのいい店が見つからないといってヒステリーを起こす。しかし妻ばかりが悪いのではない。引用。
《俊介は時子と外で食事をしても少しも楽しいとは思わなかったし、落ち着かなかった。いっしょに歩いていてもそうだった。はじめから対立する人間がそこにいるような気がした。どうしてか分らない。時子に限ったことではない。用がすんだらはやく家へ連れて帰って、家の中で安心したいと俊介は思うくせがあった。今、彼はせっかく彼女たちを誘いだし、外でゆっくり楽しませる機会をあたえそうにしておきながら、さあという時になって、地金を出してしまった。これはしまったことをしてしまった、と俊介は思いながら、もうどうすることもできず、「ちょっと待ってて」といって車の拾えそうな場所まで走った。俊介は、他人より車を早く拾って家族を乗せるというたわいもないことに、実に懸命になった。まるでその一つに失敗すると、とりかえしのつかないことになるといったような、もう永久にだめになってしまうといったような切羽つまった気持だった。》
 そして、乳癌に倒れる時子。
 
 
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二月十六日(月)
「うしろあるきはこわいのよ」
 
 七時に起きて突風のなか坐骨神経痛をかばいながらおぼつかない足取りで事務所へ向かい大慌てで仕事をこなし十一時に外出、大崎の「スープストック」で鶏肉と野菜のスープをすすって昼食がわりにしてから十二時よりE社でPOPのプレゼンをしてから大慌てで事務所に戻り、Macのフリーズに悩まされながら作業をつづけ、二十二時に電話でJ社のIさんと打ち合わせをし、そのあとにまた作業をこなし、気づいたら日付が変わっていたので帰ることにしたら、リハーサルスタジオのまえでどうやらラリっているらしいおにーちゃんが大騒ぎしていて、そのすこし先の居酒屋のまえでは酔っぱらった二十代のきれいなおねーちゃんがよたつきながら後ろ歩きをしていて後ろ歩きしながらこちらをじっと見つめるもんだからなんだか気味が悪くなって早歩きでおねーちゃんの横を通りすぎたらおねーちゃん今度は正面向いて歩き出したのでさらに気味が悪くなって早歩きというより小走りになって、まだ後ろからラリったおにーちゃんは大騒ぎしている声が聞こえていて、でも振り返る気にもならずどんどん歩くスピードを早めていったら、ふと朝は足が取られるかと思うほどに強かった風が今はピタリと止み、生温かな春の訪れを感じさせる空気が静かにただよっていて、それがおにーちゃんのどなり声とおねーちゃんの奇行に乱されるのがちょっともったいないなあなんて思いながら帰ってから風呂に入って寝た。
 
 小島信夫『抱擁家族』。三分の二あたりで、時子さん死んじゃった。我儘し放題での他界。作者はどんなつもりでこの女を死なせたのだろうか。
 
 
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二月十七日(火)
「だんだんぶっこわれてきた」
 
 八時起床。春一番のあとには寒の戻りがあるというが、あれは今年に限っていえばウソですね、全然寒くなんかないやここ数日手袋いらずだしコートだって薄手のを着たいななんてついつい思っちゃうんだけれど、夜に冷え込むと困るからそれだけの理由で真冬の服を着つづけている。暖かくなりだすと真冬の服はやぼったく見える。だから着たくなくなるのだ。でもまだ冬なのだから仕方がない。そんなジレンマを感じながら、九時、事務所へ。坂のうえの古い家――表札に「長州力」に字面の似た名前が掲げられている――の紅梅は、日に日に鮮やかさを増している。そう見えるのはきっと咲いた花の数がすこしずつ増えているからだろう。
 
 外出もせず、一日中仕事する。Macの不調に四苦八苦。結局ハードディスクを初期化し、ソフトをインストールしなおした。とんでもない手間だ。0時、帰宅。
 
 小島信夫『抱擁家族』。妻の葬儀からしばらくたったある日、デパガをナンパする俊介。おっさん、だんだんぶっこわれてきたな。
 
 
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二月十八日(水)
「小便ばかり」
 
 小便がしたくて目が覚めた。まだ朝日は昇っておらず部屋は真っ暗だったが膀胱はのっぴきならない状態でまったく我慢することができなくなり、静かに蒲団から抜け出し便所へ向う。ああ、起きたからには花子にご飯をあげなくちゃ。毎日のことだから、どんなに寝ぼけていても自然と動物の世話のことに意識は向かう。長い時間をかけて膀胱をすっかりからっぽにしてからリビングに足を向けたが、時計を見るとまだ二時半だ。一時半に寝たから、まだ一時間しか経っていない。一時間でこれだけ尿が溜まるとはどういうことだと訝しみながらまた蒲団に戻る。花子を起こさないように、ゆっくりと。
 
