「蹴猫的日常」編
文・五十畑 裕詞
二〇〇五年四月
 
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四月一日(金)
「開花」
 
 エイプリルフール。だが、誰からも嘘はつかれなかった。桜がほころびかけている。桜は嘘をつかないし、だまされもしない。正直に、咲くべきときが来るのを待つ。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。
 十一時、小石川のL社にて打ち合わせ
 
 二十一時、店じまい。夕食はカップスープだけ。軽く済ませた。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
  
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四月二日(土)
「再発」
 
 花子、ふたたび怒りにとらわれてしまった。朝のこと。カミサンがキッチンで花子の足を踏みそうになってしまい、あわてていたところでぼくがシャツを着ようと広げた瞬間だ。怒りだした。おそらく、足を踏まれそうになったところで恐怖のスイッチが入りかけ、広げられた服を見て、以前に暴れ狂ったときに毛布でくるまれ捕獲された記憶がよみがえり、不安が最高潮になったのだと思う。
 
 終日様子を見る。夜、さほど落ち着いていないようなのだが無理矢理いっしょの部屋で寝ることにした。
 
 
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四月三日(日)
「受容」
 
 七時起床。気づけば花子が胸の上にいる。もう大丈夫だと判断し、カミサンに報告したらまた怒りだした。なにがなんだかさっぱりわからん、とも思ったが、よくよく考えるにやはり原因はニンゲンとの接し方、そして過去のトラウマにあるのは間違いない。
 花子のトラウマとはいったいなにか。思い返す。すると、花子にとってぼくらと生活することは、喜びの連続である反面、痛いことや怖いこと、不安の連続でもあったことに気づく。交配と出産は、産む意志のなかった花子にとって苦痛ではなかったか。遠方の旅行に連れ出したことは、辛い思いをさせられているだけと感じ取りはしなかったか。自宅のリフォームの作業音や業者の出入りは、恐怖の連続ではなかったか。友人を招いての宴会は、迷惑で不快なことではなかったか。そう思うと、なんとかしてやりたい気持ちでいっぱいになる。だが、言葉で語って花子のトラウマや不安、怒りを解消することはできない。ならば、どうすればいいか。残された方法はひとつだけだ。精一杯の愛情を注いでやること。花子のつらさを、受け入れてやることだ。ぼくらがそれを理解し受け入れることができれば、花子も自分のトラウマを受け入れることができるはずだ。トラウマとは、消し去れば解決というものではない。向き合い、理解し、乗り越え、そしてトラウマを抱いていた過去の自分の悲しさを受け入れることではじめて解決できるものなのだ。
 
 天気がよい。桜もほころびはじめたので、カミサンと気分転換に散歩することに。善福寺公園のほうまで歩いた。桜はまだ咲いている木を見つけるほうがたいへんなくらいで、開いたほんのり染まったづいた花の色も、蕾の濃く凝縮された重たい色とずっしりとした形に圧倒されてしまっている。だが、そんな様子をじっと観察するのもいいもんだ。「ムッシュ・ソレイユ」で買ったパンを食べ、すこしだけ善福寺池のほとりでバンやカルガモやカイツブリやカワウが遊ぶ姿や、ヒヨドリやコゲラやオナガが飛び交う姿を楽しんでから帰宅した。
 
 花子、くわしくはちょっと書けないが、猫ヶ島のしまちゃんがいうところの「魔女」的な技術でのヒーリングを何種類か試みてみた。効果覿面である。もちろん、それ以上にぼくらが愛情を注いだことが大きいのだと思う。
 
 夜は花子をケージに入れ、その横に寝袋を使って一緒に寝た。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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四月四日(月)
「辞痛」
 
 五時起床。昨日のすがすがし晴れた空は一晩で雨雲に追いやられてしまった。冷たい雨が降りしきる中、さみしそうに鳴く花子との別れのつらさをかみしめながら事務所に向かう。
 
 E社カタログを黙々と。腰が痛くなってきた。よくない傾向だと思うので、自己暗示をかけることにした。「今日でわたしは腰痛持ちをやめた。ついでに肩こりもやめた。もし感じたら、それは全部気のせいだ」。
 
 夜、「セブンアンドワイ」で本を何冊か注文する。全部、今年の秋以降の計画のためのもの。あるいは、この春からはじめる計画のためのもの。変革ははじまっている。あとは目覚めるだけなのだ。目が開きかかっている感覚はある。あるいは、目覚めていることに今ひとつ気づいていないのか、まだ寝ぼけているのか。
 
 二十一時、帰宅。また花子に「魔女」的な処方を試みる。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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四月五日(火)
「無粋」
 
 六時起床。花子は落ち着いているようだが、ぼくの腰はあまり落ち着いていない。変だ。腰痛持ちは昨日でやめたはずなのに。これはなにかの間違いだ、と思いこむことにする。
 こんな自己暗示をかける気になったのも、腰痛の原因が単なる「長時間座りっぱなし」にあることがわかっているからだ。まめに立ち上がり、散歩でもすれば必ずよくなる。しかし、わかっているのになかなか実行できないことは案外多い。自己暗示は、この「なかなか実行できないこと」を実行するための契機でもある。
 
 七時、事務所へ。E社ウェブサイト、E社カタログなど。
 十一時、小石川のL社へ。Lさんから桜並木の開花の様子を尋ねられた。ふつうなら「二部咲きってところですか」などと答えるものなのだろうが、言葉を道具とする職業につく者としては、この数字に依存した表現は無粋すぎてどうしても使う気になれず、したがって花のほころび方を口頭で描写して伝えることになる。
「枝先はかなり開いていますが、まだうっすらピンク色をした花びらが、咲いていない蕾の赤黒い色に負けちゃっているって感じですね。並木を遠めに見ると、花がつづいているというよりも、赤黒い蕾がつづいているという感じです」 
 こんな説明の仕方をすると、不思議なものでその場にいた者全員が、二部咲きだ五分咲きだと数字で花を表現しようとしなくなる。心の底では、その無粋さにみな気づいているのだ。
 
