「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞

二〇〇四年九月
 
 
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九月一日(水)
「ビリビリ」
 
 七時五十分起床。最近は半身浴をサボっている。腰痛がひどくならないので必要をかんじていないからだが、こんなことでいいのだろうかという疑問と不安の入り混じった気持ちがあるのも確かで、その気持ちというヤツを誤魔化すために、今朝はちょっとだけヨガをやってみた。といってもクネクネと柔らかくあちこちを伸ばしたり曲げたりするのではなく、いわゆる呼吸法の類いである。腰痛の問題はともかく、全身が目覚めた感じがするのはなかなか心地よい。しばらくつづけてみようかと思う。
 
 九時、事務所へ。B社キャンペーン企画。十三時三十分、「Rosso」へ。伸びた分だけ髪を切る。ちょっとした気分転換。でも切られている間もB社の仕事を考えていたからなあ。
 十八時、小石川のL社へ。空をふと見上げると、都心にしては豊かな緑の上に、あいまいなオレンジ色を帯びた雲が、ビリビリにちぎられたあとのようにこまごまと広がっている。平らに広く連なる雲をチョップで断裁し、それを両手で何度も掴んではあたりかまわず投げ捨てたように見えてきた。引きちぎっているのは誰なのだろうか。
 E社POPの件で打ちあわせ。毎度のことながら、この仕事は難産。二十時、帰社。二十一時、店じまい。
 
 阿部和重『シンセミア』。殺人犯、登場。
 
 
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九月二日(木)
「頭おかしいです」
 
 七時三十分起床。今朝もヨガの呼吸法をしてみる。沈んだ気分を浮かび上がらせアクティブにするには効果的らしいが、ここ数日仕事が難問ばかりのせいか、あまり効果を感じない。いや、おそらくやっていなかったらもっとひどい状態になっていたのだろうと考え直す。考え直せること自体が、この呼吸法の効果なのかもしれない。
 
 八時三十分、事務所へ。街がほんのりセピア色を帯びてきたように見える。植物だけではないのだろう。店先を飾るポスターやPOP、人々のファッションの色彩が落ち着いたものになりはじめている。人々の表情、涼しい季節を待ちわびる気持ちも、陽射しの中のセピアな光を増殖させているのかもしれない。
 E社ポスター、B社販促企画など。
 昼食は、B社企画の取材のために関町にある「レッドロブスター」へ。どうせファミレスに毛が生えた程度の味だろうとタカをくくっていたら、うれしい形で裏切られた。注文したワタリガニのクリームスパ、下手なイタリア料理店で注文するよりもよほどうまいのだ。カニの味がスカスカになりがちで、みょうな生臭さがすることも多いのだが、そんな様子がまったく感じられない。おそらくは工場で調理されたものがパックか冷凍になって出荷され、それを加熱して出しているのだろうけれど、工場段階での調理方法もパッキングも、細かな部分まで気配りがされているのだろう。
 夕方は電話ラッシュ。難問に次ぐ難問で頭がおかしくなってしまった。二十一時、店じまい。
 
 阿部和重『シンセミア』。白骨化に至る経緯。
 
 
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九月三日(金)
「へとへとと、鳥」
 
 七時起床。八時、事務所へ。午前中、大慌てでいくつかの案件をメールで納品。午後からは打ち合わせを五件もはしごする。フリーになってからの最高記録じゃないかな。二十一時、ようやく最後の打ち合わせが終了。原宿からJRに乗り、荻窪駅で下りてビールでも飲んでから帰ろうかと思っていると、O社のJさんから電話。仕事がまた増えてしまったが、事務所には戻らず「ジュノン」でガンボスープと生ビールで軽く夕食をとってから帰る。へとへと。今日は本も読めなかったなあ。
 
 あちこちで、雀やシジュウカラの鳴き声に何度か気づいた。蝉の季節が終わり、あのけたたましい叫びにかき消されなくなったのだろう。
 
 
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九月四日(土)
「雷こわい」
 
 目が覚めるまで、寝る。これは休みの前日になると必ずカミサンがいう言葉。ぼくも今日ばかりはそれにならおうかと思ったが、花子には朝四時にゴハンをせがまれ、六時半には四歳の子がいるお隣の家がすでに元気モードいっぱいの状態になっていて、子は叫び、パパはベタベタした声で興奮した子の要求に応えているのが聞こうとせずとも聞こえてくる。おまけに隣で飼ってる猫のミーちゃんがにゃあにゃあにゃあにゃあと鳴きつづけ、これじゃ目が覚めるまで寝るったって、もう何度も目が覚めちまったからなんだかよくわからん状態だわいと思いつつ夕べから開け放っておいたままの窓を閉めて外から入り込む子どもやパパや猫の声をシャットアウトし、さてもう一度熟睡して目が覚めるまで寝るぞと思ったら、今度は花子がベタベタとすり寄ってきて、髪の毛を舐めたり腕をハムッと小さく噛んだりふーにゃんふーにゃんと情けない声を連発したり枕のまわりをうろついたり突然窓の桟のところに飛び乗ったりそこから飛び降りたりを繰り返すので、やっぱり寝れない。
 
 十一時、事務所へ。帳簿づけだけのために休日出勤。十四時、カミサンと池袋西武へ。買ったばかりだというのに早くもヘッポコ状態になってしまった仕事用のカバンを新調するためなのだが、数日前にネットで調べておいたあるメーカーのお目当ての商品が取り寄せになると聞かされた。仕方ないので新宿へ移動。東急ハンズに実物があったので確認するが、展示しっぱなしのためにかなり痛んでいる。ネット通販で買うことにし、別のフロアで石鹸を買ってからおとなしく帰った。
 
 十六時、西荻着。「どんぐり舎」で珈琲を飲んでから帰る。
 
 二十時ごろから大雨に。激しい落雷。強くアスファルトを打つ雨の音が、空からエネルギーが落ちる大きな音で完全にかき消される。すると家の中の扇風機やテレビの音まで消え、ぼくらの呼吸や血液の流れも止まってしまうように思えるから不思議だ。わが家のドウブツたちもおなじ思いをしているようで、麦次郎は唖然とし、花子は怖くなったのか、尻尾を下げ、腰まで下げてそそくさとベッドの下に隠れてしまった。ぷちぷちは身を固めたままだ。瞳孔――がインコにもあるのかどうか知らないが――が開きっぱなしである。
 
 阿部和重『シンセミア』。そうか、洪水のあとって、ゴミがどっさりでるので臭くなるのか。
 島尾敏雄「死の棘」。田舎への引越しがミホの心をすこしずつ閉ざしてゆく。
 
 
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九月五日(日)
「順応と成長」
 
 明日こそは目が覚めるまで寝るぞと意気込んだ状態で床についたのだが、朝が来てみると結局展開は昨日とおなじで、むしろ昨日経験済みだったためか外からの音やドウブツの行動に強制的に起こされることに、さほどストレスを感じなくなった。人間とは、順応することで成長しつづける生き物なのかもしれない。……こんな状態に順応する必要がないような生活には憧れるけれど。
 