 六時に花子にご飯を与えたのだが、このときもやはり小便が出た。
 八時にきちんと起床したときも小便が出た。小便ばかりである。
 
 九時、事務所へ。今日も一日中、ひとりで黙々とコピーを書きつづける。資料を読みこみ、万年筆を握って原稿用紙のうえでアイデアを練り、Macでそれを仕上げていく。昨日の再インストールのおかげか、フリーズすることがまったくない。月曜は一時間に一、二回のペースで固まっていたのだから、作業効率は格段の差である。二十一時、帰宅。帰りがけに西友に寄ったが、店のなかに人がいない。原因はおそらく、『トリビアの泉』とサッカーのオマーン戦であろう。
 
 小島信夫『抱擁家族』。母親のいない家に、父の後輩、息子の友人といった「他所者」が住むようになる。家族の調和は、他所者=異物によって崩壊しはじめる。
 
 
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二月十九日(木)
「痛みのリレー」
 
 八時起床。毎晩飲みつづけているもろみ酢のおかげか目覚めは決して悪くないのだが、坐骨神経痛のつらさがそれをすっかり打ち消してしまう。夜中に寝返りを打つたびに痛みで目が覚める。だがまたすぐ眠くなるので寝不足の心配はないのだが、痛みのぶんだけ機嫌は悪くなる。
 
 九時、事務所へ。今日の予想最高気温は十四度だと聞き驚いたが、実際に外に出て歩きはじめると、これくらいの暖かさが普通なのではないかと思えてくるから不思議だ。都会の天気は季節感を撹乱させる。
 
 K社CD-ROMパッケージのコピーなど。何本か新規の仕事の依頼が来る。それにしてもおなじ日に依頼が集中するのはなぜだろう。夕方は一段落したので不要になった資料や原稿を処分する。三時間以上かかってしまった。
二十一時、帰宅。 
 
 夕食はブリの塩焼き。花子にくれくれとしつこくせがまれた。すこしだけ黒糖焼酎「浜千鳥乃詩」を飲む。
 
 今日は小説はまったく読まず。
 
 
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二月二十日(金)
「潔さと、慎ましさと」
 
 八時起床。九時、事務所へ。最近はいつもとはちょっとだけ道を変えて、梅の花が咲いている古い一戸建ての横を通って会社に向かう。梅の木には桜にはない可憐さがあると去年も日記に書いたような気がするが、どうだったろう。桜の花には潔さがある。そして梅には慎ましさがある。眺めていたいのは桜だが、じっと見つめているなら桜の花より梅を選ぶ。
 
 午前中は事務処理など。午後より外出。青山一丁目へ。知り合いのLさんが現在勤めている会社、J社にご挨拶。実績を見ていただき、先方の事業内容や引合い案件の話などを聞かせていただく。打ちあわせ――というより売り込みか――終了後、Lさんと食事。
 すれ違う女性の服の素材が、先週よりもいくぶん薄手になったようだ。女性は温度の差には敏感だ。というよりも、ファッションで季節を先取りしたいという願望が強いのかもしれない。もっとも先取りで薄手の服を来ている人はどちらかといえば少数派である。そういうぼくも今週は、ウールのコートではなく綿ギャバジンのものを着ている。
 十六時、代官山のJ社へ。O社新規案件のコンペの打ちあわせ。久々にE社のLさんといっしょに打ちあわせ。ちょっと太ったかな。でも元気そうである。Lさん、打ちあわせ中はずっとどす黒い顔でニタニタと笑いつづけていた。
 
 二十時、帰社。K社CD-ROM、それから今日の打ちあわせ内容の整理をしてから帰宅する。二十一時。
 
 夜空がだんだんつまらなくなってきた。温かになるにつれて空の色が深い黒から湿った濃い青灰色に変わっていくようにぼくには見える。星の輝きは湿った空に撹乱されてか、いつもよりも濁っていておまけに頼りない。もうオリオンがどこにあるかなどわからない。春の訪れはうれしいものだが、夜空の美しさがすこしずつ楽しめなくなってゆくのが寂しい。
 