 昼飯のパン、ちょっと食べ過ぎた。
 
 二十時、帰宅。猫ヶ島のしまちゃんから郵便物が届いていた。お願いしていた例のブツである。ありがたいなあ。夜、お礼のメールを出す。ついでに近況報告。
 
『スピリチュアル・グロース』。
  
 
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四月六日(水)
「妖淡」

 初夏の暖かさに日本全体が覆われたようだ。蕾でいつづけることにじれたのか、桜も慌てて花開きはじめたようである。一枚一枚の花びら、その色は淡く、そこに赤み、いわゆる桜色を感じ取るのは難しい。だが、桜の咲く姿には高貴な重厚感がある。すべての蕾が開いたときに、樹木全体を覆うように光るあの不思議な色彩、淡いのだが目に飛び込み、心を掴んではなさぬ重厚感。その妖しさが桜の魅力なのかもしれない。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。E社カタログ、N社PR誌、N社チラシなど。気晴らしに、しまちゃんに送ってもらった例のブツをコピーし、ファイルする。
 二十時、店じまい。
 
 夕食はシュウマイ。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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四月七日(木)
「春霞」
 
 六時、起床。七時、事務所へ。事務所までの道すがらにみる桜。蕾を見つける方がむずかしくなってきた。桜の花が春の霞んだ空を覆う。いや、桜の花びらが春の空を霞ませるのかもしれない。
 
 夕方、カイロプラクティックへ。そのままカミサンと吉祥寺ロンロンの総菜店で夕食を買ってから事務所に戻る。
 携帯電話を道路に落としてしまった。三年も使用しつづけたせいか塗装は剥げ、動作も怪しくなっていたところでの落下騒動だ。落としたとたんに蹴飛ばしてしまったので、ケータイはそのまま路上を滑っていった。傷だらけだったのが、傷そのものになってしまった。そんな印象。近々買い換えることにしよう。よいきっかけができた。
 
 花子、また情緒不安定に。冷静に、着実に対処しよう。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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四月八日(金)
「時貴」
 
 六時に目覚め、家のことやら身支度を進めるものの、ナーバスな花子に気を遣いつつ、となると意外に時間を費やした。いや、花子に気を遣うわけではない。花子の心の平静を取り戻すためにはどうしたらいいかを、夫婦で話し合いながら身支度する、そのやりとりが日常的な物事を遅らせるのだ。遅れることはまったく構わない。むしろ一連の会話のほうが費やした時間より貴重であることがわかっているからだ。
 
 十三時三十分、小石川のL社へ。初夏を思わせるほど上昇した気温のなかで桜が咲き誇っている。月並みな言葉を使えば「満開」だ。桜並木は近隣の世間一般でマダム、コマダムと呼ばれる女性たちや、ごくふつうの主婦たちが連れる子どもたち、赤ん坊と、彼らが載せられるベビーカーでにぎわっている。興奮して舞い散る花びらを追いかける子どもたちを遠く近くに眺めながら、ずっしりと花を広げ、膨らませる桜のなかを歩いた。
 
 夕方、ガリガリに傷ついたケータイを新調する。ドコモの最新モデルのなかで、一番軽いP901iというモデルにした。
 
 夕食は、気晴らしに「カムカム」でお好み焼き。はじめて入ったが、お好み焼きとお客を心の底から愛している店主の姿勢とサービスに感激した。これで、もうすこし食材に気を遣ってくれれば最高なのだが。
 
 
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四月九日(土)
「桜地」
 
 八時、起床。晴れた暑い陽射しがリビングを照りつける。窓を開ければ、外から春のやや乱暴に吹く強めの風に運ばれた埃が鼻孔を刺激し、くしゃみと鼻水の連発だ。夫婦で花を咬み咬み掃除、洗濯。
 
 過敏になっている猫に、過剰な接触はいけないという。ならば、と今朝は花子に最小限の接触でゴハンを与えようとしたが、おはようのひとこともなく部屋にはいったら途端に怒られた。挨拶の大切さを痛感。
 気になったので、挨拶という言葉について調べてみた。挨も拶も、ぎりぎりのところまで近寄るという意味があるらしい。つまり、挨拶を交わすとは、近づきあうことなのだ。おたがいのテリトリーのギリギリまで接近すること。そこで争いを起こさぬようにするには、言葉によって敵意がないこと、それどころか、場合によっては――広義での――愛すら感じていることを伝える行為。それが挨拶の本質なのだろう。挨拶とは、愛を察することにも通じるのかもしれない。
 
 三井のリハウス西新宿店の営業から電話。荻窪のリハウスの営業は感心できない人だったが、こちらの方はお客第一で頭脳明晰、行動も迅速だったので好感を持っていた。だが、一度物件を紹介してもらった限りで連絡は途絶えていたので不思議に思っていたのだが、話したところ「そろそろ条件も変わってきたころでしょう。あらためてお話を伺えますか」と切り出してきた。図星だ。できる営業とはこうも違うものなのか。あらためて感心しつつ、今考えている条件を再度伝えた。 