 冷やし中華で昼食をとったら猛烈な睡魔に襲われ、そのまま倒れこんだら二時間が過ぎていた。目が覚めるまで朝寝することはできなかったが、昼寝することはできたわけだ。
 
 午後よりカミサンと外出。善福寺川沿いの遊歩道を歩きながら、義父の検査入院のために岡山にいる義母宅へ、桃子の世話をしに行く。大雨のあとのせいか、川の水は泥の色をしていたが、水の量はさほど多いわけではない。川べりにある一戸建ての庭先で、ヤマバトの子どもがじっとうずくまっているのを見かける。大雨にやられて体調を崩したのだろうか。保温のために膨れさせた身体に首をうずめるようにしてじっとしている。目は閉じていないから、時間が経てばきっと恢復するはずだ。この家の人たちに追い払われることだけが心配。
 桃子はしっぽをピンと立て、プルプルプルと電気マッサージ器みたいに小刻みに震わせながら身体をぼくらの足の脛のあたりにすりつけて歓迎の意を表してくれた。一日の大半を一人で過ごすことがかなりさみしく、つらいのだろう。だがぼくがねこじゃらしを振って遊んでやろうとしてもさほど反応してくれない。カミサンと遊ぶほうがうれしいらしい。ゴハンを与えたりトイレの掃除をしたりしたあと、一時間半ほど相手をしてから帰る。
 
 夕食は、義母宅の側のスーパーで安かった豪州産の牛肉でステーキを焼いてみた。ニンニクとクレイジーソルトというハーブやスパイスの混じった岩塩でミディアムレアに焼いただけだが、変にあぶらっぽくなく、臭みも上手に消えたようで満足できる味である。
 
 夜はテレビを観たり観なかったりしてダラダラと過ごす。
 
 阿部和重『シンセミア』。戦後の神町の汚れた歴史。
 
 
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九月六日(月)
「隠れちゃった」
 
 雨は降れども秋は来ず。ひと雨ごとに涼しくなり、少しずつ秋が近づいてくるのだろうなあなどと、似合わず繊細な感覚で土日の豪雨を眺めていたのだが、週が明け、雨も開けた月曜の朝に、秋の気配はまるで感じられない。八月の終わりにフライング気味にやって来た桜の黄葉やセピア色の陽の光は相変わらずそのままで、むしろ蒸し暑さと人の肌に流れる汗と夏を名残惜しむように皆が着つづける半袖や袖無しの夏服に、すっかり気圧されどこかに隠れてしまったようにも思える。
 
 七時三十分起床。九時、事務所へ。十一時、麻布十番のO社にて新規案件の打ちあわせ。クリスマスのキャンペーンである。まだ秋もやって来ないというのに、サンタクロースやスノーマンのことを考えなければならないわけだ。ふう。
 昼食はam/pmの冷凍パスタとフランスパン。炭水化物づくしで猛烈な睡魔に襲われ、負けた。二十分ほど昼寝。
 午後はB社キャンペーン、E社ポスターなど。妙に宅配便の多い午後だった。六便くらい到着したと思う。二十時三十分、店じまい。
 
 阿部和重『シンセミア』。びびるJAねーちゃん。
 島尾敏雄『死の棘』。今起きていること。物語前半は、それが妙にクリアでリアリティを伴っていたが、後半になるにつれてどんどんそこに雲がかかり、色彩は薄れ、感情の起伏までもが消えてゆく。うまいなあ。
 
 
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九月七日(火)
「過剰摂取」
 
 七時三十分、起床。夏の陽射しと梅雨の湿度。
 九時、事務所へ。夏の陽射しと梅雨の湿度。いつものようにエアコンでしのぐ。
 十三時過ぎ、昼食。「リスドオル・ミツ」で買ったパンを食べたら炭水化物のとりすぎか、睡魔に襲われて今日も十五分ほど昼寝。外は相変わらず夏の陽射し、か。
 午後から出勤してきたカミサンに、空は晴れているのに突然大雨が降った、と聞かされる。いつのことか。エアコンで暑さをしのいでいるときか。炭水化物過剰摂取で爆睡しているときか。
 十七時、筆記具メーカーX社のキャンペーンのために、東武百貨店の文具売り場を視察。十八時、大崎のE社へ。新規案件の打ちあわせ。二十時、業務終了。荻窪駅で降りて直帰。外はあきれ返るほどの暴風。台風の影響だろうか。何度かにわか雨も降ったらしい。
 
 夕食ははケンタッキーで手軽に。
 
 島尾敏雄『死の棘』。ふう。読むほうも溜息の連続。
 
 
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九月八日(水)
「ヒステリック」
 
 七時三十分起床。八時三十分、事務所へ。受注している物件の数が多いせいか、あれやこれやと慌ただしい一日。二十一時、帰宅。夕食をとったら麦次郎が花子にちょっかいをだし、それが原因で喧嘩をはじめてしまった。いつもよりヒステリックなので慌てる。急いで取っ組み合おうとする二匹を引き離したが、花子は興奮状態のままである。ひとまず寝室に隔離し、レスキューレメディをスプレーして落ち着くまで様子を見るが、一時間以上経った今もなお怒りは冷めないようだ。ラベンダーとネロリをティッシュに染み込ませて寝室に放り込んでみたが、効き目は果してあるかどうか。興奮して小便をもらしてしまったようなので、そのツンとしたアンモニアの濃い臭いにアロマはおそらく負けてしまうだろう。
 
 
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九月九日(木)
「少しずつ/血まみれ↓歯抜け」
 
 花子は一晩中興奮しつづけ、気づけばぼくのそばにいるのだけれど、目が合うとシャーと威嚇の声を発し、グルグルと唸りながら辺りをうろつきはじめたり物陰にさっと身をひそめたりする。麦次郎は落ち着き払ってカミサンといっしょに寝ているようだ。とにかく花子の状態を平常に近い形にまで恢復させなければ。もう一度心の乱れに効くアロマの香りをつくってみたり、威嚇されてもやさしい声をかけつづけたりと、あれこれ繰り返してみたら、アロマの効き目かぼくの心が通じたのか、少しずつ態度が和らぎはじめた。噛みつかれたり引っ掻かれたりするのを覚悟でそっと人さし指を鼻面へ近づけてみると、クンクンといつもの表情で匂いを嗅いでくれた。これはシメた、と思い、少し時間を置いてからもう一度指を出してみたら、今度はほおずりをして指に自分の匂いを付けようとしている。身体を近づけてきたので、床に腰を下ろしたまま脇に抱えるような形で触ってみたら、意外にもまったく抵抗しない。身体を動かしたりトイレに立ったりすると、そのたびにシャーと威嚇するのは相変わらずだが、おそらくそれは離れられてしまうのが心細いからに違いない。昨日までの信頼関係がようやく戻ったと判断し、ゆっくり寝ることにしようと蒲団に入って時計を見る。午前五時だった。
 
 七時三十分に起床するまで、何度目が覚めただろうか。花子が頭の上をうろついたり頬ずりしたり前歯の先で小さく噛んだりを繰り返すので、まったく熟睡できないのだ。断片的な夢ばかり見たせいか、頭がちょっとだけクラクラする。しかしこれも飼い主の責務であり、運命でもある。受け容れ、耐えなければ。午前中は、花子と麦次郎を引きあわせないようにする。少しずつ、様子を見ながら慣らしていくつもりだ。
 
 九時、事務所へ。X社キャンペーン、B社キャンペーンなど。
 
 カミサンから電話。「朝、麦次郎を外廊下に出してリードでつないでひとりで遊ばせておいたら、珍しく飛んできたカラスに興奮したらしく、追いかけようと壁にジャンプし、そのまま激突して歯を折っちゃって血まみれ。今病院にいる。明日手術。ついでに歯石取りもしてもらう。三日間入院」災難はつづくが、花子との関係の冷却期間をいやでも置くことができるというのはラッキーかもしれない。とはいえ、歯抜けになるのはちょっと心配だ。入院という状況に順応しきれず、さみしがるかもしれない。
 