 小島信夫『抱擁家族』読了。極限小説である、とぼくは思う。この家族はつねに極限状態におかれている。それは物質的な欠乏や貧困といった類の極限ではない。家族という形態を維持しきれなくなった状態に、この家族は追い込まれているのだ。それらの発端は作品中では妻の不貞からということになっているが、不貞はおそらく発端ではなく、顕在化しはじめた段階のひとつの通過点でしかないのでは、と読んでいて思った。二十数年前に書かれた作品ではあるが、崩壊の危機に瀕した家族、というテーマは十分現代にも通用する。それを淡々とした三人称一元描写でつづる。文体は極めて淡泊だが、こうするにはおそらく相当の技量が必要なのではないか。重たいことを重たく書くなら普通の作家ならたいていできる。ところが、重たいことを淡々と書くことは、ほとんどの作家ができないことだ。この作品、内容はもちろんのこと、この異常な文体が優れているからこそ「文学史に残る名作」と評されているのだろう。
 家族崩壊の過程のステレオタイプとしてだけ読みすすめてしまったが、戦後日本が面していた西洋=世界とのかかわりという問題、唯一神=天皇を中心としていた旧「神国」の物質主義的な世界観への転換の象徴、そんな小説としても読み解けそうな、奥の深い作品でもある。もちろん、異常な文体はこれらの側面においても高い効果を発揮しているように思える。
 
 
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二月二十一日(土)
「ラショウとオタクとあややと孔子」
 
 陽の当たらない部屋で寝ていると、時間感覚を失うことがある。そこではいつまで経っても夜のままで、眠ろうと思えば延々と眠ることができる。寝室は西側にあり、窓の向こう側はマンションの建設工事のために――そしてマンション竣工後はマンションの壁面のために――陽の光はすっかり遮られ、朝日はおろか夕日も射しこむことはない。だが今朝は朝が来たことがすぐにわかった。ドンカンドンカンドンカン、ドドドドドド、ガッキーンガッキーン。工事の音で目が覚めてしまったのだ。土曜日くらい休めとどなりちらしてやりたいが、眠気に負けてもう一度寝る。すると今度は騒音などまったく気になってくるから不思議だ。工事がはじまったのは八時半くらいのことだと思うが、次に目が覚めたのは十時半ごろ、この間騒音はひっきりなしに鳴りつづけていたはずだ。神経質なぼくがどうして眠ることができたのか。不思議だ。まあ、おそらく疲れていたのだろうか。
 