 午後、外出。家を探すには、住みたいと思う街を見つけることも大切だ。というわけで、今日は田園都市線や小田急線沿線の気になる街を視察することに。
 二子玉川。桜の季節ということもあって、駅は花見の人々の待ち合わせでにぎわっている。たまたま高島屋で不動産フェアをやっているので入場してみる。不動産業者、信頼できそうだったのでこちらにも要望を伝えてみた。肝心の街の雰囲気だが、歴史が浅いせいだろうか、根っこのない感覚がどうしてもなじめず。おそらくここは住む場所ではない。 用賀。駅前の商店街は嫌いではない。そのまま砧公園まで歩いてみる。こちらも花見客でにぎわっている。青いビニールシートに集団で腰を落ち着かせ、持参した酒と肴で盛り上がる人々や、バトミントンセットやらサッカーボールやらで遊ぶ家族連れを横目に見ながら、広大な敷地のなかで長年育ちつづけてきた、老齢といってもいいほどに大きく育ち、しぶい木肌をさらしながら枝を横へ、横へと伸びやかに広げる桜の木々の生命力、その象徴というべき満開の花のなかを延々と歩いた。桜とは本来、枝を横に広げるものらしい。平たく、横に枝葉をのばすことで、太陽の光をいっぱいに浴び、受け取り、自らのエネルギーに変える。カミサンは、「桜って貪欲だと思う」と繰り返し主張していた。たとえれば、桜は秀吉の豪華絢爛といったところか。ぼくは桜より梅が好きだ。梅の質素かつ可憐なたたずまいは桜とは対極にあるのだろう。梅は利休のわびさびに通じるのかもしれない。
 そのまま桜丘を歩き、世田谷通り、千歳通りと抜けて千歳船橋の駅まで歩いた。古きよき、田園的な、というより農村の面影をいまだに残した桜丘の街が気に入った。
 千歳通りの桜並木で、見覚えのある初老の男性を見かけた。半端に伸びた白髪頭にわずかな寝癖。オジサンごのみのスクエアなメタルフレームの眼鏡に、四角い顔の輪郭は何度も見た。すれ違ってから、ああ古井由吉だと気づいた。彼は馬事公苑のそばに住んでいたはずだ。このあたりを散歩していてもおかしくない。
 
 十九時、愛すべき今住んでいる街、西荻窪に戻る。義父母と「えんづ」で夕食。退職した義父の慰労会も兼ねて。
 
 ちょっと飲み過ぎたようだ。夜は気絶してしまった。
 
 
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四月十日(日)
「盛衰」
 
 桜は盛りを過ぎたようだ。昨日、過ぎた。栄華盛衰、桜のごとし。などということばがあるかどうかは知らぬが、桜の咲きっぷりはどこか波瀾万丈、あっというまに昇りつめて落ちるひとの姿に似ているように見えなくもない。――とここまで書いて、ある本で、自然の姿にニンゲンの姿や生き様、感情などを投影して描写すべきではない、真実は真実のまま描写すべきだ、とあったのを思い出した。だが、自分たちの姿のフィルターをついついかけてしまう、それもまたニンゲンの愛すべき部分であるのだろう。
 
 十五時ごろ、カミサンと西荻窪の不動産店「アルゴシティ」へ。物件を調べさせてもらうが、気になった物件はすべて売却済み。平日にまた伺わせてもらうことに。
 
 夜、下北沢のタイ料理店「SPICE」でけいこちゃんとお食事。不思議な話の出血大サービスである。何を話したかは、あまりにぶっとびすぎていてとても書けない。
 
 花子は落ち着いて留守番していた。少しずつ信頼関係を回復せねば。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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四月十一日(月)
「軽昂」
 
 六時、起床。花子にゴハンを与えるが、最小限の接触にとどめる。
 
 七時、事務所へ。肌寒い。おまけに妙な胸騒ぎがした。すると案の定、地震である。幸い大事には至らなかったようで安心したが、近ごろは妙に直感が冴える。マイナスの方向に冴えてしまったときは怖くなるからやっかいだ。だが、ある意味便利だといえなくもない。
 
 終日事務所に籠もって作業。二十一時、店じまい。
 
 夜、花子にゴハンを与えているときのこと。風呂の用意をしてほしいとカミサンにちょっと大きめの声で頼んだら、「大声を出さない!」としかられた。花子がナーバスなのだから、大声厳禁は当然である。バカだなオレは、と思っていたら、ぼくの大声ではなくカミサンの怒った声に反応して、軽くではあるがキレはじめてしまった。シャーと何度か威嚇されたが、激昂しているわけではないので、ひとまず落ち着くのを待ってから静かに部屋を出た。大事にはいたらなかったが、もっと新調にしなければいつまでもぼくらは花子に信用してもらえないということを痛感した。
 
『スピリチュアル・グロース』。
 
 
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四月十二日(火)
「小雨」
 
 六時、起床。花子、数日前の不安定さが嘘のように消え失せている。しかし恐れや怒りがどこに隠れているかはまだわからない。氷山の一角、などと安易な表現はしたくないが、見えない部分にこそ本質があることだけは確かだ。それを見つけ、表に現れるまえに優しく取り除いてあげること。それが、今ぼくら夫婦がすべきことである。
 
 七時、事務所へ。冷たく降りしきる小雨からは春の気配などまったく感じられない。
桜の花びらが、土埃と混じってアスファルトに塗りつけられたように溜まっている。
 
 終日E社カタログに取りかかる。パズルをしているような気分だ。
 
 ヤフーの通販で、古井由吉『仮往生伝試文』を注文。
 
 二十時、店じまい。カミサンとのんびり歩いて帰る。まだ雨はやまない。

『スピリチュアル・グロース』読了。役に立った、とだけ書いておこう。
 中断していた、奥泉光の『坊ちゃん忍者幕末見聞録』を再開。風呂で読むことにした。
 
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四月十三日(水)
「麻疹」
 
 六時起床。起きるとまず耳を澄ませ、花子の部屋に身体中の感覚を向けてみるのが日課になった。お皿にあけた缶詰のマグロをもって、あいさつしながら書斎のドアを開けると、薄暗がりのなかから目をキョロリと光らせた花子がニョロリと姿を現す。フッサリとした体毛をぼくの足に擦りつけて甘える。ゴハンだよ、と床のうえに敷いたランチョンマットにお皿を置いても、食べずにずっと甘えつづける。数日前までは、甘えられても身体をなでたりしなかった。それが恐れや怒りのスイッチになる可能性があったからだ。だが、今は撫でる。撫でることで花子を受けとめてやる。何にでも受け皿が必要なのだ。
 