 午後より外出。小石川のL社でB社、D社の案件の打ちあわせ。最高気温は二十九度の予想だったか、真夏日ではないというのに、寝不足のせいか少々歩いただけでひどく汗をかき、全身が棒になったように疲れてしまう。
 十五時、ゲートシティ大崎の「カフェ ハイチ」で遅めの昼食をとる。ドライカレーとハイチコーヒーのセット。ハイチコーヒー、はじめて飲んだときは飲み口の軽さと飲んだあとに口に広がる香りとうまみのギャップに驚き、これは至高のコーヒーだと本気で思ったが、最近は慣れてしまったのか感動しない。
 十六時、E社へ。ポスターとアドカードのプレゼン。終了後、デザインを担当しているD社で打ちあわせ。
 十九時四十分ごろ、打ちあわせを終えて原宿駅へと向かう途中で大雨に降られる。にわか雨だろうか。駅までは七、八分ある。仕方ないのでコンビニで傘を一本購入。駅まではそれでしのげたが、荻窪駅についてみると、雨はすっかりやんでいた。どうやら損をしたらしい。そのまま家に帰る。
 
 なんだかバタバタした一日だったなあ。
 
 
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九月十日(金)
「麦の入院」
 
 七時三十分起床。花子がリビングや和室をきょろきょろしながらうろついている。入院中の麦次郎を探しているのだろう。やはりふたりの絆は固いのだろうか。
 
 九時、事務所へ。あれやこれや、五件くらいの案件を同時に、ぐちゃぐちゃにならないように気をつけながら進める。よく混乱しなかったなあ。
 
 二十一時帰宅。花子はあいかわらずさみしそうだ。昼間ひとりで留守番しているとつまらないのだろうか、太陽光線過敏症で炎症を起こしている右の瞼が気になるらしくて、ついつい引っ掻いてしまうらしい。すこし血をにじませながらゴロゴロと喉をならし擦り寄られると、心苦しくて胸を細くねじれたような気分になってしまう。
 
 阿部和重『シンセミア』。ロリコン警官の悶絶と、仮面夫婦を卒業しかけた主人公夫妻のコカイン吸引。 
 
 
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九月十一日(土)
「おかえり麦次/花子の逆上1」
 
 八時三十分起床。十時、事務所へ。休日出勤。だいたいのところを片付けて十五時過ぎに一度帰宅し、抜歯のために入院中の麦次郎をカミサンとふたりで迎えに行く。麦、心細そうだが入れられているケージの重みからして痩せたという印象はない。
 連れて帰ると、昨日まであんなに安定していた花子がケージを見ただけで豹変し、過去最大のヒステリー状態に。また隔離した。
 
 
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九月十二日(日)
「花子の逆上2」
 
 夕べはしばらく寝室に隔離し、夜はドアを少しだけ開けて隣にある書斎で横になった。花子はまたまたいつのまにかぼくの横にやって来て、ときどきシャーとかハーとか威嚇の声をあげながらも、甘えたりスリスリしたりしている。朝になるとすっかり態度がいつもの状態に戻っていたので、もう安心かと思っていたら閉めきったリビングから聞こえてきた麦次郎の声が引き金になって、またヒステリーだ。昨日より状態はひどい。夕方まで寝室に隔離し、落ち着いたところで無理やり大型のケージに誘導したらさらに逆上、小便をちびって野生に戻ったような声をあげつづけた。手のつけられない状態だったが二十一時ごろにはなんとか平常心に近く戻りはじめた。今はこうして日記を書いているぼくの後ろで、ケージのなかをうろうろしたり、手を伸ばして届くものを触ったりを繰り返している。鳴き声の数は多い。ケージから出せといっているのだろう。
 
 
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九月十三日(月)
「花子の逆上3」
 
 七時起床。なんとか花子はいつもどおりの落ち着きを取り戻してくれた。今日は麦次郎が入院後の診察のために午後、半日だけ病院に行く。その間にふたりの関係がどれくらい和らいでくれるのか。
 
 十七時、やりかけの仕事を全部持って帰宅。花子をケージに入れ、病院から戻る麦次郎を迎え入れる。ケージに入れると花子は相変わらずニャンニャンと不満そうな鳴き声を連発するが、なだめればすぐに鳴きやむからさほどやっかいではない。それに怒りの感情はすでに消えているようだから、安心して触ったりケージを移動させたりゴハンを与えたりできるのもうれしい。ひとまず、最初の山は無事越せたようだ。あとは、どうやってふたりの関係をもとに修復していくか。時間はかかるだろう。
 
 帰宅後は、猫の様子を見ながら自宅で作業。ちょっと目線が変わって新鮮だが、集中はしにくいかな。
 
 まともな読書はできず。あたりまだよな。
 
 
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九月十四日(火)
「二匹の恢復1/わが家の中心がミャアと叫ぶ」
 
 四時、リビングでぼくと寝ていた花子がそわそわしはじめたのでゴハンを与える。六時、今度は寝室でカミサンと寝ていた麦次郎がミャアミャアと叫びはじめた。どうやらリビングでくつろぎたいからここを開けろと言ったいるらしい。言われた通り開けてしまったら花子と突然ご対面、そのまま二匹の関係により深い亀裂が入ってしまいかねない。花子をケージに誘導し、しばらくそこに入ってもらうことにした。いったん書斎にケージを移し、ドアをきっちり閉めてから麦次郎を寝室から出した。飛びだした麦次はそのままリビングでしばらくコロンコロンしていたが、そのうち朝陽を浴びるのにも飽きたか、箪笥の上に上ってそこでくつろぎはじめた。花子はミャアミャアと小声でしつこく鳴きつづけるので、カミサンが一生懸命あやしている。二匹とも逆上こそせぬもの、いつもより窮屈な場所にいつづけることを強制される生活にかなりのストレスを感じているようで、ニンゲンに対してあれやこれやと要求することが日に日に多くなってゆく。このストレスをいかにごまかしつづ、二匹のともすれば再加熱しかねない関係悪化を修復していくかが課題だ。ただし、二匹ともすこしずつではあるが、心の中は恢復しはじめている。必要なのは、時間だ。いったんこじれてしまった相手をすんなりと受け容れるのは、見知らぬ相手を友だちにするよりもはるかに難しい。これはニンゲンもドウブツもどうやらおなじようだ。繰り返すけれど、やはり必要なのは時間なのだ。
 
 九時、事務所へ。N不動産、E社、Q社など。猫たちが心配なので、申し訳ないが夕方のアポは翌日に延期してもらうことにして早々に帰宅。夜は猫たちの相手をしながら過ごす。花子は書斎でご機嫌そうにくつろいでいるが、ニンゲンの姿がなくなると不安になるらしく、いつまででも小声で鳴きつづける。麦次郎は大物の器とでもいうべきか、昼間はずっと箪笥のうえでグースカ眠りつづけ、今もリビングにゴロンと転がり、クッションを枕にして、こいつには似付かわしくない優雅な感じでくつろいでいる。が、やはりさみしさのスイッチがなにかの拍子にオンになると、花子の数倍でかい声でミャアミャアとやられるので少々辟易する。しばらくは猫中心の生活がつづくかもしれない。
 
 島尾敏雄『死の棘』。おふたりさん、とうとう借家から追いだされちゃった。
 阿部和重『シンセミア』。オヤジさん、とうとう土下座しちゃった。
 
 
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九月十五日(水)
「花子の逆上4」
 
 七時三十分起床。猫たちの様子は静かなもので、ふたつの部屋に隔離してはいるものの、花子も麦次郎も態度はいつもと変わらない。
 
 九時、事務所へ。E社ポスター、B社キャンペーン企画など。
 十九時過ぎ、帰宅。二十二時頃、落ち着きはらっている二匹をドア越しに対面させて様子を見ようとしたところ、花子が逆上。見境なくなり、あちこちに尿をまき散らしながらぼくの踵にガブリ。あわてて書斎に隔離する。これでまた振りだしに戻ってしまった。慎重に関係回復のプログラムを進めているつもりになっていても、猫の心は予想以上に傷が深く、こうした軽い判断ミスが、傷口に塩を塗る結果になってしまうのがなによりもつらい。
 夜、花子をなだめながら三十分かけてケージへ誘導。また激怒されたが、すこし冷却時間を置いたあとに根気よくなだめ、なんとか寝かしつけた。
 噛まれた踵が腫れはじめた。化膿しないように明日は病院に行っておこうかと思う。
 