 午後より外出。久しぶりに秋葉原に向かう。
 土日の中央線快速は時間に関係なく異様に混雑する。ほとんどが新宿で降りるのだろうと考えていると、読みは見事にはずれてしまった。降りたのは五、六分の一といったところか。乗り込んでくる人もさほど多くない。ということは、彼らはその先、四谷か御茶ノ水か神田か東京まで乗りつづけることになる。ぼくら夫婦は御茶ノ水で下車し総武線に乗り換えたのだが、意外にも一番多く人が降りたのはそのひとつ手前の四ツ谷駅だった。丸ノ内線に乗り換えるということか。だとしたら皆、どこへ向かうのだろう。もっとも降りた人すべてがおなじ場所に向かうわけではない。それでも彼らの行動をついつい想像してしまう。
 混雑しているためだろうか、二月だというのに車内は異様に暑い。暖房が効いているのではなく、人いきれでむさくるしくなっているのだろう。ジャケットの上に綿のコートを羽織っていたのだが、汗をかきだしたので脱いでしまった。混雑していたので、ただそれだけの行動に難儀する。他人に迷惑をかけるわけにはいかない。ぼくのコートは生地はゴワゴワ、おまけに脛あたりまでのロングコートで脱ごうとすればかなりかさばるからだ。
 秋葉原駅で降り、はじめて「秋葉原デパート」なる名称の駅ビルに入ってみる。ふつうの駅ビルと変わらないねえなどとカミサンと話しながら歩いていると、いやいやじつは随分趣は違うようで、ひとフロアの半分以上がガンダムのなんとかとかアニメのなんちゃらかんちゃらとかが売られていたのでびっくらこいた。ぼくとおなじくらいの世代だろうか、三十代のおっさんが真剣な眼差しでガンダムのなんとかの箱を手に取っては凝視し、また別の箱を手に取っては凝視し、をくり返している。リュックを背負って売り場の通路を昔あったゲームの「パックマン」みたいにうろうろしている若い男もいた。
 駅を出て、マッキントッシュ専門店の「秋葉館」を探す。この店があるビルの三階に「DOー夢」という店があるのだが、そこでカミサンが大ファンの脱力ゲーム制作会社「イタチョコシステム」の代表戸締まり役・ラショウ氏がデザインした「ラショウキーボード」が売られていることを最近知ったためだ。じつに馬鹿馬鹿しいキーボードである。キーにある刻印はすべて絵文字である。たとえば、スペースキーは骨だ。アルファベットはその形をもとになんだかよくわからない絵がコショコショと描かれている。ファンクションキーもテンキーも同様だ。カーソルキーなんか、これが矢印かよ!とツッコミを入れたくなるような絵なのだ。しかもそのタッチがラショウ氏独特のグロ系ヘタウマで、見ているとアタマがおかしくなってくる。ブラインドタッチができるぼくになら使えるだろうが、手元を見ないとキータイプできない人が使うとなると、慣れるまでかなり大変だと思う。カミサンはブラインドできないのだが、それでもこのデザインにほれ込んでしまったようで、結局購入してしまった。四千九百八十円。
 じつはぼくもキーボードを探している。ぼくの場合はデザインよりもキータッチとキー配列を優先して探しているのだが、なかなかよいものが見つからない。先ほどの「ラショウ」はデザインはぼくも気に入っているが、メカニカルという機構を使った構造でやたらクリック音がうるさくちょっとキーが重たく感じるので、仕事では使う気にはなれない。キーの重いもの、打鍵したときに抵抗を感じるものは、おそらく腱鞘炎の原因となる。以前使っていたメカニカル式のキーボード、重くはなかったのだが抱けんの抵抗は大きかったようで、手首を痛めてしまってそれがいまだに完治していない。メカニカル式より機構が簡単で大量生産向きのメンブレン式というのがあるのだが、こちらのほうがぼくには合っている。ただしメンブレンにもピンからキリまであるので注意は必要だ。気になるのはタッチだけではない。テンキーは不要だ。なるべく手をホームポジションから離したくないのである。現在メインで使用しているのはPFUという会社が発売しているHappy Hacking Keyboard Lite2というものだ。テンキーがないタイプで、Aキーの横にControlがある特殊な配列をしている。以前Windowsにつないで使っていたものを、今はMacにつないで使っている。すでに三年くらいつかっているだろうか。Macで使いはじめたのはここ四ヶ月くらいのことだが、コンパクトさは合格、ただしキータッチには百パーセント満足しているわけではない。ちょっとだけキーが重いせいか、長時間売っているとわずかに手が疲れてくる――もっとも、自宅で使っているPowerBookのキーボードと比べたら数倍打ちやすいのだが――。そんなわけで、今日は秋葉原にはキーボード専門店があるのでそこでいくつかテストしてみようというわけだ。
 その専門店に向かう途中、電気屋の店頭にある液晶ディスプレイで松浦亜弥のコンサートのビデオが流されていた。それをひとりで熱心に見ている男がいる。年齢は二十代だろうか。紺色のピーコートのようなものを着て、背中にリュックを背負ったメタルフレームのメガネの小太り青年である。横を通りすぎたら、彼はにんまりとうれしそうな笑みを浮かべながら、そのディスプレイから離れていった。あややがかわいくて笑っていたのか。ほかの理由で笑っていたのか。よくわからんが、彼の笑顔を見てぼくらふたりも笑ってしまった。失敬。
 キーボード屋でいくつか試してみる。IBMのコンパクトタイプが軽めでけっこうぼくの好みにあっていたのだが、PS/2なのでMacにつなぐことはできない。変換アダプタを使うという手はあるが、機器同士の相性の問題は予測できないから、現実的ではないだろう。Happy Hacking Keyboard Lite2の上位機種である同Professionalというモデルもある。こちらもキータッチは軽いのだが、値段が二万四千円と高すぎて困った。買わずに出てきたが、おそらく三月ごろにProのほうを買ってしまうと思う。
 一本奥の道に入り、ジャンク品やバルク品を扱う店をひやかしながら駅へと向かう。ボロボロの中古キーボードが二百円で売られている。かと思えば、アルバイト情報誌「an」がキャンペーンのときに路上で配付したと思われるケータイ液晶クリーナーが一個五十円で売られている。「生茶」の菜々子さんパンダのぬいぐるみもあった。異世界に迷いこんだような気分である。
 駅から電車には乗らず、そのまま御茶ノ水方面まで歩く。寒くはないので歩いてもまったく苦にならない。途中、湯島聖堂に立ち寄ってみる。ここに来たのははじめてだ。孔子を奉ってあるということで、学業の神様として崇められているというわけか。屋根に飾られた鬼がわらや装飾が目を引く。羽根をはやした狛犬、頭が龍で身体が魚の生き物、そして化け猫のような四つ足の獣。あれらは仏教文化のものでも日本神道のものでもないだろう。頭が良くなりますように、とお願いして十円お賽銭を投げ入れてからここを出る。
 楽器街を抜け、神保町に向かう。明治大学前あたりは学生が多いが、休日のせいか年配の方も少なくない。ただし、昔をなつかしんでの散歩というわけではなさそうだ。古書街は頭の良さそうな男性が古書漁りに精を出していた。先日「アド街ック天国」で紹介されていた喫茶店「さぼうる」で少し休憩。テレビを観てうす暗く昭和の雰囲気漂う店内に過剰な期待を抱いてしまったのだが、どうやらそれが間違いだったようだ。西荻窪の喫茶店のほうがよほど趣もあるし、落ち着いて休める。珈琲の味は数段上である。
 水道橋駅まで歩き、電車に乗って吉祥寺へ移動。三越で修理を頼んでいた靴を引き上げ、ユザワヤでカミサンの画材を買ってから西荻へ。晩ご飯のおかずを買ってから帰る。
 