 七時起床。まだ小雨は降り続けている。はっきりしない天気がつづく。雨はいきよいよく降るわけでもなし、気がつけば傘が必要なほどになるが、傘をさせばやがて必要になくなる。その繰り返しだ。肌寒いが身を縮めるほどではない。桜はすっかり花びらを落としてしまった。散った花びらが雨滴とともに駐車場に止まっているクルマのボディに張り付く姿が、蕁麻疹みたいだ。
 
 N社チラシ、M社PR誌など。十三時三十分、E社キャンペーンの件で打ち合わせ。終了後、調査のために話題のコミックである矢沢あい「NANA」最新巻を購入、その足で渋谷の期間限定カフェ「NANAカフェ」でグッズをチェックしてから事務所に戻る。
『文藝別冊 武田百合子』、武田泰淳『身心快楽』を購入。
 二十一時、店じまい。「桂花飯店」でエビチリ、酢豚、水餃子。
 
 帰宅後も花子はご機嫌。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。京で尊皇攘夷に参加しようとする寅太郎。
 
 
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四月十四日(木)
「倒寝」
 
 六時起床。七時、事務所へ。陽射しがようやく姿を見せはじめた。
 
 E社キャンペーン企画など。午前中、チラリ荻窪へ出て店頭調査など。「ミスタードーナツ」でドーナツ六個を買う。
 夕方、不動産屋の「アルゴシティ」へ。マンション購入の件、あれこれ相談。三鷹の物件を土曜に内見することにした。
 
 夜は異様な疲労感におそわれ、倒れるように寝てしまった。
 
 
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四月十五日(金)
「睡魔」
 
 眠れば疲労は取れる。だから寝た。眠ればすっきりと起きることができる。そう思って寝たが、夜中に花子が寂しがる声に目が覚めた。人が恋しくなったのだろう。寝袋を出し、書斎でいっしょに寝てやることに。胸の上に乗せて寝てあげたら、満足したようだ。
 
 六時起床。花子が気になって何度か目が覚めたが、寝不足という感覚はあまりない。だからいつもどおりに事務所へ向かう。七時。
 
 E社企画に終始。十五時、税理士のN氏と決算の件で打ち合わせ。N氏、われわれのマンション探しにすごく興味があるらしく、集めた間取り図を見せてほしいという。見せてあげた。うれしそうにあれこれ検討している。間取り図マニアなのだろうか。たしかN氏は去年事務所と住まいを同時に移転したはずだが、完全に満足しきっていないのだろう。引っ越しは慢性病のようにひとの心にいつづけることがある。ぼくがそうだ。この五年で事務所を三回移転した。今は四回目に取りかかっている。
 
 二十三時、ようやく店じまい。眠気と戦いながら帰宅する。近ごろは夜に弱くなってしまった。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。新潟での芸者遊び。
 
 
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四月十六日(土)
「文士」
 
 八時起床。春爛漫という言葉があるが、桜が終われば爛漫という雰囲気もすっかり失せ、夏の気配がわずかながら感じられるようになる。夏と言うよりは初夏である。初夏がすぎると盛夏とならずに梅雨となるのが不思議なところだ。
 
 午後から外出。三鷹のマンションを内見する。間取りは最高、住環境も静かでよかったのだが、駅まで歩いて二十分というのがネックになって断念する。そのまま恵比寿に移動し、広尾方面の気になっていたマンションを視察してみる。だがもとよりこのあたりの高速や幹線道路に面した環境が気に入るわけがない。ぼくの職業はコピーライターだが、流行を生み流行のなかで生きるタイプのニンゲンではない。生まれきっての文士であり、言霊使いなのだ。集中できる静かな環境がほしい。
 喧噪の中を歩いて渋谷まで移動し、シブヤ西武へ。「ヨウジヤマモト プルオム」へ。ウールギャバジンのセットアップを購入する。リバーシブルになっており、雰囲気を変えて楽しむことができるアンコンジャケット。険襟のテーラードははじめて買った。
 新宿へ移動。小田急でぷっちゃんのゴハンを購入。伊勢丹へ。カミサン、「ヨウジヤマモト」でスカートを購入。最後に「無印良品」でシャツなど購入してから帰宅する。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。京についた四人。しかし清河本人は見つからない。
 
 
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四月十七日(日)
「戸建」 
 
 花子に何度も起こされた。起こされること字体は慣れているのでどうということはないのだが、前歯で噛まれるのが困る。痛みでたちまち眠りを破られてしまう。もっとも、咬むという行為は花子にとってはなにか要求を伝えたり不満を訴えたりする手段であり、それをニンゲンにしっかり伝えようと思いはじめてくれたということは、ニンゲンをふたたび信頼しはじめてくれたということではないか。そう思えば痛みも眠りの妨げもどうということはない。
 
 八時起床。花子のトイレを確認すると、細々としたウンコが大量に出ていた。どうやら夕べの大騒ぎはウンコが出そうだといいたかったか、ウンコが出たので取ってくれと命じていたのか。今はすっかり落ち着いている。
 
 午前中、盛況に生協に買い物に出かけると、近所で一戸建て建て売り住宅のオープンハウスをやっていた。ひやかし半分に見学してみると、意外にこれがいい感じだ。間取りもいい。都内の住宅地の一戸建てでは採光など望めまいと思っていたが、三階部分は予想以上に陽当たりがいい。不動産屋の担当者に、午後からほかの物件も案内してほしいと申し出た。
 午後から内見。東中野、阿佐ヶ谷、天沼、上荻とまわったが、どれも気に入らず。結局朝にみた生協そばの物件がいちばんよかったが、やはりもっと緑の感じられる場所がいいね、ということでここは見送るつもりなのだが、どれくらいの額までローンがくめるか知りたかったのでローンの打診だけは依頼した。
 
 夕方は義父母宅へ。昼につくっておいたキーマカレーを持参しいっしょに食べて、二十一時過ぎに帰宅。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。沖田、芹沢と、新撰組の面々と知り合う四人。