 島尾敏雄『死の棘』ようやく読了。作品は夫婦ともども精神病院に入院するところで幕を閉じる。ラストにつづられた、主人公の心の揺れの微妙さは他に比するものがないほどに繊細でかつ曖昧、優柔不断だ。解説を書いている山本健吉は、この作品はその後恢復に至る夫婦の過程を描いたもので、作品中ではミホ夫人は神聖なる存在にまで高められているなどと書いているが、事実では恢復したことなど作品世界には関係ないし、読者にもまったく関係のないことだ。問題は、夫婦がどのように危うい関係を維持しつづけてきたか、それをどのように綴ったのかという点にのみある。その過程におけるミホは、恢復という事実を考えずに読み進めれば、決して山本が言うように美しくはなく、こわれものとしての人間のあやうさとはかなさ、そして不可思議で不条理な精神のエネルギーの大きさの象徴として描かれていると解釈するのがいちばんだろう。おなじあやうさ、はかなさ、エネルギーをもちあわせているはずなのだが、それがどこかでよどみ、くすぶり、くすむことで世界をどんどん曇らせてゆく主人公トシオの存在とは対比的であるが、根底は一緒なのだということを読み落としてはいけないだろう。夫婦は、家族は、そしてあらゆる人間関係は、かんたんに壊れてしまう微妙なバランスの上になりたっている。そして関係の修復・恢復は決して希望へは結びつかないのだ。希望をもつには、強くならなければならない。だがトシオとミホは、作品中では強さを得ることができなかった。だが、強さを得る過程がもしこのあとにつづいていたら、作品は一切の価値を失ってしまうだろう。ハッピーエンドは物語の死であり、想像力の死である。
 
 
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九月十六日(木)
「花子の逆上5」
 
 四時、花子にゴハンをせがまれ起床。まだ興奮しているようなので、獣医からもらった精神安定剤をゴハンに混ぜて与えてみるが効き目はあるのかないのかよくわからない。カミサンと一時間かけて花子をなだめる。
 朝になると、花子かなり落ち着いた模様。ひとまずケージにはいれっぱなしにすることに。
 
 九時、腫れている踵をびっこ引きながら病院へ。傷口の処置を改めてしてもらい、化膿止めを処方してもらう。医者に破傷風の予防接種はしているか、と聞かれ、ガキのころにしているはずだと答えると、心配だから予防接種しておこう、もし感染したら血清治療しかできないからたいへんなことになる、と勧められ、いわれるままに注射。筋肉注射は何年ぶりだろう。
 
 十時、事務所へ。B社企画など。十六時、大崎のE社でプレゼン。十九時、半蔵門のB社でプレゼン。L社の皆さんに飲みに行こうと誘われたが、猫たちが気になったし予防接種後では飲酒はまずいので丁重に断る。
 
 夜、花子はケージのなかですっかりリラックス状態。こうして日記を書いている今も――二十三時二十分ごろ――、ぼくのうしろでときおりフニャンとさみしそうな声は出すものの、じっと寝転がっている。ときどき指を出してほっぺたや頭をグリグリしてやると、気持ちよさそうに目を細めるところは逆上以前のときとおなじ。花子はやっぱり花子だ。逆上したからといって、ちがう猫になってしまったわけではない。
 
 夜、カミサンの友人の獣医であるH先生に相談したところ、一、二ヶ月くらいの長期計画で関係修復を試みるべきだとアドバイスのファクスが届いた。細かなケア方法を指示していただく。投薬の必要もあるということで、薬を郵送してもらうことにした。
 
 阿部和重『シンセミア』。すこしだけ。
『戦後短篇小説再発見4 漂流する家族』より、安岡章太郎「愛玩」を読む。読了。憎むべき貧困の象徴としての兎。そして知らず知らずのうちに芽生えた兎への愛着。それは外的存在への反抗・拒絶の意志と、家族の絆でもあったというお話でした。
 
 
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九月十七日(金)
「新・二匹の恢復1/PDAに悩む」
 
 花子の書斎生活は今月いっぱいつづける予定だ。木曜から書斎に設置したケージのなかで暮らしてもらっているが、今朝はかなりリラックスしているように思える。ケージは閉じこめられる怖い場所というイメージから、居心地のいい自分の部屋へと変わりつつあるのかもしれない。いずれにせよ、逆上しないようなので、自由さを感じてもらいながら人間との接点を多くするために、今晩にはケージから出してやる予定。ただし書斎からは出さない。
 麦次郎の生活の場所はリビングルームと和室。気づくと箪笥の上や押し入れの中でグースカ眠っているから、花子ほど気を遣う必要がないのが救いだ。抜歯のショックでしばらく心が不安定になるのではないかと心配したが、花子と隔離している限り暴れだすことはまったくない。夕方、カミサンが術後の経過を見てもらうために獣医のところへ連れていった。歯茎の恢復はあまり思わしくないようだが、心配するほどのことではない。腎臓のための療養食を与えたら、おいしいらしく興奮しながらがっついていた。
 
 七時起床。九時、事務所へ。終日、E社関連の作業に没頭する。午後、kaoriさん来訪。花子のケアのためのバッチフラワーレメディを処方してもらう。
 愛用するPDAの液晶保護シートが早くも寿命に。ソニーの純正品を使ったというのに、二ヶ月ももたなかった。スタイラスペンの跡が残ってガリガリになってしまい、入力しても誤反応、誤認識ばかりだ。イライラしたのでシートを剥がして捨ててしまった。今はむき出しの状態だが、新しいシートを調達する必要がある。以前購入して満足していたミヤビックスという会社の「Over Lay Brilliant」という商品が欲しいのだが、近ごろのPDA不人気で量販店では取り扱わなくなってしまったので仕方なくネット通販で探してみるが、商品が1,500円程度なのに対し、送料が850円。これじゃバカバカしいと思って他を探してみたら、「PocketGames」というお店の通販で、よく似た製品が送料無料で手に入る。早速注文してみた。到着まで液晶はむき出しの状態だが、ぼくの愛機CLIE PEG-NX73Vはウィングスタイルといって折畳み式のケータイのような形になっているので、畳んでおけば液晶がカバンの中で何かに当たって痛むという心配はない。だが、当面は取扱いに気をつけねば。
 もっとも、そろそろ保証期間が終わるので買い替えてもいいかな、なんて思っている。なんせNX73VはPDAとしては重い。必要なスペックを考えるとこの機種なのだが、重いとメモ中に手が疲れてしまう。ウイングスタイルは取り回しが意外に厄介という問題もある。以前はPHSのデータ通信カードを使って外出先でメールチェックする必要があったのでCF拡張スロットを搭載したマシンでないと困るという事情もあってこの機種にしていたのだが、最近は仕事のメールはすべてヤフーのWEBメールに自動転送し、ケータイからチェックするようにしているのでCF拡張スロットも必要なくなってしまった。そうなると、選択の余地はかなり広くなる。そろそろ登場するであろうCLIEのコンパクトタイプ――ひょっとすると、最後のCLIEになるかもと噂されている――の新機種を待つか、それとも海外だけで発売されているPalmOne社のマシンを購入して、無理やりニホン語が表示できるようにするか。後者の作業もけっこう楽しそうなんだけど、面倒くさいかなーという気持ちも少しだけある。それに、この悩んだり考えたりする過程も結構楽しんだよなあ。
 