 十八時、帰宅。マンションの工事は終了していた。ポストにそのマンションの入居者募集のチラシが投函されていたので腹を立てる。
 
 夜、「めちゃめちゃイケてる!」を観る。「笑わず嫌い王決定戦」。爆笑の連続。
 
『戦後短篇小説再発見1 青春の光と影』より、太宰治「眉山」を読む。大宰にしては珍しいのかな、ちょっと人情味のある切ない酔っ払い話。私小説である。
 つづいて石原慎太郎「完全な遊戯」を読みはじめる。深夜にクルマで拾った女を強姦したら、彼女は精神病院の患者だった。
 奥泉光『新・地底旅行』。明治の若者が富士山の地下に広がるという地下空洞を冒険する話。
 
 
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二月二十二日(日)
「わかりやすいのと、ふてくされてるの」
 
 ギョギョギョギョというトリたちのけたたましい鳴き声で目が覚めた。八時三十分。天気がよいとすぐに態度に出るからトリは本当にわかりやすい。花子は鳥籠のうえで、ふてくされたような表情で香箱を組んでいる。
 
 掃除、片づけ。朝食後、テレビを観ながらシャツにアイロンをかける。
 
 午後より外出。異様な暖かさ。四月中旬といったところだろうか。駅前を歩く人たちの服装の季節感がみなバラバラなのが妙におかしい。メルトンのコートを着込んでいる人がいるかと思えば、薄手の七分袖カットソーの人もいる。暖かくなると冬の服など脱ぎ捨てたくなるが、おそらく数日後には寒の戻りがあるだろう。そうもいかない。
「オリンピック」でシリコンスプレー。二百八十円。西友に寄りカミサンに頼まれていた牛タンを探すが、見つからず。電車に乗って西荻窪へ。事務所に寄り、シリコンスプレーを置いてから駅でカミサンと合流。「アンセン」でパンを買ってから西友〜生協とはしごする。十八時、帰宅。
 
 夕食は焼き肉。タレは自前でつくった。豚のカシラ、牛モモ、カルビ、キャベツ、サツマイモ、玉葱。締めは西友で買ってきたできあいのナムルをご飯に乗せ、コチュジャン、焼き肉のたれ、カルビ、キムチを混ぜてつくった即席ビビンバ。美味。
 
 夜から雨が降り出す。コンビニに行ったのだが、台風のように雨風が荒れ狂っている。春の嵐。
 
 奥泉『新・地底旅行』。汽車に乗り御殿場を目指す主人公。文体が『吾輩は猫である』によく似ている。『『吾輩は猫である』殺人事件』のときは無理にでも似させるぞという意気込みがあって文章のテンションが異様に高かったが、今回の場合は肩の力がいい感じに抜けたような印象。語り手が名無し猫君ではなく人間の青年であることも影響しているのかも。
 