 
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四月十八日(月)
「墓前」
 
 二時、花子が突然フニャンフニャンと夜鳴きしはじめた。起きてなだめるが、まったく落ち着かない。放っておいて眠ろうとするが、気づけば開けはなっておいたクローゼットの扉、厚さわずか二センチ程度の板の上に乗ってフラフラしている。危ない、なにしてるの、とつい声を荒げたら、案の定また興奮してしまった。シャーと威嚇される。しかたないのでそっと部屋から出てしばらく様子を見ると、すぐに起源は戻った。しかしだからといって安心できない。念には念を、ということでケージに入れておくことにした。
 また威嚇されたことがショックでしばらく眠れず。築けていたと信じていた信頼関係が虚構だったかもしれない、と思うと眠気などどこかへ吹き飛んでしまう。 

 七時三十分起床。花子はもう平常モード。いつもとなんら変わったところはない。安心して事務所へ向かう。
 
 E社企画。午後からは仕事が落ち着いたので、尊敬する作家である洞察の人武田泰淳と天衣無縫の随筆家武田百合子夫妻、そして夏目漱石の墓参りに行くことに。泰淳も漱石も、ヒプノセラピーを受けた際に出てきた人物。何度も夢枕にたったりしている。やはり一度はお礼をいいつつ今後もよろしくとあいさつせねば、と前々から思っていた。
 まずは武田夫妻の墓がある中目黒の長泉院へ。夫妻の墓、かなり汚れていて花活けには腐った花が溜まっていたので清めてあげることに。お花を持参すればよかった、と考えながらラベンダーの香りのお線香に火をつけ、備えた。掃除しているときに気づいたが、どうやら誰かがラベンダーの花を供えていたらしく、線香を備えるまえからほんのりおなじにおいがしていた。百合子が好きだったのかもしれない。
 つづいて雑司ヶ谷の漱石の墓へ。こちらはさすがにきれいにされていた。さっとお線香をあげて引き上げた。
 
 西荻に戻り、「グレース」でお茶を飲んでから事務所に戻る。二十一時帰宅。
 
 
 漱石のところに行ったので、「虞美人草」をさわりだけ読んだ。漢語調の文体はなかなかなじみにくい。
 奥泉『坊ちゃん忍者』。


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四月十九日(火)
「恢復」 
 
 六時起床。花子といっしょに寝ないのはさみしいが、そのぶん落ち着いて眠ることができる。ぼくが、というわけではない。ぼくも、花子も、そして花子の恢復を祈るカミサンも麦次郎も含めて、だ。
 
 七時、事務所へ。E社企画など。十六時より五反田で打ち合わせ。二十時、店じまい。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。「攘夷の本質とは、剣である」そいつはホントに物騒だ。


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四月二十日(水)
「酔沈」
 
 六時起床。雨。降ったりやんだり。
 
 七時、事務所へ。E社企画など。夕方、ちらりと整骨院へ。二十時、店じまい。
 
 夜、書斎でフニャンフニャンと鳴いている花子をなでくりまわしながらウィスキーを飲んだら、一杯だけなのに酔っぱらった。整骨院で揉んでもらったから酔いが回るのが早くなったらしい。三十分ほどぶっ倒れてしまった。これには参った。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。酔っぱらったので少しだけ。


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四月二十一日(木)
「木製」
 
 目覚めると身体が木の棒になったような気分になる。ここ数日つづいているのだが、なぜだろう。亡くなったドウブツたちの写真のまえに供えた猫缶を取り、台所で器に盛りつけ、書斎でひとりで寝ている花子にそれを与えるまでは、木製の身体を軋ませながら動いているように感じられるのだ。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。E社企画、N社ポスターなど。夕方カイロプラクティックへ。帰りがけに、パルコの「生活の木」でアロマオイルなど、ロフトでトリートメントボトルを購入。二十時三十分、帰宅。
 
 家探し、条件に合致した物件がなかなか見つからない。ペット可のマンションは増えているが、事務所使用可のマンションはほとんどない。七〇平米以上の3LDKは、中央線沿線ではほとんど見かけない。気長に探すしかないが、なんとか今の事務所の更新である九月に間に合わせたい。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。飲んだくれ。
 
  
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四月二十二日(金)
「威嚇」
 
 六時、起床。ここ数日、花子がぼくに何か言いたげなのが気になる。鳴き方が、重要なことを訴えようとしているように聞こえる。なぜだろう。八畳の書斎で毎日を過ごすことが退屈なのか。でも、花子はこの部屋を気に入っている。猫は元来自分のテリトリーの広さにはこだわらない生き物だ。そこに外敵が足を踏み入れたなら怒るが、テリトリーを広げることに関心はあるようであるものの、それが狭ければ狭いで気にならないようなのだ。居心地さえよければ、それでよい。ならば、花子はなにを伝えたいのか。
  
 七時、事務所へ。セラピストの友人・ゆうりさんから、「最近地に足がついていないみたいだよ」と注意のメールが届いた。おっしゃるとおりかもしれない。今の自分の心境や行動のうかれっぷり、おもしろがりっぷりにはっと気づかされた。ゆうりさんは、いつも絶妙なタイミングでメールをくれる。
 
 午前中はお片づけなど。十三時、小石川のL社でQ社カタログの打ち合わせ。終了後、渋谷西武の「ヨウジヤマモト」で、先日購入したセットアップを引き上げる。担当のLさん、腰痛が悪化しているようだ。食事療法である程度改善できたぼくがうらやましいらしい。
  