 二十時、帰宅。噛まれた足が腫れているので、いつもなら十五分で帰れるところが三十分近くもかかってしまった。
 
 夜、花子をケージから出す。様子はほとんど変わらない。窓辺でじっと外を見たり、ときどき思いだしたようにニンゲンのほうへ寄ってきて、徹底的に甘えてみたりを繰り返している。
 
 
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九月十八日(土)
「新・二匹の恢復2/書斎で、床の上」
 
 五時、書斎に隔離中の花子がフニャンフニャンといつもの情けない声で鳴きはじめたので起き上がってゴハンを与える。すぐにベッドに戻ったが腹いっぱいになってもまだ鳴きやむ様子がないようなので、書斎で寝てやることにする。ニンゲンがいっしょにいることは安心感につながるのか、わがままを聞いてもらえるという満足感につながるのかはわからないが、とにかくすぐに花子が鳴きやみ落ち着いてまた寝はじめてくれたのは確かだ。書斎の固い床の上で座布団を敷いてタオルケットだけかぶって寝るのは苦痛だが、落ち着く花子といっしょにいるのは苦にならない。麦次郎はカミサンにまかせっきりだ。花子が騒いでいても我関せずなのか、カミサンといっしょにグースカと眠りつづけている。
 
 九時起床。掃除にはとても気を遣う。掃除機の音や存在自体に、まだ不安定な部分が残る猫たちが突然おびえ出す可能性があるからだ。慎重に、そしていつもより丁寧に掃除機を動かした。掃除機のあとは、花子が尿をもらした部屋を再度拭きなおす。完全に拭き取ったはずなのにまだそこはかとなく臭いが、やはり拭き漏れがあったのだろう、もう一度拭き直すと雑巾に臭いが移っているのがすぐわかる。
 
 午後は西荻窪の整骨院でマッサージを受ける。毎晩の日課にしているストレッチの効果が出はじめているのか、最近は担当してくれる人がみな口を揃えたように「以前に比べて指がすっと入るようになった」といってくれる。明け方からの床での雑魚寝は腰痛や肩凝りには絶対によくないはずなのだが、それ以上にストレッチが効いている、ということか。
 夕方、カミサンと合流してパン屋「アンセン」、西友、生協などで買い物してから帰る。
 
 夕方、花子をあやしながら読書していたらうっかり眠ってしまった。また書斎で、床の上。
 
 夕方、麦次郎がきょろきょろしながらベランダやらリビングやらを見回してはナンナンと鳴きつづけている。どうやら花子のことを突然思い出し、どこにいるのか探しているらしい。これこそ関係修復の萌芽であると信じたい。もっとも麦め、しばらくすると諦めたのか忘れたのか、またマイペースに眠りだしてしまったのだが。
 
 夕食は安くなっていたラム肉をステーキにしてみた。牛肉より火が通りにくい。羊肉はうまいのだが、そこはかとなく香るあの独特の臭みがどうしても好きになれない。あれは脂肪の臭いだろうか。だからラムは好きだがマトンはだめだ。
 
 夜も基本的に書斎で過ごす。ストレッチしながら一風堂/土屋昌巳『ベリーベスト』、そして日記を書きながら坂本龍一『未来派野郎』と、中高生のときに大好きだった音楽を聞きまくってみる。以前は文章を書きながら音楽を、特にボーカル曲を流すのはどうも苦手だったのだが、最近はわりと平気になってしまった。どうしてだろう。でも読書しながらの音楽はやはり相変わらずダメだ。脳味噌がマルチタスクに出来てないんだろうな。Windowsで言えば、95以下っていうことだな。
 
 阿部和重『シンセミア』。物語は佳境へ。愛車を不良中学生に破壊され、少女淫行が発覚しそうになった警官、裏切った仲間を拉致する盗撮サークルの面々、そして盗撮サークルへの復讐に乗りだすパン屋。
 
 
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九月十九日(日)
「新・二匹の恢復3/タラコか干物か」
 
 花子のことが気になって目が覚める。外がうすら明るいので五時くらいだろうかと見当をつけたが、時計はすでに七時三十分を指している。平日だったら起きる時間だ。知らず知らずのうちに平日モードに入っていたのか、それともいつもなら四時五時にいったん起きているわけだから、二、三時間感覚がずれていたのか。疲れているのはたしかだから、おそらく後者なのだろうななどとぼんやり考えながらゴハンを与え、例によって雑魚寝の添い寝。
 
 九時三十分、ちゃんと起床。テレビでは「サンデージャポン」でチェッカーズの不仲問題を取り上げていたが、そっちはニンゲン同士なのだからほったらかしていてもちゃんと元の鞘に収まるのではないか、わが家は猫同士の問題だ、コイツはニンゲンが上手に介入してあげないと元の鞘には収まらない。仲裁人というか、交渉人というか、仲人というか。
 
 昼間は花子といっしょに書斎で読書して過ごす。もっとも花子は本など読まない。もっぱら窓際で外を眺めているか、クローゼットの中で昼寝である。麦次郎は押し入れに篭ったまま出てこない。が、突然出てきてはカミサンに異様なテンションで甘えるのだという。家にいるときはぼくが花子係、カミサンが麦係だから麦次の様子はぼくには細かにはわからない。
 
 荻窪の西友、ルミネで買い物してから帰宅。麦次郎はリビングで、発泡スチロールのお皿に載せられラップされた生タラコみたいにデロンと腹を出して横になっている。喧嘩以来、というか退院以降、昨日まではこんなポーズをすることはなかった。かなりリラックスできていることの証拠だと思うとカミサン。確かにそうかもしれぬ。昨日の麦次の寝姿は、今日よりはるかにちぢこまって見えた。生タラコというよりは、なにかの干物だ。
 
 夕食はキーマカレー。フレッシュトマトをふんだんに入れてみた。ナン、そしてレタスにくるんで食べる。ナンで食べると塩気はちょうどよい塩梅なのだが、レタスで食べるとちとしょっぱかった。
 
 阿部和重『シンセミア』読了。救われない物語だったなあ。阿部作品独特の、不透明な未来にほんの少しだけ希望を抱きながら進みかけるような暗示を見せるラストを期待していたが……。
 古井由吉『野川』を読みはじめる。『群像』では「青い眼薬」というタイトルで連載していた作品。書きだし、地味なんだけどしみじみとしていてうまいんだよなあ。
 
 
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九月二十日(月)
「新・二匹の恢復3」
 
 四時三十分、またまた花子に起こされる。もっとも、今までのように前歯の先っちょでチョイと噛まれて飛び起きているわけではない。寝るときは花子は書斎、ぼくはその隣にある寝室だから、起こされるときはもっぱら鳴き声だ。隔離生活以来、ずっと鳴き声によって起こされているが、今朝は明らかに声のトーンが変わっていたので驚く。ずっと「さみしいよー」と訴えているような細い声で断続的に鳴いていたのが、今朝は明らかに「おなかすいた、はやくゴハンちょーだい」といっているように聞こえるのだ。鳴き声の芯が太くなったというか、力がこもるようになったというか。隔離という環境にならされてしまったといえばそれまでだが、できればこの変化はおびえ、落ち込んでいた花子の精神がかつての勝ち気な女王様気質に戻りつつあることの現れであると信じたい。
 
 九時、事務所へ。敬老の日だが休日出勤。E社企画など。十八時、店じまい。
「ポケットゲームズ」に注文していたPDAの液晶保護シートが届く。思った通りの高品質で、大満足だ。
 