 
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二月二十三日(月)
「夜鳴きと平家の亡霊」
 
 三時、花子の夜鳴きである。フニャンフニャンという鳴き声が、お願いだから起きて遊んでよとねだられているように思えてしまう。案の定寝室のまえの廊下には猫じゃらしがひとつポトンと置かれていた。眠いので、ちょっとだけ撫でてあげてからまた蒲団に入った。頼むから静かに寝かせてくれ。
 
 花子に冷たくしたのが悪いのか。こんな夢を見た。
 どうやら中央線のようだ。電車に乗って川の上流にある湖をめざす。川の名前も湖の名前もわからない。おまけにいっしょに旅する相手の名前もわからない。誰だ、コイツ。電車の窓からは川が見える。上流らしい。線路は沢のうえに敷設されていることになる。窓から外を眺めていたぼくは、突如何者かに取り憑かれる。それは平家の落武者の霊だ、と相方がぼくに教えてくれる。お経が自然とぼくの口からついて出てくるが、それが自分の意志によるものなのか、霊がぼくの肉体を使って唱えているのかはわからない。全身を痙攣させながら息つぎもせずにお経を声に出しつづけているところで目が覚めた。疲れた。
 
 九時、事務所へ。今朝も四月を思わせるような陽射し。最高気温は十七度だそうだが、風は強くなぜか冷たいので、体感温度はさほど高くはあるまい。
 K社CD-ROM、O社プロモーション企画など。
 腱鞘炎が悪化。キーボードのせいだろうか。ここのところ忙しかったからなあ。
 午後、外出。税務署に確定申告の用紙をもらいに行く。荻窪駅から四面道を右に折れてしばらく歩いた場所にあるのだが、歩けば十分以上かかる。風が強くて難儀した。
 一度事務所に戻り、すこし作業をしてから夕方ふたたび外出。新宿ビックカメラでO社プロモーションの資料集め。ついでにキーボードを新調する。結局キータッチには定評のある――特別よいわけではないが、価格のわりには軽めで良質なタッチ――腕に負担のかからないエルゴノミクス型のものにした。これをMacにつないで使うのはいささか抵抗はあるのだが、快適さには代えられない。
 
 帰社後も作業。二十一時、店じまい。「てんや」で夕食を食べてから帰る。
 
 石原慎太郎「完全な遊戯」をすこしだけ。拉致した女性を熱海の温泉場に売り飛ばそうとする若者たち。
 奥泉光『新・地底旅行』。落雷のなか、ようやくホテルにたどり着いた主人公の野々村は、丙三郎、そして水島寒月の弟である水島鶏月と合流する。水島寒月は、言うまでもなく漱石『猫』に登場したレンズ磨きのクレイジー理学者。
 
 
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二月二十四日(火)
「どんどん春っぽく」
 
 八時起床。ここ数日の暖かさに身体がついていけていないのだろうか、頭痛がしたり腹を下したりと、どうも体調が落ち着かない。だが病気ではないのでいつもの通り九時に家を出る。今朝のだるさは、ひょっとするとここ数週間つづけている「もろみ酢健康法」を、夕べは酢を切らしてしまったために中断せざるを得なかったためなのかもしれない。そんな考えが頭をよぎったものだから、代替になるものを摂取しなければと思い立ち、しばらく顔を出さなかった「野菜倶楽部」でモロヘイヤジュースを購入してから事務所へ向かう。
 
 午前中は事務処理。十一時、吉祥寺に資料を探しにでかけ、ついでに「武蔵野文庫」で昼食。帰社後、O社企画を黙々と。二十時、終了。
 
 夜道を歩いていると、カミサンが「空がどんどん春っぽくなっていく」というので見上げてみると、たしかにしっとりと湿ったような空は霞みがかった春の空気で作られているように見えてくる。星は見えない。
 
 石原慎太郎「完全な遊戯」読了。狂った女を崖から突き落とし殺してしまう主人公たち。これが「完全な遊戯」ということか。姦淫や殺人を「遊戯」として楽しむ若者という内容はモラルの崩壊を示しているわけではあるまい、時代の閉塞感を示したわけでもあるまい、石原もまさかそんなことを書こうとしていたはずではないはずだ…と信じたいけど、どうなんだろ。読解はいかようにでも広げられそうな、そんな内容の作品。
 奥泉光『新・地底旅行』。「人穴」への探検のはじまり。
 