 帰りの山手線。渋谷駅の階段を上ると、降車したばかりの乗客とすれ違った。たった今電車が来たらしい。これには乗れない、一本やり過ごそうと考えながらホームまで上がると、車両がまだある。しめた、と二三歩軽く走って飛び乗った。誰かに軽く肩が触れたが、まあよくあることだ。軽くあやまれば、などと考えるまもなく、いきなり触れた相手に因縁をつけられた。「てめえいたいんじゃなにしてんだ!」と微妙に東京の言葉と九州の言葉とが混じった口調で因縁をつけられた。首根っこを手でグイグイ押された。反対側のドアのほうまで押された。触れたのは事実だ。だが、なぜここまで怒る。たしかに飛び乗ったこちらが悪い。だが怒鳴り立てられるほどの迷惑はかけていない。まあ、虫の居所が悪かったのだろう。こりゃ殴られるかな、服やぶられたらイヤだな、などと考えていると「ぶっとばしたろうか、きさま次の駅で降りろ」と、また全国あちこちの言葉が混じった、おかしな調子で威嚇された。悪いのは事実だから、ひとまず「ごめんなさい。もうしわけない」とだけ謝った。どなる相手の顔をよくよく見てみる。これがとんでもなく不細工なので笑った。目は彫刻刀でちょっと傷をつけてみました、というくらいに細くて、これでモノが見えるのだろうかと心配になるほどだ。顔は徹夜明けなのか食生活が悪いのか、妙に黄色くてパンパンにむくんでいる。爬虫類っぽいな、となぜか思ったが、比喩の対象にした爬虫類に失礼かもしれない。それくらいひどい顔だ。怒ったからひどい顔になったのか、ひどい顔だから怒りっぽいのか、さていったいどっちだろう。あまりに興味深い顔なので、ついついじっと見てしまった。相手のほうが、ちょいと背が高いようだ。首をぐっと押されたままの状態で――服をぐいとにぎり、ひねり上げるようにするのが定番だと思うが、なぜかこの男はそうしなかった――、ぼくを細い目で見下ろすようににらみつけている。こっちは「ぶっさいく〜」と口に出すのをこらえながら、相手の顔を見上げるかたちだ。じっと見てみた。怒っている顔がどんどんニンゲンに見えなくなってくるからおもしろい。しばらく黙って変な顔を観察した。そうこうしているうちに、とはいえ経った時間は数秒だろうが、相手はなぜか急に押さえつけていた手を離し、なにも言わずにぼくに背を向け、入ってきたほうのドアの前のほうに移動してしまった。そのまま微動だにしない。なんだコイツ。変なの。最後までキッチリやらないのか。拍子抜けた。次の駅で降りろと言われたから素直に原宿駅で降り、さて相手も降りてくるだろうかとじっと見てみたが、出てこない。さらに拍子抜けした。まあ、いいや。ちょっとおもしろくない気分で次の電車に乗り、おとなしく帰った。
  
 この体験をカミサンに話すと、それはアンタが怖くなったからだ、といった。たしかにそのとおりかもしれない。そのときのぼくの服装といえば、ワイズフォーメンのボックス型のジャケットにちょっとワイドでルーズなシルエットのパンツ、それに黒いボタンダウンのレーヨンシャツを合わせていた。相手の目が細い細いとさんざん書いてしまったが、そういうぼくも目は細目、おまけに顔は痩せている。三十も半ばを過ぎているのにセミロン毛で黒ヅクメのおっさんに下からじっと顔を見られたら、そりゃ怖くなるに決まってる、とカミサン。なるほど、妙にナットクした。まあ、相手がたいしたヤツではなかったということか。若者よ、マナー違反のひとを注意するのはよいことだ。ただし、敵わない相手にケンカを売るな。押し売りされたほうが迷惑だ。
 
 二十時、業務終了。
  
 昼間の一件があったからか、それともちょっと飲んだビールがまわったのか、また夜はうたた寝してしまった。カミサンは酒に弱くなったという。ぼくもそう思う。こんなにひどい状態になるなら、思いきってやめたほうがよさそうだ。
  
 奥泉『坊ちゃん忍者』。疲れたのですこししか読めなかった。
  
   
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四月二十三日(土)
「催眠」

 八時、起床。
  
 午後から事務所へ。今までは贅沢に机をL字型にならべて仕事していたのだが、よく考えるに左側に縦に置いた机はただのモノ置き場と化している。無駄な余白も多い。こういう部分を切り捨てれば、空間をもっと有効に使えるのではないかと思ったので、思いきって机を取り払った。思ったとおり、机ひとつでちゃんとまとまる。不要になった机は処分することにした。
  
 夜、「ほびっと村学校」でヒプノセラピーの入門講習会を受ける。先生のお考えには強く同意するが、催眠体験中、催眠状態にある受講者に説明をしながら深層心理の世界に誘導していくのにはまいった。顕在意識は一割程度は活きているから、誘導されつつもそういった部分にを冷静に分析できる。この先生から学ぶのは、自分にはちょっとしんどそうだ。講習を受けてわかったが、自分には必要のない技術でもある。すぐれたセラピストの友人が急に増えたので興味をもったが、あまりにも俗っぽすぎるぼくにひとの心を覗く資格はナイと思った。
 
「焼肉 力車」で肉を食ってから帰宅する。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。


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四月二十四日(日)
「催眠」

 八時三十分起床。すっきりと晴れた、しかしほんのり霞がかかった春の空から降り注ぐ太陽の光が、気のせいか金色を帯びているように感じる。麦次郎は朝からベランダで暴れている。ぷちぷちも外に出してあげたら、ベランダでひとりきりは気持ちがよいがさみしくなるようで、キューンキューンとおなかをすかせた仔犬のような鳴き方をしはじめたので、慌てて家のなかに引っ込めた。
 
 ごごより新高円寺へ。日曜陶芸家のK子、ヒプノセラピストの卵のカオカオと待ち合わせ。カミサンと四人で、レイキと呼ばれるハンドヒーリングの始祖、臼井甕男(みかお)氏の墓参りに行く。国内ではあまり知られていないがイギリスでは保険適用になるほどメジャーな療法である。ぼくは心を平静に保つための手法として活用させてもらっている。ハンドパワーなどという力があるかないかなどの問題はさておき、臼井氏の思想や人生観は高く評価できると思う。墓前で手を合わせて感謝の意を伝えた。
  