 夜はのんびりと駄文を書いたりして過ごす。花子も麦次ものんびりしている。
 麦次、ちょっと兆発したら調子に乗ってぼくのあぐらをかいた膝の上にドカリと乗っかってきた。コイツもいつもの元気を取り戻しつつある。
 
 古井由吉『野川』。うまいなあ。うまいなあ。うまいなあ。
 
 
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九月二十一日(火)
「新・二匹の恢復3――順応」
 
 四時、また花子の鳴き声だ。起き上がり、キッチンでゴハンを用意してから書斎へ向かう。kaoriさん特製のバッチフラワーレメディを四滴ほどたらしてから与える。以前と比べると、ややゴハンを与えるまでの手順が増えたくらいだというのに、この流れに慣れるまでに随分時間がかかっているような気がする。ニンゲンはようやく慣れてきた。当事者である猫のほうは、この生活にとっくに慣れているようだ。落ち着いているときはグースカと眠る。眠ることに飽きれば起きて、部屋に転がったおもちゃで一人遊びをする。退屈になればニンゲンを呼ぶ。さみしくなればニンゲンを呼ぶ。本能に忠実であれば、異なる環境にもすぐに順応できるということか。そんなことを考えながら、寝室からこちらに寝場所を移した。
 
 七時起床。どうやら今日も真夏日である。地球温暖化対策に本気で乗りださなければ、東京は間違いなく熱帯になる。半袖の服が好きでないぼくには、これは相当過酷である。がなんとかなるまでは耐えなければならないし、なんとかする努力もできる範囲でしなければならない。
 午後、大崎のE社で打ちあわせ。五反田のL社分室によってから帰社。電車の中で腰痛に襲われた。おかしな表現だが、激しくうずいているのである。腰の筋肉が半分ほど浮いている。腰椎が所在なさそうにフラフラしているのが、つり革につかまる手に伝わってくる。事務所に戻る前に整骨院でマッサージを受けた。四百五十円。
 
 二十時帰宅。花子はコロコロと転がってばかりだ。だが目玉はしっかり開かれているから、たんに退屈なのだろう。麦次郎は相変わらずマイペースで、箪笥の上や段ボール箱の中で眠りこけている。
 獣医のH先生から花子のための薬が届く。
 
 久生十蘭「母子像」読了。戦後の倫理観が崩壊した社会を生きる親子の奇怪な関係。死に急ぐ若者。暴力的な衝動は、すべて自分自身へと向かってゆく。
 幸田文「雛」を読みはじめる。戦前のお雛さまへの母のこだわり、ってところだろうか。まだよくわからん。
 
 
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九月二十二日(水)
「新・二匹の恢復4」
 
 夕べは一時ごろ床についたが、二時には花子がさみしいのだかつまらないのだか大騒ぎしはじめたので、結局書斎でいっしょに雑魚寝。隔離生活前は、夜中になるとねこじゃらしを口にくわえながらフーンフーンとなにかをおねだりするような声をたて、廊下をはしりまわったりすることが多かった。夕べの騒ぎも、おなじようなものだろう。
 
 七時起床。八時三十分、事務所へ。スパムメールが増える一方なので、Windowsマシンにファイアウォールソフトとスパイウェア駆除ソフトを入れてみた。海外のサイトを見たときや、うっかり海外アダルト系スパムメールのリンクをクリックしたときにポップアップ広告地獄に陥ったりしたことがあるが、そのときに個人情報が流出したり、おかしなソフトを一方的にインストールされてしまったおそれもある。
 E社企画など。二十時、店じまい。
 
 夜も猫たちはいつもどおりといったところか。やや麦次郎が花子の存在を気にし始めていること、それがイライラ感を伴っているようにも思えることが少々気になる。カミサンがH先生に相談したところ、以前大げんかしたときに活用した猫がリラックスできるホルモンだかなんだかが入って入る「フェリウェイ」というスプレーを再活用を勧められる。大量に必要になるかもしれない、というので「楽天市場」で安いものを購入した。
 麦、床にあぐらをかいてダカダカダンと腿を叩きながら「ホイ!」と掛け声をかけると、大急ぎで走ってくるようになった。これを、リラックスしているからと考えるべきか、それとも遊び相手がいなくてストレスがたまっていると考えるべきか。
 
 古井由吉『野川』。今日は少しだけ。
 
 
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九月二十三日(木)
「新・二匹の恢復5」
 
 今朝も例によって四時に花子ゴハン、そのあと一緒に書斎で寝る。
 
 八時三十分起床。気づけば花子は枕元でぼくのことをじっと見ていた。いつ起きるかと待っていたような表情だ。ちょっと肌寒いかな、などと思いつつゆっくり身体をもちあげると、たちまちゴロゴロと喉をならしはじめた。
 
 午前中は書斎で花子をあやしながら過ごす。秋分の日だけあって暑さはさすがにやわらいできた。だが薄曇りの空を眺める限りでは秋の気配などまるで感じられない。あるのはただ、無個性な、季節という言葉を拒否しているかのような表情の天気だ。涼しくなったせいか、麦次郎は箪笥の上で眠ったままだ。夏のうちは、高いところは熱がこもって暑かったらしい。
 午後は整骨院でマッサージを受ける。kaoriさんが夫婦で来ていた。
 荻窪のルミネ、西友などに寄ってから帰宅。晩ゴハンは酢豚をつくった。豚細切れを片栗粉でギュッと固めてから揚げて作ると肉の内側にとろみが入り込んで、不思議な食感になる。
 
 古井由吉『野川』。テーマである「老い」は、少しずつ作品に顔を出しはじめる。病を患い入院していた友人との久々の再会。体力的に働くことができなくなり、毎日を自宅でのんびり過ごすようになった友と、主人公は蕎麦屋でゆったりと昼食を楽しみながら、お互いに歳をとったことを確認しあう。互いが入院するごとに見舞いをしあう仲となった二人。「お互いにその時その時の年齢を確かめに来ていたのではないかしら」と問い掛ける主人公に友人はこう答える。ちょっと引用。
   □ □ □
 ――そうだったかもしれない。自分の年は、この際になっても、ほんとうのところ自分ではわからない。年も自分のものでなくて、その場その場、人と人との間のことらしい。時価ってやつか。しかしたまに会ったどうしは、その時価もつかない。われわれは、何年ぶりに会っても、なにか、すっと店へ入って来るな。幽霊みたいなことを言うようだけれど。初めのうちこそ話していても、途中からそれぞれ平気で黙り込むじゃないか。人と人の間の、その外のことだったかもしれないよ。
 
 
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九月二十四日(金)
「新・二匹の恢復6」
 
 七時起床。正直いって今自分は油断している。落ち着き払った、まるで怒ったり警戒したりおびえたりする様子を見せぬ二匹の猫たちの様子を見ると、もうこの子たちは大丈夫、いつ引きあわせても問題あるまいなどとついつい考えてしまう。だが油断大敵とはよくいったもので、その気の緩みが時折行動にでるのが困りものだ。ドアを開けるとき、部屋で急に立ち上がったり坐ったり椅子を引いたりするとき、足元に猫がいるのに気づかない。迂闊すぎるとカミサンには再三再四怒られるが、ついついやってしまうのだから質が悪い。
だが、その迂闊さにのって「明日あたりに二匹を会わせてみよう」などとはまったく考えないから不思議なのだが、おそらくこれはH先生の指導を忠実に守ろうという心が迂闊さに勝っているからと、猫を別々にする暮らしにぼくが慣れてきたからだろう。こんな生活には、慣れないほうが幸せなのだと思う。
 