 
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二月二十五日(水)
「間に合わない/間に合った/スズメとおなじ」
 
 シャア・アズナブル改めクアトロ・バジーナが金色のモビルスーツ・百式に乗り、なぜか赤いガンキャノンに乗ったアムロ・レイをいたぶっている。変な夢だ。ぼくはガンダムなんぞになんの思い入れもないというのに。
 
 八時起床。今日も陽は暖かで、起きるとまず今日は何を着るかにひどく悩む。毎日黒い服ばかり着ているからどれを選んでも見てくれはたいして変わらないのだが。
 
 九時、事務所へ。今日の予定を確認していたら、愛用するPDA・クリエPEG-NX73Vが突如故障。フルリセットするはめに。おかげで出かける時間が遅れてしまう。十時三十分、外出。時間がなかったので、移動中はいつもなら読書するところだが、O社パンフレットのコピーを考えつづけた。
 
 十一時三十分、八丁堀のJ社でK社プロモーションツールの打ちあわせ。終了後、とんぼ返りで帰社。十三重三十分。馴染みの「西荻餃子」で弁当を買い、すぐにO社パンフのコピーに取りかかる。十五時、外出。高円寺の社会保険事務所に行き、カードサイズになった新しい保険証を受け取る。またとんぼ返り。十六時三十分。またまたO社パンフ。十八時、B社のGさん、Jさんが来る。O社パンフの打ちあわせ。ふう。なんとか間に合った。
 夜は今日打ち合わせをしたK社のコピー。二十一時、頭がイパイイパーイになったので、帰る。
 
 夜、「マシューズベストヒットTV」を観る。ゲストはモー娘。のミキティと紺野。ミキティは全面的に目立とうとしてやかましいのだが、紺野は天然ボケで美味しいところをすべてもっていってしまう。爆笑。紺野、「ポンちゃん」という渾名をつけられてしまった。うちで以前巣落ちしたのを拾って助けたが結局死んでしまったスズメの名前とおなじである。
 
 大江健三郎「後退青年研究所」を読む。学生運動に挫折した学生の声を集めるアメリカ人の事務所でアルバイトする主人公。若いころの大江の文体は攻撃的で衝撃的。見えっ張りで表層的。だが作品が浅いわけではない。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。幽霊の出現。そしていよいよ地底に出発。
 
 
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二月二十六日(木)
「寄り道」
 
 眠い。だめだ。眠い。と思いながら起きる。八時。春眠暁を覚えずというが、春と呼ぶにはまだ早いものの、やはりここ数日つづくこの暖かさでは、ついつい朝が来たのも忘れて眠りこけてしまってもしかたないかもしれない。そもそもこの言葉は、春は暖かなのでつい夜更かしをしてしまう、という意味で用いるものだ。振り返るに夕べは午前一時に寝た。夜更かしをしていたわけではない。だから眠くてたまらんなどと文句をたれなければ――誰に対して? よくわからんが――いけないほど睡眠時間が短かったわけではない。とはいえここ数日は忙しくあちこちを飛び回っていたのだから、知らず知らずのうちに疲労が溜まり、それが眠気というかたちで身体に現れたのかもしれない。忙しいのはいやだ。だが仕事がなければおまんまの食い上げだから困る。ほどほどが丁度いいのだニンゲン欲張っちゃいけない、などとガキのころに親戚のおばさんによく言われたが、どうもぼくの人生は極端なことが多いようで、ほどほどで納得できたことはあまりないようだ。だからついついムキになる。ムキになって、疲れて、ソンをする。これを貧乏くじというのだろうか。貧乏くじは、引き慣れている。いやなことにはよくぶち当たる。厄介事を押しつけられる。悪いことのとばっちりを思いきり喰らう。その代わり、やっていたことが大当たりすることもある。横浜の占い師に「波瀾万丈の相が出ているから若いうちは諦めろ」といわれたのを思い出した。だが諦めるわけにはいかない。諦めたらニンゲン終わりである。……待て。おれはいったい何を諦めようとしている? そんなこと、一言も書いてないぞ。文章を改めて読み返してみる。なんだこりゃ。脱線どころか、寄り道の連続で何を書いているのかがわからない。ひどいなあ。
 ああそうか。眠いのだ。眠かったのだ。
 