 十五時、西荻窪でしまちゃんと合流。「モカッフェ」でお茶したが、気づいたら三時間も経っていた。昨日のヒプノ講習会のご報告と、資料の返却。ヒプノは学ばないことを伝えたら、ちょっと残念そうだった。昨日の体験催眠で、催眠状態で説明をされたのが気持ち悪かったこと、それから頭痛がつづいていることを伝えると、ひょっとしたら催眠状態から抜けきっていないのかもしれないとアドバイスを受け、急遽ウチの事務所でセッションを受けることに。頭痛はだいぶおさまったが、まだ痛む。「えんづ」で食事してから帰宅後、心配してくれたカオカオがもう一度ケータイを使って催眠状態からの覚醒をやってくれて、ようやくスッキリしてきた。集中力が異様に高いひとは、自分で気づかぬうちに催眠状態になっているらしい。ぼくの場合、モノ書きという職業柄、集中力は一度働きはじめるととんでもなく強くなるようだから、催眠にも入りやすいようなのだ。受けるときは気をつけたほうがいいかもしれない。
  
 奥泉『坊ちゃん忍者』。医者の書生となった松吉。


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四月二十五日(月)
「分離」
 
 六時、起床。まだほんの少し頭痛が残っているようだが、動けないほどではない。いや、本音を言えば今日は一日中寝ていたかったが、仕事があるからそうも行かない。気持ちを切り替え、事務所へ向かう。
  
 午前中、Q社企画などを進めるも体調不良で集中できず。頭痛だけでなく、胸つかえまでしてきた。目がグルグルする。危なそうなので、しばらく眠った。
  
 午後、落ち着いたのでkaoriさん、かみさんと三人で「via nuova」にて食事。スパゲティ・カルボナーラ。
  
 食後は某業界メーカー・代理店各社のショールーム巡り。五反田、品川、新富町とまわって十七時三十分、帰社。
 途中、有楽町交通会館の北海道プラザみたいなところで、ハスカップのアイスクリームを食べる。自然な酸味が、疲れた身体に効いたようだ。
  
 二十時、帰宅。
 
 武田泰淳のエッセイ『身心快楽』を読みはじめる。第一部は、不良僧侶だったころの回顧録。
 奥泉『坊ちゃん忍者』。寅太郎、土方歳三の弟子と手合わせし、惨敗。
 
 
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四月二十六日(火)
「幻影」
 
 気にするほどではないほどだが、頭痛がつづく。痛みは小さい。だが右側にだけ鈍痛がつねに感じられる。当然気持ちのいいもんじゃない。なんとかしたいが、なんともならない。頭痛薬には頼りたくないので、自然に治るのを待っている。痛みはすこしずつ、より小さくなっているのでそのうち消えるだろう。問題は痛みよりもイメージのほうだ。目を閉じると、映像がつぎからつぎへと瞼の裏側に浮かんでは消える。脈絡のないものばかりである。おそらく先日の催眠が原因で右脳が暴走しているような状態なのだろう。創造と想像が重要な仕事についているから右脳の暴走は大歓迎だが、脈絡がなさすぎるのは勘弁してほしい。とはいえ、浮かぶ映像はすべて潜在意識にあるものに違いない。だとすれば、どこかで脈絡があるのだろう。こんな状態になってしまったのにも意味はある。一時的なものだろうし、日常生活に支障はないのだから、しばらく様子を見てみたい。
 
 六時、起床。七時、事務所へ。Q社企画に終始する。「ムッシュソレイユ」のパンで昼食。上品かつパンチが効いた調理パンのうまさは西荻一だ。
 夕方、整骨院へ。背中の張りが異常だと指摘された。頭痛はここからも来ているのだろう。こわばった筋肉をしっかりほぐしてもらった。
 二十時、店じまい。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。剣豪・沖田。
 
 
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四月二十七日(水)
「安堵」
 
 六時、起床。カーテン越しに透ける朝陽に安堵を覚える。かなり快方に向かってきた頭痛が、光をより暖かに感じさせているのだろうか。
 
 七時、事務所へ。Q社企画。十一時、小石川のL社へ。桜並木を覆っていた桜の花びらはみな消え、萌える新緑にとって代わっていた。春の光を浴びて揺れながら輝いているのにしばし見とれた。E社の件、Q社の件で打ち合わせ。
 夕方、整骨院へ。背中の凝り、よくなっているがまだひどいらしい。明日も来るように、と指示された。
 二十二時三十分、店じまい。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。長州の宣戦と清河の死。尊襄は一筋縄では行かない。
 
 武田泰淳『身心快楽』。「わが思索わが風土」。戦中の出兵体験エッセイ。生きることの無常観に覆い尽くされた「戦時」と、無常観のなかで、それに流されながら反抗するかのように、矛盾に満ちた生き方をする泰淳先生。以下の文章はその体験談につづく。ひさびさに感動してしまった。数ヶ月ぶりの引用。
 
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 滅び去った民族、消え失せた集団、抹殺された国は数知れない。生ある者は、かならず死ぬ。かつて、ある種の日本の史書は、ただ一筋の系統の変化をたどることだけを任務とした。だが、日本史をもふくめた世界史における破壊と生存が、全体的に明らかにされねばならない。時間は、空間によって支えられている。空間的なひろがりを拒否して、せまき個体の運命にとどまることは許されない。すべてのものは、変化する。おたがいに関係しあって変化する。この「諸行無常」の定理は、平家物語風の詠嘆に流してしまってはいけない。無常がなかったら、すべては停止する。

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 このあと、泰淳先生は科学、政治といった側面から無常を論じ、政治的思想によって生まれた地球上の「裂け目」を、そしてその裂け目を生み出し多くのニンゲンに過酷な運命を強いる神についても痛烈に論じる。ここもいいんだけど、割愛。そして最後の部分。
 
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 人間は生と死において、平等でなければならない。平等だって? そんなの、つまらないじゃないか。だが、人間はニンゲンであるよりほかに、生きてはいけないのだ。とりわけ文学者は、諸行無常のしつっこさ、むごたらしさから目をそらすわけにはいかない。たとえ、アンチ・ヒューマニストとののしられようと、人類の矛盾をきわめつくさねばならない。
 