 九時、事務所へ。E社企画に取り掛かりきり。電話もほとんど鳴らず、打ち合わせの予定もない。集中はできるが、集中しすぎるとそれが身体へのしわ寄せとなる。肩が凝る。腰痛がしてくる。一時間から九十分に一度は席を立って軽くストレッチするのだが、筋肉を伸ばしている間も頭の中はE社の企画のことでいっぱいだから、おそらくしっかり伸ばされてはいないのだろう、だからまるで効き目がない。二十時、なんとか作業終了。身体がガチガチになってしまった。
 
 焼き鳥でも食べて帰ろうかと思ったが、給料日のせいかひどい混雑。生協でお総菜を買って帰ったら、カミサンはそれがひどいストレスになったようだ。ぼくはわりとへっちゃらである。食べることは楽しみなのだが、その楽しみをいさぎよく諦めることには、昔から慣らされているようなのだ。
 
 古井由吉『野川』。友人の死から、記憶は少しずつ戦中の子供時代へと帰って行く。老体の悲しい観察力が、幼い自分と、自分を取り巻く大人たちの戸惑いや欲望に、静かに、やわらかくつきささってゆく。
 
 
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九月二十五日(土)
「新・二匹の恢復7」
 
 八時、花子がうろつく気配で目が覚めるが、身体を起こそうとしてもなぜか動かない。寝返りをうつのもままならないほどに背中が張っている。肩から腰にかけてがすべてベニヤ板にでもなってしまったかのよ感覚。無理に身体の向きを変えてみる。と、なんだか板をパタンと裏返しにでもしたかのようである。そのままふたたびうとうとしてしまい、目が覚めたら九時を大きくまわっていた。仕方ない、とゆっくり身体を起こす。背中のベニヤは薄いプラスチックくらいにはやわらかくなったようで、なんとか起き上がることができた。
 
 午前中は掃除。花子が一日中過ごしている書斎は、花子の体毛でほこりっぽくなってしまった。空気清浄機のフィルターにびっしりと猫の毛がからまっている。あちこち雑巾掛けをして、徹底的に取ってみる。それだけで部屋が明るくなったように見えるから不思議である。
 
 午後、事務所へ。E社企画をフィニッシュし、納品。それからはパソコンのデータメンテナンスなど。カミサンは展覧会の準備で忙しいようだが、パソコンのトラブルなどで作業は遅々として進まない。ハードディスクを初期化して中身を一度キレイにしてあげないといけないほどに、マシンは不安定になっている。明日にでも、やってあげなきゃ。
 
 夜はkaoriさん夫妻と合流し、「えんず」で飲む。締めに揚げパンを食べた。シナモンとココアが利いている。
 
 夜は久々にデヴィッド・シルヴィアンの「Everything and Nothing」を聴く。やはり新作よりも旧作のほうが好きだなあ。彼の最高傑作は間違いなく91年の「Rain Tree Crow」である。
 最近また音楽をちょこちょこと聴きはじめたのは、猫隔離による生活スタイルの変化のせいだろうか。花子とふたりきりで書斎で過ごす時間が増えた。本を読まない時間はCDを再生している時間が多い。
 
 古井由吉『野川』。三月十日の東京大空襲の記憶。
 
 
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九月二十六日(日)
「新・二匹の恢復8」
 
 肌寒さにふと目が覚め、この冷え具合はまだ陽も昇らぬからなのだろうと思いながら時計を見ると七時半を指していて、これではいつも起きる時間と変わりないぞと外を見ると、夕べの雨が尾を引いているのか厚い雲が陽を遮って不自然なほどに薄暗い。花子はどうやらゴハンをじっと待ち続けていたようで、真黒な瞳から伸びる視線が痛く感じる。缶詰めを与えた後に二度寝を決め込んだが、十時になってもまだ陽は射さず、部屋は相変わらず暗いままだ。蛍光灯のスイッチを入れ、カーテンを開け放ってからトイレに向かった。
 
 術後の経過を見てもらうために麦次郎を病院に連れていかなければいけないのだが、自動車をもたないぼくら夫婦には、空模様が悪い日に動物病院に行くよい方法がない。麦次郎をキャリーバッグに押し込み、傘を差しながらバッグに雨が入らぬよう気を配りつつ、歩いて十分の病院に向かうのは、自分たちはもとより麦次郎が難儀だ。カミサンと話しあい、今日の通院は見送ることにする。
 
 午後より事務所へ。カミサンはふたり展の準備。ぼくは絶不調に陥ったカミサン愛用のPowerMacintosh G4 Cubeのハードディスクを初期化し、OSとソフト一式を黙々と再インストールする。
「Rhiddim」で昼食。エスニック風の豚肉丼。「がちまい家」でクッキーを大量に買い込み、ふたり展会場の「かりんとう」でDMのカンプを受け取ってから事務所に戻る。飯を食っても半袖いっちょでは肌寒い。霧雨が曖昧に降りつづけているが、暑くはないので鬱陶しさは感じない。
 二十時、店じまい。
 
 帰宅後、花子は書斎を覗き込むたびにひどく甘えてくる。これが麦次郎もまったくおなじ態度なので不思議に思えてしまう。昼間にひとりでいるというのはかなりさみしいものらしい。一緒にいれば楽しいというよりも、心細くならないという思いのほうが強いのだろうか。もっとも、そんな関係のほうが根は強固なものなのかもしれない。
 
 古井由吉『野川』。歩く後ろ姿に見える記憶、背中からにじみ出る老いという事実。後ろ姿/背中に思いを馳せている主人公が、自宅の仕事場に置いた貰い物の馬の埴輪に話しかけるシーン、気に入ってしまった。引用。
   □ □ □
 お前には後姿というものがないな、と夜更けに埴輪の馬をからかった。机の隅の円い空缶の上に客となってからもう半年に近くなる。梅雨時に入り、窓の外では昼から続いて降っていた。無理もない、土を節約して、鞍の背の後からいきなり、後肢をまっすぐ切り落としているからな、尻尾もつけなかった、しかし後姿など本人の知ったことか、と取りなした。それにしても、馬にとっては、後姿とは
背ではなくて尻になるわけだが、お前のように振り向けないとなると、どんな生き心地になる、背後は無しか、とたずねて一人で噴き出した。もっぱら前を向いて立つそのすぐ鼻先から天地がひろがり、永遠の相をあらわし、振り返りもせぬ背後も前方とひとつに合わさり、ここに立つ今が消えかかり、わずかに露を払う頭の働きとなって思い出される。そんな境に羨望を覚えた。 
 
 
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九月二十七日(月)
「新・二匹の恢復9」
 
 七時三十分起床。肌寒い朝。もう真夏日はやって来ないだろうという確信をようやく得ることができたほどの涼しさだが、それゆえに花子も朝にはベタベタとくっついてぼくの身体から暖を取るというほどでもないが、ぬくもりを欲したりするのではないかなどと考えていたが、実際は拍子抜けするほどにクールなもので、鳴き声ひとつ立てず、キャリーバッグの中で円くなっている。寝ているのかと思って覗き込めば、大きく目を開いて、なにか用かしらとでもいわんばかりの表情でこちらを見上げる様は、ませた幼稚園児のようにも見える。
 一方、麦次郎は甘えん坊の駄々っ子で、朝からカミサンの姿が見えなくなるたびに大騒ぎをしている。日に日に鳴き声が大きくなっているようだが、緊張感のゆるみがそうさせているのか、それとも一匹でいるゆえに態度がどんどんでかくなっているのか。
 
 九時、事務所へ。事務処理、N不動産など。二十一時、店じまい。
 
 夕食は焼鳥屋「炭屋五兵衛」で。食べている最中、カミサンが肩の凝りをしきりにうったえはじめた。ぼくも妙に背中に張りと凝りを感じ、三十分ほどで店を出たが、どうやらこれは化学調味料の副作用らしい。以前から、ふたりとも大量に化学調味料を摂ると急に倦怠感を感じたりしばらく味覚が麻痺したり吐き気がしたりすることがあった。はじめてこの店に来たときは、味に満足はしたものの、確かにカミサンは具合悪くなった。もう二度と行かないことにする。
 