 八時起床。起き上がるまでは眠かったが、起きてからは全然眠くない。だからちゃっちゃと仕度をして、とっとと会社に向かうことにした。九時。
 K社CD-ROMとWebサイトのコピー、O社プロモーション企画など。十四時三十分、カイロプラクティック。眠くなる。だから寝た。帰りがけにラオックスに寄り、もっこりしたアームレストのついたマウスパッドを購入する。甲の高いマウスを使うと手首がたちまち痛くなるからだ。
 
 二十時、飽和状態になったのでガス抜きのために帰宅する。
 
 今日は本を読まなかった。そのかわり「週刊モーニング」を読んだ。寝る前に何か読むかもしれない。
 
 
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二月二十七日(金)
「凝縮させるとこんな感じ」
 
 八時に起きて九時に会社に行ってずっと仕事して十七時に気晴らしに髪切りに行って十八時に戻ってきてまた仕事して二十一時くらいに飽きたから帰って晩ご飯はカレーを食べてコロッケ乗せたら美味くって風呂行って奥泉光の『新・地底旅行』読んで『タモリ倶楽部』観て眠くなったからもろみ酢飲んでからすぐに寝た。
 
 
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二月二十八日(土)
「うんこばっかり」
 
 八時起床。土曜日だというのに働かなければいけないからいつもとおなじ時間に起きたのだが、締切に切羽つまった緊張感のせいかすぐに目が覚め、起きることができた。外は相変わらず晴れ渡っている。昨日の気温は十度だったが、今日は十四度くらいまで上がるらしい。気温の乱高下に身体は、特に腰のあたりが小さな悲鳴を上げているが、気にしているほど余裕はない。とはいえカリカリしているわけではなく、他人が見たら朝の身支度をするぼくはきわめて呑気に思えるに違いないはずだ。顔を洗い鏡のまえでニッと笑って、いや笑うようにしてと書くべきなのだが、肌やら歯茎やらをチェックするぼくの姿は呑気を通り越して白痴っぽいとでもいうべきか。まあいいや。仕事だ仕事。
 ここ数日きゅーの体調があまり思わしくないのが気になるが、おそらくは換羽による体力消耗が原因だろうから、気をもみすぎてもしかたがないので九時に事務所へ。黙々とO社プロモーション企画。
 十二時、カミサンとベトナム料理店「Riddim」へ。カミサンは豚肉炒めのプレート、ぼくは鶏肉のフォーを食べる。カミサン、久々のナムプラーの味に満足しているようだ。
 二十一時、店じまい。疲れた。
 
 家に帰ると、書斎に置いてある猫トイレに大量のうんこが。二匹でおなじ場所にしたようで、どんぶり一杯分くらいのウンコが堂々と裾野を広げる富士山のようなかたちに積み上げられている。
 夕食はレトルトのパスタソースでボンゴレ。手軽に。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。探検隊は、どうやら富士山の内部に侵入してしまったようである。
 
 
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二月二十九日(日)
「おまけの日」
 
 子どものころからこの日は「おまけの日」なんだと考えていた。うるう年だけの余計な日だから、本当はなかったはずなのだ、幽霊みたいな一日だよなあと、わけのわからない理屈をこねていた。だが今日のように「おまけの日」が日曜日になったことはあったのだろうか。二月二十九日が休日。こうなると、「おまけの日」のおまけ性はより強くなるように思える。おまけなのだから、だらだらしてもいいだろう。そんな思いが心のどこかにあったはずだ。八時に目が覚めたが、結局十時すぎまで眠りこけてしまった。めずらしくカミサンのほうが早く起きだした。
 
 いったん起きると、結局やることはいつもの休日とたいして変わらない。朝と昼を兼ねた飯を喰い、テレビを観てからスーパーに行き、帰ってからは読書と昼寝、夕方からは「男の手料理」をつくって気晴らしをして、テレビを観ながら飯を喰い、長風呂に浸かってから蒲団に入る。
 カミサンとスーパーに行ったときのことだ。なんだか空も風も春めいている。だがまだ二月なんだよなあと考えていたが、これが去年だったらもう三月ということになる。「おまけの日」に季節の感覚を狂わせられたように思えてなんだかおかしかった。
 
 奥泉光『新・地底旅行』。地下隧道での陸軍による追い剥ぎ、光る電気大山椒魚の出現、そして鶏月たちとはぐれる野々村。文体は漱石の「猫」なのだが、内容はとんでもないファンタジー。
 
  
 





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。最近は服と読書しか楽しみがないので寂しい。

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