 
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四月二十八日(木)
「急夏」
 
 春というよりもはや初夏か。朝から陽射しは妙に夏めいていて調子が狂う。春分の日から一月が過ぎたのだから夏に近づくのは当然のことだが、空に意志があるとすれば夏に向かって急いでいるように思えなくもない。しかし、その梅雨寒のあとずさりくらいはあるのだろう。
 日の出の時間が早まるにつれ、ぷちぷちが目を覚ます時間も早くなった。六時すぎ、台所でコップを洗っていると、水の流れる音が好きなのか、ご機嫌な調子で高く鳴く。鳴き声がつづけば、籠にかぶせた風呂敷を取る。止まればそのままもう一度寝かせる。二度寝鳥。ちょっと様にならないなあ。
 
 七時、事務所へ。Q社企画など。十五時、麻布十番のO社で打ち合わせ。次は十八時に五反田だ。時間があきすぎたので、ひとまず南北線で目黒まで出てから中目黒の泰淳先生の墓がある寺まで歩き、五反田の駅前までまた歩いた。地図などもっていなかったし土地勘もないのであてずっぽうに歩いたが、まあなんとかなるもんだ。ちょこちょこと迷ったが、シャツが汗ばむのを感じながら傾く太陽の位置からだいたいの方角を割り出してうろうろしたら、十七時三十分過ぎに五反田に着いた。「エクセルシオールカフェ」で水分補給してからL社へ。クライアントのE社U課長も交えて打ち合わせ。
 
 二十一時、業務終了。「インド式中華料理」というよくわからんジャンルを掲げている料理店「天竺」で夕食。マハラジャビール、クミンの香りが利いたエビの空揚げ、具だくさんで酸味があって辛い「天竺スープ」、やはり具だくさんで酢豚のような豚肉と片栗粉でつけたようなとろみのあるルーが印象的な「天竺カレー」、卵炒飯。味はあまりインパクトがなく、なぜかと考えたがインドだか中国だかどっちつかづの方向性が招いた結果なのだろうと考えたら納得できた。
 
 泰淳『身心快楽』。戦地から竹内好などに宛てられた手紙。
 奥泉『坊ちゃん忍者』。泥棒事件と平八の再登場。
 
 
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四月二十九日(金)
「偽夏」
 
 六時、目が覚めるとすでに部屋のなかが暑い。真夏の暑さではないが、四月の朝の暑さではない。いや、四月の朝に「暑さ」という単語をつけて表現しようとすること自体、すでにおかしいのではないか。天気予報を確認すると、今日はどうやら二十八度まで気温があがるらしい。ゴールデンウィーク第一日目が夏日とは、季節感もクソもあったもんじゃないが、常識にとらわれていては自然を感じることも観察することもできない――などと朝からゴチャゴチャ考えていたわけではないが、予報に辟易したのはたしかである。着るものを選ぶのにずいぶん迷った。結局、先日「ヨウジヤマモト」で買ったサマーウールのセットアップにする。
 
 七時、事務所へ。休日出勤である。休みの日は働かないことにしようと誓ったが、破らざるを得ないこともある。世のなかが休んでいるときにしっかり働くのは、零細企業の宿命かもしれない。そんな宿命はどこかに捨ててしまいたい、などと考えながらQ社企画に精を出す。
 十六時、店じまい。カミサンと新宿へ。暑くなると、まず女性のファッションがガラリと変わる。二の腕や足の露出が増える。へそまで見せているひともいる。こうなると夏の先取りというより夏そのものだ。一ヶ月前まで冬物のコートを着ていたとはとても想像できない。それにひきかえ、男の服装の重いこと。そういう自分はつねに黒づくめだから、他人からは暑苦しいだのワンパターンだの思われているかもしれない。
 小田急でぼくの靴を購入。カミサンは伊勢丹の「ワイズ」で黒い皮のトート風バッグと綿の顔料染めジャケットを買った。ボタンがなくて、尻くらいまでのロング丈。つづいて「無印良品」でシャツ、パジャマなど。
 荻窪ルミネの「さぼてん」でヒレカツ、メンチカツを買って帰る。二十時。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。
 
 
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四月三十日(土)
「回転」
 
 六時に起きるぞと意気込んでいたものの、昨日の暑さに身体がまいっていたのか蒲団から抜け出すことができず、じゃあ七時、と思っていたら六時半には寝るのに飽きた。今朝も暖かだが昨日ほどではない。四月も終わり、と思えば納得できる予想最高気温をテレビが報じている。これくらいがちょうどいいなと思った。季節の移ろいに楽しさや期待が感じられるからだ。
 
 七時三十分、事務所へ。今日も休日出勤である。どこからも電話はかかって来ないしメールも来ないから集中できる。昨日苦戦していたQ社の企画、今日になったらあっさりまとまりはじめてきたから驚きだ。脳味噌の回転はどうやら気温の急激な変化に弱いらしい。
 
 十八時三十分、店じまい。
 
 帰宅後、麦次郎にズボンを破られた。無印良品の薄手のワークパンツ。猫のツメのことを考えたら、部屋着に薄い素材のパンツはダメだな。
 
 夕食後、一時間も寝てしまった。昼飯を食ったあとに事務所で椅子をリクライニングさせて十五分ほど居眠りするのが日課なのだが、先日この姿勢でヒプノセラピーを受けたあとで意識が不安定になってしまったせいか、おなじ姿勢をとると妙に落ち着かない気分になり、会社で仮眠が取れなくなった。一種のトラウマだと思う。二度とヒプノセラピーは受けない。他人の心に安易に踏み込むのは危険な行為である。
 
 奥泉『坊ちゃん忍者』。京を出ろと恐喝される蓮牛先生。


 


《Profile》
五十畑 裕詞 Yushi Isohata
コピーライター。有限会社スタジオ・キャットキック代表取締役社長。よくも悪くも、自分は文士なのだなあと痛感する毎日。

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