 古井由吉『野川』。後ろ姿と歩き方。
 
 
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九月二十八日(火)
「新・二匹の恢復10」
 
 七時四十分起床。おかしいんじゃないか、というくらいに花子も麦次郎も落ち着いている。いや、安定しているといったほうが適当か。などと書いてみたら横で花子が「外に出たい」と騒ぎはじめた。だがこれもいたって普通のわがままだ。H先生との相談次第だが、来週あたりから、引き合わせの段階に移行すべきかもしれない。
 
 九時、事務所へ。N不動産、事務処理など。昨日から閑を見ては不要な資料を捨てているのだが、いったいどこに入っていたのかと訝りたくなるほどの大量さに辟易するが、捨てても机まわりの見た目があまり変わらないのはどういうわけか。よくよく考えるに、足元や引き出しの中にソイツらは押し込まれていたわけだから、普段はほとんど目につかなかったというわけだ。それを捨てた。捨てる行為自体は楽しいが、中にはCDのプラケースなど、まだ使おうと思えば使えるものもかなり含まれているのが心苦しい。
 
 二十一時、帰宅。いつもどおりの平凡な夜。
 
 古井由吉『野川』。子規の病中の句、失業者を見る目、そしてその目を病んでしまった主人公。
 
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九月二十九日(水)
「新・二匹の恢復11」
 
 明け方に起こされない日がつづいている。夜、明かりを消すと人恋しそうに鳴きつづけていたためにわざわざ座布団を敷布団がわりに書斎で一緒に寝てあげていたというのに、もうその必要はないどころか、今まで毎日繰り返していた夜明け前の「ゴハンちょーだい」まで言わなくなってしまった。すっかり落ち着いたという状況は麦次郎との関係修復の面から考えればうれしいかぎりだが、その分ニンゲンとの関係もクールになってしまうのは正直悲しい。目を覚ますとたいてい花子はキャリーバッグの中で眠っているか、起きていても目を大きく開けてどこか一点をじっと見ているようである。ニンゲンを呼ぼうという心はまるでないらしく、話しかけても反応は鈍い。もちろん無視されているわけではないが、いってみればこちらのオハヨウという挨拶を、大人物に「ああ、キミか。オハヨウ」と軽くあしらわれ、さっと通りすぎていった後の気恥ずかしさにも似た感覚がある。だが、ちょっと頭や首を撫でてやれば態度は急変する。甘えはじめ、喉をならし、恍惚の表情でこちらをそっと見返す。だが平日の朝である。あいにくこれから仕事がある。いつまでも猫をいじっているわけにはいかない。ゴメンな、と謝りながら部屋を出るのだが、見送る花子の視線には、ニンゲンを訝るような光も、もっとずっといっしょにいてくれといったわがままな心も感じられない。
 
 九時、整骨院へ。十時、事務所へ。E社フリーペーパーなど。午後より雨が降りはじめる。
 十四時三十分、五反田のL社で打ちあわせ。なんだか頭がうまく回転しない。発言もどこかでよどみ、くすぶっている感じだ。座布団の固い寝床がつづいて、腰、背中から頭へとつかれが伝わり広がっているのか。
 十七時、新宿へ。「紀伊国屋書店」で仕事関係の資料を二冊。「ビックカメラ」でIEEE1394ケーブルを一本。ついでにDVD売り場で「新ゲッターロボ」第三巻を購入し、帰社する。
 戻ったらカミサンがマスクをしている。聞けば鼻水が止まらなくなったという。季節の変わり目の風邪だろうか。二十時、店じまい。
 
 夜、「ゲッター」を観る。スケジュールがないのか予算がないのか、今回の作画はぐっちゃんぐっちゃんであるが、ストーリーの展開はなかなか。ブラックホールのような亜空間のような穴へと逃げ込む鬼を追ったゲッターは、平安時代へとタイムスリップしてしまう。しかしそこは史実にはないはずの、鬼が棲む「黒平安京」が人々を支配していた。ゲッターが巨大な鬼と格闘するシーンなんかおもしろくもなんともなく、それよりも鬼と素手で戦っているシーンや、源頼光や渡辺綱と駆け引きをするシーンのほうが数百倍も魅かれるのはどういうわけか。
 
 古井由吉『野川』。中年の「疲れ」について。世の中全体が疲れている時代の、疲れの象徴としての四十代、五十代。
  
 
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九月三十日(木)
「新・二匹の恢復12」
 
 蒲団が変わるくらいでこうまで体調が変わるものかと不思議になる。ベッドではなく花子と書斎の床に座布団を引いて眠りはじめて十日は経っただろうか。肩、というよりも背中の凝りは尋常ではなく、板に打ち付けられたようなつらさで集中することもできない。しかしストレッチをしてみれば他の同世代の男たちよりは身体がはるかに柔軟なのだから不思議だ。花子の精神状態も落ち着いていることだし今晩あたりからまたベッドで寝ようかと考えていたら、どういうわけか今夜の花子の様子が少々そわそわしていて落ち着かない。帰宅直後は早く書斎に来い、一緒にいてくれとでもいっているような声で延々と鳴き散らしている。仕方なく書斎に来ればたちまち鳴きやみ、別に用なんかなかったんだけどねといわんばかりの表情で、キャリーバッグの中に引き込んでしまう。おちょくられているのはまちがいないが、いつものマイペースな気まぐれさが着実に戻ってきているのを感じる一方で、やはり目を離した夜の落ち着かぬ様子を想像すると、どうにもこうにもいられなくなる。寝室のベッドで寝ることよりも、書斎で快適に寝られることを考え実践したほうがよさそうだ。
 
 七時三十分起床。少々喉が痛むので風邪薬を飲んでから事務所に向かったが、妙に効きすぎてアイデアを出しながら眠ってしまった。昼食をとったらもうダメ、目を開けつづけることすらできず、三十分ほど眠ってしまった。眠れば今度は断絶された思考の網をもとにもどすのに異様に手間取る。忙しいわけではないので焦りはないが、要領の悪さにはわれながら腹が立たないわけでもない。E社パンフレットなど。
 カミサンも鼻風邪。今日は一日寝ることにしたらしい。
 T社のNさんから半年ぶりに電話。前回、金額交渉がうまくいかなかったからもう一緒に仕事することもないだろうと思っていたのに、意外である。
 
 ヤフオクで落札したEPWING形式の『広辞苑CD-ROM』が到着する。『新字源』『研究社英和和英中辞典』もついている。早速Windowsにインストールしてみる。快適に動く。ちょっとデータ形式を加工してから愛用のPDA、CLIEにもインストールしてみた。少々重く、メモリも喰うが便利である。広辞苑を持ち歩ける、しかも専用の電子辞書を買わなくて済むとは。便利なもんだ。文章書きのメインマシンであるMacでは、なぜか動作しなかった。まあ、仕方ないだろう。
 
 二十時、帰宅。帰りがけに「わしや」でお総菜を買うが、うっかり財布を事務所に忘れてしまい慌てて取りに戻る。
 
 帰るとカミサンは復活していた。花子はうるさい。麦次は箱の中に詰まって寝ている。
 
 古井由吉『野川』。夏の騒音。音の響き、その源をさぐろうとするだけで、ニンゲンは容易に狂気に陥る。
 
  
 


 
 
 
 
 


 
 


 
 


  
 





《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。早く涼しくなれ。でないと、せっかく買った秋物が着れない。

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